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パソコンとの出会い
昔からプログラマーに憧れがあった。
なぜだかわからないがコンピューターが好きだった。
スパイ映画に出てくるハッカーのシーンがたまらなく好きだった。これは理屈では説明できない。
なぜかワクワクした。
はじめてのパソコン
はじめてパソコンを買ってもらったのは中学1年生。
まだ当時はパソコンなんて持ってる人もなく普及もしていなかったが、当時巷ではwindows95なるものが空前のヒットでニュースでもやっていた時期である。
知り合いにMacを研究として使ってる人がいてそこで初めてパソコンを触った。
なんかのゲームをさせてもらった記憶がある。
親父にお願いして誕生日プレゼントにパソコンがほしいと伝えた。
当時は結構高かったと思うが親父は奮発して私にパソコンを買ってくれたのである。
そして初めて我が家にパソコンがやってきた。
Macintosh Performa 5320 M4450J/A
これが当時購入したMacのスペック表だ
CPU: PowerPC603e 100MHz
バンドル: OS漢字Talk7.5.1
メモリ容量標準: 16.0MB 最大64.0MB
メモリスロットスロット数2 (空き1) 増設単位1
ハードディスク: 1.2GB
CD-ROM: 速度4.0倍速
拡張スロット: LCIIIPDS1(1)
ディスプレイ: 15.0インチ CRT カラー
外形寸法: (W)383mm×(D)406mm×(H)445mm
重量: 21.15Kg
CPUが100MHz。ギガではない。100メガである。なんてこったい。
メモリも16MB。ギガではない。16メガである。なんてこったい。
OSは当時まだMacOSとは呼ばれておらず、漢字Talkと呼ばれていた。
今参照のページで当時のスペック表とバンドルソフトを眺めてたら興奮が蘇ってきて懐かしさで発狂しそうである。
クラリスワークス
当時一太郎花子といったwindowsのパソコンで広く使われていたものは使えなかった。かわりにバンドルされているがクラリスワークス。ワープロ、ドロー、ペイント、表計算、データベース、プレゼンテーションがまとめて入っていて、今で言うOfficeみたいなもの。
なんでもできる、すげーって思ってた。
Netscape Navigator 2.0
ブラウザーの代名詞。ネット老人会のみなさまならもちろんご存知とは思うが今はなきブラウザーの走り。
初めてインターネットをしたのもこいつだった。
当時のMacはフリーズするので有名でよく固まっていた。
本当によくフリーズした。これは仕事では使えねーなって感じだった。
ただ何か問題あった時に表示される目がバツマークのMacのアイコンはやたら可愛かった。
切れる電話、切れる母親
はじめてインターネットに繋いでもらったのはその後間もなくしてすぐだった。
モデムという装置を購入すればなにやら外の人と交信できるらしいというのを雑誌でみて、親に買ってもらったのである。
プロバイダーに契約してもらっていざ接続!
………ピー…ガーガラ…ピーギョー…ブーピー………
モデムが聞いたこともない異音をたてて鳴き始める。
当時は電話回線でプロバイダーに電話してネットに繋いでいた。
当然電話回線は自宅には1本なので誰かが電話しているときにはネットには繋げないし、ネットをしていると電話が使えなかった。
携帯電話もない時代に家の電話を占領するのは一大事だ。
そして繋いでいる間はプロバイダーに電話していることになるのでもちろん通話料がかかる。
今みたいに無制限でつなぎ放題というものなんて無かった。
そんな事も知らない中学生の私は夢中でつなげるサイトにつなぎまくって遊んでいたのだが、翌月の請求と電話ができなくなることへの不満で母親がブチ切れた。
今まで見たこともない電話料金の請求を見た母親が発狂したのを今でも覚えている。
ネットは使用できる時間が定められた。まぁ今考えると当然である。
そこからちょっとしてISDNという2回線自宅でも引けるサービスがNTTからだされたのですぐに契約してもらった。
その後テレホーダイという画期的なサービスも発表されたことを知った。これは夜中の11時(だったと思う)から朝の8時までは特定の電話番号先への電話は定額使い放題になる。つまりプロバイダーの電話番号を登録しておけば夜11時から朝8時までは定額使い放題になるのである。
速攻で親に契約してもらった。
そこから生活リズムは狂いまくるのは言うまでもない。
必死でwebサイトを探す日々。
写真一枚を表示するのに1分以上かかるwebサイト。
たびたび止まるMac。
勉強しろと発狂する母、寝不足で聞いてない私。
カオス。
これが私のパソコンの原体験である。
ただこの時にプログラムに目覚めるわけでもなく、ただネットとパソコンを新しいおもちゃとして消費していただけである。
その後パソコン熱も一通り冷めて昔ほど熱狂しなくなった。
あの時にプログラムにハマっていればもっと違う人生だったのかなと思ったりする。
今思えばチャンスは何回もあったのにもったいなかったかもしれない。
大学も結局文系に進んだので挑戦すらしなかった。
当時はプログラムを書くなんて一部の天才がやるもんだと思っていた。
そんな思いにフタをしてパソコンとは無縁の社会人になった。
あれから20年以上。
やっと昔から憧れていたプログラムを書く仕事をしている。
とっても回り道したような気もするがこれが私の最短コースだったようにも思う。
さて次はなにになろうかな。
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