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#20 教師の仕事はなぜ大変なのか

今から例え話をしてみるので、頭で想像しながら読んでみてください。


今からA、B、C、D、E五つの作業を行います。
一つひとつの作業は20分程度で終わります。

すべての作業は何分で終了するでしょうか?


単純計算で20分×5=100分間 
多く見積もっても2時間あれば全部の作業は終了しそうです。

では、次の指示を読み、頭の中で想像しながら作業をしてみてください。


・Aの作業から始めます。データを正確に記録していく作業です。B、C、D、Eも同様の作業です。

・データは全部で40あります。1、2,3…と順番に記録し、19番目になったら一旦止めて、今度はBの作業に移ってください。

・Bの作業を始めて、20分たったらBの作業を中断し、Aの作業の続きを再開してください。

・Aの残りの作業がすべて終了したら、Bの作業の続きを開始してください。

・17番目の文字は緑色、26番目はオレンジ色、37番目は水色に変えてください。

・2,7,9,27番目のフォントは明朝ではなくゴシックにしてください。

・32番目のデータは見やすいようにポイントを大きくしてください。

・データがそろっていない場合は、データを取り直して入力をしてください。

・データがそろわない原因を確認して、別紙に理由を記入または、関係する部署に連絡してください。

・一日後に全てのデータがそろっているかもう一度確認してください。

・三日後に今度はF、G、H、Iの4つの作業を行います。A~Eの作業がすべて終わっていなくてもF~Iの作業を開始してください…

読みながらどんなことを感じたでしょうか?

・やることが多すぎて何をやればいいのかわからない。

・作業の進捗状況が分かりにくい。

・同時にいろいろなことを言われて覚えきれない。

・こんなことしていたら間違えるでしょ。

・なんで一つひとつ順番にやっていかないの?

・効率が悪すぎる。

・そもそも何故データがそろわないのか。

・段取りがよくないのでは?…

などいろいろなことを感じたのではないでしょうか?

指示が多すぎて、途中で読むのが面倒くさくなってしまったかもしれません…


こんな長くて分かりにくい文章を読ませてしまいすみませんでした。

しかし私たち教員の仕事は、これと同じような事が日々起きていると思います。


・休み時間に遠足のバス会社に確認の連絡をしようと思っていても、校庭でけがをした子がいれば、最優先で子どもの手当てに向かいます。バス会社への連絡は給食の時間か、休憩時間に行います。

・明日のテストに向けて授業を進めなくてはいけなくても、体調が悪くなった子がいれば授業を一時中断して子どもの容態を確認します。

・給食中、嘔吐してしまった子がいたら、自分の食事などしている場合ではありません。床に漂白剤をかけ、床をふき取り、嘔吐物がついた食器は、密閉された袋に入れて、すぐに給食センターに連絡をして、個別に回収してもらうようにします。


・修学旅行の食事の手配でも、アレルギーの子がいれれば、一人ひとり、食べることのできる食材の細かな連絡を宿泊先にします。

・手紙も一斉に配付するも物もあれば、地区や、兄弟関係によって、個別に配るものもあります。


・尿検査や、水泳の参加確認書、集金など提出物がそろわなければ、家庭に連絡をします。


ケガしない、ケンカしない、提出物をちゃんともってきてほしい…ということをここで訴えたいわけではありません。


学校にはいろいろな仕事がありますが、先生は、効率よりも、何よりも子どもたちのことを優先して行動している方ばかりなのだと思います。

ひとつの仕事をする中にも「子ども一人ひとりの背景が関係している」だから教育は作業のように進めることはできないと思うのです。


子どもにもいろんな背景があります。しかし教師にもそれぞれの背景があります。

時間内に終わらなかった仕事はすべて、何かの時間を削って間に合わせているのだと思います。

ある先生は睡眠時間を、ある先生は家族との時間を、ある先生は休日の時間を削っているのかもしれません。

私もこの仕事をしているので、全国の先生方がそうやって日々の仕事を回しているのは何となくわかります。


教育関係者でない方から見ると「なんで学校はもっと効率的にやらないんだろう」と思われることもあるかもしれません。

でも「効率性」「作業性」だけで進めることのできない、いろいろな人のいろいろな背景が教育現場にはあると思うのです。


これは教師目線の意見なのかもしれませんが

配付された手紙、丸付けされたテスト、宿題のプリント一枚の背景にも、先生たちの無償の時間が使われている場合があることを、たまにでいいので想像していただけると嬉しいです。

これはあくまで私個人の考えですが、先生たちはそれに対して「ありがとう」とみんなからお礼を言ってほしいわけではないのだと思います。

「その子どもたちのために使った時間や、気持ちを少しでも保護者の方にわかってもらえるだけでまた頑張っていける」そんな先生も多いような気がしています。

ここまで学校の事ばかり話してきましたが
・今日も公園のごみがきれいに拾われていた。
・花壇の土に水があげられて湿っていた。
・会社の印刷室のコピー用紙がきれいにそろっていた。
・雨の日に床で足を滑らせないように、モップで水が拭き取られていた。

学校に限らず、きっと世の中のあらゆる仕事は、そういった「誰かの見えない思いやり」で成り立っているのだと思います。

自分も未熟ですが、生活の中でそういう見えない優しさや、相手が使ってくれた時間を想像できるようになりたいと思います。



学校の先生、保護者の方、教育関係の方、どんな立場の方が、この記事を読んでくださっているかはわからないので、教員目線の偏った内容だと感じられたかもしれません。

教師も家庭も、お互いが「相手の立場を想像」していける学校になれるよう今自分にできることを考えてみようと思います。

休日にふと思ったことを書いてしまいました。

おいそがしいなか最後まで読んでいただきありがとうございました。