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#7 まいごのかぎの考察
こんにちは、私は小学校で教員をしています。
普段は「授業中に考えていること」などをnoteで紹介しているのですが
今回は、先日研究授業をした国語の教材について自分が考えたことを紹介しようと思います。
光村図書(3年生 国語)に「まいごのかぎ」という物語があります。あらすじを簡単にまとめると
①主人公のりいこは、図工の時間に描いた校舎の絵が、何か物足りないと感じて「うさぎ」の絵を付け加えてしまう。
②しかしその絵を見た友だちに からかわれてしまい、描いたうさぎの絵を自ら消してしまう。
③帰り道、落ち込んでいる歩いりいこは、道端で不思議なかぎを見つける。
④交番にかぎを届けようとする途中、木やベンチなど様々なものに鍵穴があることに気づく。りいこがかぎをさすと、かぎをさされた物が動き出す。
⑤はじめはその不思議な出来事にためらっていたりいこだが、その様子を「楽しそう」と思えた時、消したはずのうさぎがりいこの前に再び現れて、手を振って帰っていく。
というお話です。
つかみどころがなく何とも不思議なお話です。
数年前、初めてこのお話を読んだ時は、正直難しくて理解できなかったのですが、最近読み返して「こうかもしれない」という解釈ができたので今回紹介します。(あくまで私の考察ですので、この考え方が正解というわけではありません…参考程度にお読みください。)
この物語で私が、最も気になったのが、「りいこ」と「うさぎ」と「かぎ」の関連性です。
私自身の今の解釈としては
「りいこ(の本心、価値観)」=「うさぎ」=「かぎ」と考えるとつじつまが合うと感じています。
「うさぎを消したタイミング」と「かぎがでてくるタイミング」が呼応していることから、まずこの二つは関連性がありそうです。
また後半、りいこの気持ちが明るくなることに、呼応するようにうさぎが現れ、かぎが消えています。
これが正しい答えかはわからないですが、この三者の関係性を次のよう順をおって整理してみました。
・うさぎ=ルールに縛られていないものの象徴
・りいこの本心、価値観=本当はルールに縛られず自由にしていたいという気持ちがある。
・しかし社会的なルール(常識)から、りいこはうさぎ(自分の本心、価値観)を消して(否定して)しまう。
・すると「消えたうさぎ(りいこの本心)」の代わりとして「かぎ」が現れる。
・つまり「かぎ」は「ルールから解き放つものの象徴」として捉えることができる。
・つぎに考えるのが「木・ベンチ・アジ・時刻表」の4つのモチーフだが、これはりいこの本心や、価値観とは関係のないものとして考える方が自然である。
これらはおそらく物理的、社会的に動けないものの象徴として提示されていると考えられる。
・これらのものに鍵(りいこの本心、価値観)をさすという行為は、身の周りにあるものを「自由な発想でとらえる」ことを表している。
・ここでポイントなのは前半の3つの「木・ベンチ・アジ」はすべて「そのもの」にかぎさしているということである。動けないものもこんな風に動けたらいいなという願望も感じさせる。(しかしりいこはそんな自分の考え方を否定してしまうのだが…)
・4つ目のバスの時刻表に関しては、少し前の3つと違う。バスはそもそも動いているものだからである。りいこはバスを動かすためではなく、バスを「時間通りに動かしている」時刻表、つまり社会的なルールに自分で鍵をさして、自由にしたから、心が高揚したのではないかと考えた。
ここまでをまとめると
りいこは無意識だが、心の奥で社会のルールや常識に縛られたくないと感じていた。
→その象徴として、いろいろなものを自由に開放する「かぎ」がりいこの前に現れる。
→おそるおそるかぎを開け続けるりいこ=世の中にあるものを常識に縛られず見ようとすることへの挑戦ともとらえられる。
→かぎをさすたびに「これはおかしいことなんだ」「よけいなことなんだ」と葛藤しながらも、バスの時刻表に鍵をさしてルールを変えたことから「常識に縛られないことの素晴らしさ」を自覚する。
→りいこ自身が「自由」を自覚することで、かぎの役割は終わり消える→形を変えうさぎとして再び現れる。
→消したはずのうさぎに手を振る=自分の考え方に納得し、終着点を見出す。
という話なのではないかなと個人的には考えています。(何度もいいますがあくまで個人的な解釈です。)
授業では、私のこの解釈を伝えるのではなく、この解釈を越えて、子どもから別の解釈が生まれることを期待しています。(今まで授業の中で、子どもが教師の解釈を越えた気付きをするということは結構あります。)
あくまで、いち個人の想像でしかありませんが、物語の意味が自分なりにつながったときに、
何年たっても「あ、こんな読み方もできるかも」と新しい発見をできるのが物語文の最大の面白さだと思っています。
私の解釈を子どもに伝えたいというよりも、「子どもたちならどのような解釈をするのだろう」と、一緒に教材研究を楽しむような気持ちで授業をしています。
また機会があれば、「まいごのかぎ」の気づいたことを紹介できればと思います。