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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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2022年2月の記事一覧

決断できるか、約束を守れるか

大切なことを決断できる人間、大事なことをちゃんと約束することが出来る、守れる人間は、前に進むことが出来る。しかし、決断が出来ない人間、約束も出来ない、約束したとしても守れない人間は、決して大成出来ない。人生、どちらを選ぶかだけのこと。誰の所為でもない。自分の所業。小さい大きいは関係ない。加えて、全て計算づくの人間。これも大成しない。なぜならば、物事を損か得かで判断をしている。損得は欲がらみ。確実なように見えて、枝葉しか掴めない。利害から離れられない人間は、自分の固い枠を作って

交通事故に遭遇し

【独り言メモなので、どうかスルーして下さい】ここ立て続けに普段起こり得ないことが起こっている。今日もいつもの週末の10kmランニングを行い良い天気の中、快調に走っていたが、少しまた左膝に違和感が出始め、距離を2km縮めた。そのことで、いつもよりも早めに3つの目の氏神様へのお礼参りをすることになり、その傍まで差し掛かっていた時のことだった。2車線の大通りで、いつも渋滞をしている道の横断歩道で、自分の10mくらい先のところで「あ!」という大きな声が聞こえた。近寄ってみると、自動車

良く生きようという”気”

人間は、自分一人で生きている、生きていける存在ではない。人間は生かされている。しかし、良く生きようという”気”がなければ、良く生かされることはない。「こんな人生、誰も頼んで生まれてきた訳じゃない!」「努力なんて無駄。苦労なんてこれっぽっちもしたくない。楽して生きりゃ人生儲けもん!」「世の中、損か得か、それだけのこと!損することは一切やらない!」こういう“気”でいるうちは、人間生かされることはない。病気や健康についても同じこと。奇跡として預かっている自分の体を、不健康に無碍に扱

梃子

自分の人生は、他人や機械やお金の力では、何ともならん。自分で何とかするしかない。人間には梃子(てこ)の原理がある。梃子は、アルキメデスが発見したことになっているが、それは宇宙の原理。「我に支点を与えよ。されば地球をも動かさん。」という伝説も、言い伝えとしては分かりやすい。即ち、人間は、梃子の原理を使うことが出来る。人間の持つ梃子は、“努力”のこと。ずっしりと重い自分を持ち上げるには、やはり自分の努力が必要なのである。どれだけ世の中進歩したとしても、この努力に勝るものはない。従

全て初動は自分、自分次第。

教導。教え導かれること。学ぼうとすれば教えられる。行こうとすれば導かれる。しかし、学ぼうという意志がなければ教えられない。行こう、動こうとしなければ導かれない。全ての初動は、自分。人生は自分次第。しかし、求めても、まだ与えられないことがある。それは、どのような思い、志で求めているのか、自我の境地なのか、利他の精神なのか。はたまた、苦労を脇において、避けて逃げているようでは、求めても与えられることはない。本気で学ぼうとしているのか、思いを持って行こうとしているのか、その性根を見

本当の「感謝」とはとても難しい

「感謝」とは何か。「感謝」することほど、人間にとって出来難いことはない。本当の「感謝」とはとても難しい。「謝」には、「射」があるように、弓を射る意味がある。即ち邪気を祓うこと。重要な儀式や誓約の時、弓の弦を打ち鳴らした上で執り行っていた重要な言葉、特別な言葉としての意がある。「感」には、「口+戈(武の一部、ほこ)+心」。「口」は単なる人間の口ではなく、神への祝詞を入れる箱。この神への祝詞を入れた箱を奪われないように「戈(ほこ)」を持って守る。即ち「感」とは、「神の心」。神の心

総和

この宇宙、超大大宇宙は、「総和」が基本。従って、総和の精神とは逆の、この文明が造った○○主義の類は、全て一から見直した方がいい。宇宙やこの地球は、一部の人間たちだけのためにあるのではない。ここを履き違えた社会に、人間はどっぷりと漬かっている。薬漬けの人間は、治りが遅い。雑学に溺れた人間は、真理に気付けない。なぜか?総和ではない○○主義の類は、一部の人間たちが有利に働く仕組みになっていることを気付かせないようにしているだけ。既に人類の多くは、自分の思考で考える術を放棄してしまっ

あべこべになっている

人間の持つ心と体の二面性。心は内面であり、思考であり、見えないもの。体は外面であり、形あるものであり、見えるもの。人間は、これを両方持ち合わせているという真実をどのように捉えているか。例えば病について。体に起こる不調や疾患を心や気合だけでは治せない。また、心に起こる不調や問題を薬や手術で治すことは出来ない。全てとは言わないが、体に出る、起きる問題は、環境要因や食物によるところが大きい。然らば、その要因を取り除き、改善することが先決。心に出る、起きる問題は、人間関係や自身の内面

知恵はどうしたら身に付くのか?

