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”同性カップル”に「結婚」は必要ないのかもしれない


はじめに、あなたがこの文章を読むにあたって、
私がつけた”少々過激なタイトル”の解釈を、早とちりせずに、
記事の最後まで、しっかり考えてくださることを切に願います。


近頃、同性婚を法律で認めるための活動が、
以前に増して活発になってきていることをご存じだろうか。

代表的な活動が「結婚の自由をすべての人に訴訟」である。

これは、同性婚を法的に認めてほしいという思いから、
2019年2月以降、複数の同性カップルが全国5つの地方裁判所で
国を提訴している訴訟である。

そして先日、札幌地裁において、
原告・証人に対して「尋問」が行われた。

この場合の「尋問」とは、言葉のイメージ通り、
質問と答弁が繰り返されることを指す。

原告・証人が自身の言葉で、
現在の日本において、同性婚が法律で認められてないことが、
自分達にとってどのような不利益を引き起こすのか等を、
個人的なエピソードや感情を用いて、答弁する。

この尋問は、今回の訴訟の中でもとりわけ重要な局面であり、
言うならばこの訴訟においての佳境であった。

なぜなら、この尋問にたどり着くまでは、
ほとんどの内容が、法的な側面でしか議論されてこなかった。

つまり、「同性婚を認めないことは憲法違反であるか」を
憲法の条文からのみで見極めていたのだ。



少し余談だが、結婚に関する憲法の条文は、
ある一文において様々な解釈が可能であるため、物議を醸している。
その一文がこちらである。

憲法24条1項「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」

この条文を読み解くにあたって、
キーワードとなるのは、冒頭に記された“両性”である。

この両性という言葉は、二通りの解釈ができる。

一つ目が、
「両性とは、男性・女性の二つの性を指す言葉であり、
その二つの性のどちらかが伴わない同性婚は、憲法違反にあたる。」
というもの。

二つ目が、
「両性という言葉が、必ずしも男女の二性を必要とすることはない。
性を持つ二者がペアになれば、その二者の性がそれぞれ何であろうと
両性である。従って、同性婚は憲法違反にあたらない。」
という解釈である。

ちなみに、二つ目の解釈を取る立場の中には、
「むしろ同性婚を法律で認めないことの方が、
個人の尊厳を傷つけているので、憲法違反である。」
と考えている人も少なくない。

この二つの解釈のうち、裁判所がどちらの見方をとるか、
個人的にも非常に興味深いポイントである。


話を戻します。

法的な側面(=憲法)でしか議論を進めないということは、
「例えどれだけ国民が苦しんでいても、憲法にないことは認めない」
ということと同じであろう。

果たしてそれは良いことなのか。

もちろん憲法を蔑ろにするわけではない。
先人の知恵が詰まった最高法規を易々と覆していては、
日本社会は早々に沈んでしまう。

しかし、この問題の重要さ、深刻さを、
私たち国民が感じることができたなら、
変革が必要だと望んだなら、
「移りゆく時代と共に、改憲を行うこと」も視野に入れねばならない。

法のための人ではなく、人のための法なのだから。

このように、上記の理由から見ても、
この訴訟において、原告・証人の生の声を聞ける「尋問」が
重要なものであるとお分かりいただけただろう。

そして、先日尋問終了後、数組の同性カップルとその親族、
弁護士団も交えた「オンライン報告会」なるものが開かれた。

一般社団法人MarriageForAllJapanの主催するこの報告会では、
原告たちの「愛する人と結婚がしたいだけだ」という
強い気持ちが表明されており、心が揺さぶられた。

個人的には、この訴えが国に認められ、
原告団に限らず、日本国民皆が自らの愛するパートナーと、
何にも縛られることなく、幸せに暮らせる日が来ることを、希う。



長くなってしまったが、この記事の本題はここからである。

上記で述べた通り、日本での同性婚実現は、
そう遠くない未来にあるのかもしれない。

しかし、私はここで、根本的且つ基本的なことを再考したい。

『”同性カップル”に「結婚」は必要ないのかもしれない。』

私がこう考える理由を説明するには、
まず「結婚とはなにか」を見つめ直していくところから始めたい。

そして、ここから先は何とも都合が良いようだが、
”私の理想社会”ではなく、”現実社会の個人的分析と感想”
を述べていると思っていただけると有り難い。


日本社会における結婚とはなにか。

それは、「国が作り出した利権」だと私は考える。

つまり、結婚の本質=「愛する二人が忠誠を誓う契約」ではなく、
「国のためになりそうな人向け特権詰め合わせパック」ではないだろうか。

正直このような言い回しをするのは心苦しい。

今まで結婚をしてきた人、加えてこれから結婚したいと考える人、
その多くが、「パートナーと一緒になることで幸せになりたい」と
思っているだろう。

永遠の愛を誓うためだと考えている人も多いかもしれない。

しかし、結婚とは本来そのためのものではないのだ。

事実として、結婚をするのにお互いが愛し合っている必要は無い。
その証拠に、二人に愛があるかをチェックするような手続きも無い。
極端な話だが、愛がなくても結婚はできる。
(貞操義務は存在するが、そこはまた少し別の話になるので割愛する。)

そして結婚には、もっと別の役割がある。

この辺りは(不勉強でお恥ずかしいが)あまり詳しくない分野なので、
長々と話しても、ボロが出てしまうだけで、お粗末な文になってしまう。

従って、簡潔にまとめさせていただく。

日本では、結婚をすると様々なメリットが生じる。
国からの扶養控除・配偶者控除・年金扶養控除・
児童扶養手当・児童手当etc. 

