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論語において、「一般的」とか言う、呪いが鉄壁。

あのね、ちょっと、私はね、
ただただ論語が哀れなだけなんだよ。

教科書でも習うのに、(ウチは専門校だったから習ってないけど)
受験にも使うというのに、
どこかの国では国教なのに、

「なんで文字通りの解釈をしたらダメなの?」っていう話。
現代まで続いた論語は、解釈至上主義なんだよ。
私は原文のありのままを提示したいだけ。
むしろ原文そのままがイイ事言っているんだから、原文でいいんだよ。

私なら、「イチゴ好きだよ」っていったのに、
「あいつリンゴが好きだって自分でいってたよ」って言いふらされたら、
ちょっと悲しいよ。
そして皆、私に「本当にリンゴが好きなの?」って確認もせず、
「リンゴ好きなんだってね、あなた」と疑いなく決め付けてくる。
もう、世界が嫌になっちゃうよ。
論語、2000年以上そういう扱い受けていて、訴える事もできないなんて、
何かしてあげたいなって、私の松果体がうずいちゃうんだよ。
誰だってそうする、普通の事でしょ?

でも、障害があるんだ。文字通りに読む原文の論語は一般的ではない。
原文の論語の為に何か書きたいのに、それはみんなに需要がないんだ。
一般的に必要とされているのは、一般的に解釈された一般的な論語だけ。
本当に良い事言っていたとしても、一般的でないという理由で却下される。
確かに、娯楽要素ゼロだし、真実はいつも凡人に厳しいし、異端すぎる。
文字通りに読むだけだから、一番シンプルで簡単単純なんだけどね…。

一般的に必要とされるものが作れなければ、無念を晴らす事はできない。
なのに、原文通りの論語に必要とされる道がない。一般的ではないから。
6回は書き直したけど未だに両者の得になるものが作れないわ。
悔しい、悔しい。
なんだよこの「一般的」ルール。イージーモード用の縛りプレイか?

さて、頑張ろうっと。
論語の無念を晴らす為に!(7回目に突中します~)

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