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田舎者は古文に強い

秋田にある私の故郷は、私が中学に上がる前までは村だった。平成の合併で複数の市町村が集まり、ある程度の大きさの市になったが、集まった旧市町村のなかでも私の地元はトップレベルの田舎扱いだった。
方言も、近隣の市町村に比べてきついらしい。イントネーションや語尾が訛るのはもちろんのこと、単語がまるまる標準語と違うこともザラだ。単語レベルの方言は、祖父母の世代しか使わないけれど意味はわかる。

話は変わるが、中学に入って初めて古典の授業を受けた。それまで古文は読んだことがなかったので、読解にはそれなりに苦労した。
しかし、ときどき教科書を眺めていて突然「読める…読めるぞ…」という感覚になることがあった。

なぜか。
進研ゼミでやったからではない。ラピュタの王になるために学んでいたからでもない。

村のじっちゃんばっちゃんから聞く方言が混ざっていたからだ。

たとえば、こんな具合である。
めごい:かわいい  …だろうな。(地元では「めんけ(めんこい)」という)
まなぐ:目  …だろうな。(地元では「まな↑ぐ」と発音する)
さかしい:かしこい  …だろうな。(勉強のできる子は、さがしいと褒められる)

教科書の古語が突然、方言で脳内再生される。隣の屋敷の幼い姫を垣間見たら愛らしかっただの、たいへん優秀と評判のイケメンと恋仲になりたいだの、平安のやんごとなき貴族たちのはんなり散文が、一気に村のじっちゃんばっちゃんの井戸端会議になるのである。
暇を持て余した貴族という遠い世界の出来事が、一気に地元トークになる感覚には不思議な安心感があった。田舎生まれも悪くはないかもしれない。

地元の風景を思い出してみる。眼前に山が迫るまさに山間部、朝は山に靄がかかる。山の手前に、誰々さんの家の田畑が並ぶ。みんな屋号で呼び合う。川の流れる音を聴きながら橋を渡る。山神様の神輿の法螺貝が近づいてくる。夜は暗く、星が多い。虫と蛙は四六時中鳴いているから、鳴き声はもはや聞こえないに等しい。大雪が降る冬は、根雪の上にさらに積もった雪を踏みしめる。雪が音を吸って、とても静かだ。
言葉だけでなく、それを取り巻く多くのものが、平安の農民生活からそのまま残っているのかもしれない。

東北のきつい方言は、時にフランス語に間違われるのだという。どこかやんごとない雰囲気が漂っているのだろう。知らんけど。
ちなみに私の地元では、冬に軒先にできるつららのことを、方言で「たろんぺ」と言う。響きがなんとも間抜けなような、おしゃれなような。隙あらば口に出したくなる。
調べてみると、たろんぺは古語の「垂氷(たるひ)」が語源になっているらしい。これも古典か。
たろんぺ。
実にやんごとない。

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