このような税金関連の優遇が、その主たるものである。

では、このような制度が何故存在するか。
決して、愛を誓った二人へ向けて国が出すご祝儀ではないだろう。

国がメリットを与えるのであれば、
それ相応の対価を欲しがっているのかもしれない。

そうなると、考えられる理由は一つ、
結婚という優遇制度があるわけは、
「結婚をきっかけに子どもが生まれるから」だ。

リプロダクティブ・ヘルス/ライツが一般化した現代において、
結婚=出産という考え方が、どれだけ時代遅れかは説明するまでもない。

しかし、現実に、少子高齢化社会の解消には
出生率の増加が必要である。

働けなくなった高齢者の年金を、
若い世代の人々が納める年金・税金で賄わなければならない。

生まれてくる子どもがいなくなれば、
現在の年金制度は間違いなく崩壊し、日本社会は破綻する。

であれば、結婚した夫婦に利権を与えて、金銭的な余裕を持たせ、
子どもを産み育ててもらいたいと考えるのは、おかしな話ではないだろう。

実際日本の場合は、とくに子どもを産み育てるうえで、婚姻届をだして、
法的な婚姻関係を結ぶことが非常に多いという特徴がある。

私が何故この話をするかというと、
同性婚反対派の一部には、
「子どもを作ることができない二人に利権を与える必要は無い。」
と言う人がいるからである。


説明には及ばないかもしれないが、念のために書いておくと、
同性カップルも、様々な方法で子どもを授かることが可能である。
また、同性カップルが養子縁組を組むことができれば、
単純に受け入れ先の分母が増加することで、孤児の減少にも繋がる。

上記のような意見は、
異性カップルであっても、子どもを持たない/持てない例があること、
同性カップルであっても、子どもを持つことができる例があることから、
間違っていると言える。

しかし、民主主義国家である日本において、
どんな少数者の意見も無視することは許されない。

同性カップルと限定することは(かなり)乱暴であるものの、
子どもを作らない・持たない人たちに結婚という利権を与えることは、
適切なことではないのかもしれない。

そこで私が提案したいのは、
結婚とは似て非なる制度を作り出すことだ。

私たち日本人は、結婚にこだわりすぎている気がする。
だからこそ、その固定観念を壊してみたい。

例としてあげられるのが、
スウェーデンでのサムボ婚、フランスでのパックス婚だ。

この二つを簡単に説明すると、
日本における同棲又は事実婚状態のカップルを、
法的・社会的に認める制度である。

日本では、法律婚が一般的であり、
事実婚カップルは増えてきているもののそう多くない。
他国と比べてみても、より固い結婚にこだわる傾向がある。

そんな日本にも他国のような、柔軟で、結婚に近い制度があれば、
多くの人々が、それぞれの理想を叶える制度を選ぶことができ、
利権に関しても調整することが可能ではないだろうか。

同性カップルが、パートナーシップ制度よりも結婚を望む理由として、
財産分与請求権や相続権、遺族補償および遺族補償年金の受給権などが
よく見られるが、これらをカバーできる制度があれば、
結婚にこだわる必要はないのかもしれない。

そして、私が言いたいのは、
子どもを持つことが当たり前だった時代に作られた結婚制度は、
現代の私たちに似合わないものになってきているように思える
ということだ。

女性の自立化、男女共同参画社会の一般化、
個性の重要さが強く語られる今、なぜ従来の結婚をする必要があるのか。

人々の、それぞれ結婚に求める事柄が、あまりにも違いすぎる。

私たちはもっと選べて良いはずだ。
自分とパートナーの、在り方や、生き方を。

自分の理想に最も近い制度を。


従って、この記事のタイトルは少し言葉が足りていない。

私が考えることはこうだ。

”同性カップル”に「結婚」は必要ないのかもしれない
ではなく、

正しくは、
『性別問わず”全てのカップル”に、「結婚」は必要ないのかもしれない。』

もちろん法律婚が悪いわけでもないし、
結婚したい人はできるのが一番だろう。

だがそれよりも、新しい価値観を落とし込んだ、
婚姻スタイルをとる制度が、現代の日本人にはよっぽど必要だ。

自分たちの望みに適した制度を利用すべきだ。

結婚にとらわれる必要はないと訴えたい。


長くなってしまい申し訳ありません。
稚拙な文章にはなってしまいましたが、
私の考えや気持ちが少しでも伝われば嬉しいです。

今はまだ絵空事でしかないことを書いているかもしれませんが、
この記事を読んでいただいたあなたに、
結婚とはなにか、改めて考えて欲しいのです。


そして、本当に私たちが必要としているものを考え、
その最善を実現できる世の中へ変えていきたい。

愛する二人が、不条理な法律によって引き裂かれないように。

皆が笑って幸せに暮らせる未来のために。


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