人間は、人生をより良く生きていくための、それぞれの知恵が必要。しかし、この知恵は、人間が拵えた知識をいくら詰め込んでも一切身に付かない。では、どうすれば人間は、知恵を得ることが出来るか。それは、経験を積むしかない。知恵は、体験からでしか生まれない。これはゆるぎない真実。この真実を認めることで人生が劇的に変わってくる。人生、知りたいことがたくさんあるだろう。真実への疑問と探究心。人生とは一体如何なるものか。この宇宙の奇跡の仕組みはどうやって出来ていったのか。何の目的でこの宇宙が

全体との関わりの中の因果応報

まずは全体から知ること。宇宙の仕組み、創造の成り立ち、地球の奇跡、生命の神秘、人間の在り様、人生の目的…。全てに通ずる学び。今だけに必要なことを求めても、良い勉強の仕方ではない。全体のことは、今は必要ではないように思えるかもしれない。しかし、今必要なことを解決するためには、全体との関わりの中の因果応報であることを知る必要がある。でなければ、それはただの対処療法となり、根本的な解決にはなることはない。常にそのような限定的で短期的で、近視眼的な視座で、物事を捉えることを続けている

薄っぺらく、スカスカで、上っ面を撫で、堂々巡りの

人間社会の建て前は無用。実相は、事実と事実の交流の世界。本音だけが通用する世界。実社会で生きるには、建て前が必要に見えて、本来は全く必要ないもの。建て前は邪魔ものであり、事態を複雑にし、ますます混乱を呼ぶ。実相は、本音と本音がぶつかりあう世界だから、自分自身の人生観が確立出来ていないと見透かされる。嘘やまやかしが透けて見えてしまう。いい加減で、格好つけて、仮の生き方ばかりをしていると、本当に通じ合うものがないから、薄っぺらく、スカスカで、上っ面を撫で、堂々巡りの人生だから、進

今までの生き方を180度転換する時

人間、人生の一大決心をしなければならない時がある。全てを捨てて、生涯を掛けて、今までの生き方を180度転換する時。それは私情を超えているもの。即ち、自分がそうする、ということ以上に、そうさせられている、という見えない力が働いている。これが分からない人間は、私情が強く、大概が決心が付かない。従って、その先、何も起こらない。その時は、ほっと出来たとしても、その辻褄合わせは、老後や死後にいずれ必ずやってくる。何のためにこの世に生まれてきたのか、その約束は、自分が決めて願い出たもの。

生命は、本来、相補性を持っている

謙虚であれ。そうすれば、自分以上に分った人との運命的な出逢いがある。自分の分からない部分をそのままにせずに、求め続ければ必ず、適切なタイミングに出逢いがある。そして、過去の人生でどうしても分からなかった部分を知ることが出来る。後は、その時にどれだけのことが吸収できるか。悟れるか。与えられるか。その時まで、粛々と準備をしておくこと。世界は広い。どこにどのような人がいるか分からない。生命は、本来、相補性を持っている。足りないものを補い合う関係がある。そのピースが填まった時、人生の

更に持つ者はより重責を負っている

人間は、何一つ生み出していない。宇宙に全て在るものを使わせてもらっている立場。その決定的な真実を人間は分かっていない。多かれ少なかれ、自分のものだから、どうしたっていいと思っている。少しくらいは自由にさせてもらってもいいだろう、だって、自分なりに頑張ったのだから…。これこそ、片手落ちの思考である。手元にある物や金は、時代と共に受け継がれてきたものであり、その元の元は、創造主によって与えられたものである。従って、現代の人間は、その連綿と続く相続と流れの中で、その物や金の管理、運