あなたの寿命=お金の寿命と割り切ろう
子どもはいません。
パートナーにも先立たれ、親兄弟も亡くなっているとしましょう。すると、病院のベッドの上で、年老いたわたしは何を思うのでしょうか。
―わたしが死んだら、私のお金の価値もゼロになるのだ。―
お金は、その保持者(ひと)が働きかけ、具体的に何事かに変換されることで初めて効力が生じます。「ひと」がお金に働きかけが出来ないと、たとえ8000万円の資産があっても、そのお金はただ滞留するだけです。
パーソナルファイナンスでは、あなたの寿命=お金の寿命と割り切ることが案外重要と考えます。あなたの寿命とお金の寿命が同じであれば、資産の価値は本人の死が近づくにつれ、減じていくわけです。
最初に、Aさん(30歳)とBさん(60歳)の比較をしてみましょう。
AさんとBさんでは、人生における立ち位置が異なります。30歳は人生の「上り」です。お金を貯めることだけでなく、自身のキャリア形成、ライフイベントの消化に熱心であるはずです。Aさんは目指すべき己の具体像を探りながら、実際に人生を作っていくことに無我夢中なのです。
いっぽう60歳はすでに「下り」の入口です。自身のキャリアのエンドが見えてきます。Bさんの暮らしの中身は固まっており、これまで形成したものを整理整頓し、どうやって「崩して」「用いるか」というアウトプットを意識するようになります。貯めたお金も使っていく段階に入ります。
Aさん・・中身を作る(=インプットする)
Bさん・・作った中身を(アウトプットする)
まるで違いますね。
続いて、Aさん(30歳)とCさん(80歳)を比較してみましょう。両者は好対照です。Aさんには時間もエネルギーもあります。しかし、やりたいことを実現するための「お金」が足りません。いっぽう80歳のCさんにはお金は充分あります。しかし、すでに「時間」と「エネルギー」が限られています。
Aさん・・お金が不足
Cさん・・時間が不足
ほんとうはAさんの「時間」とCさんの「お金」を交換できればよいのですが、それは叶いません。お金と時間とでは、本質的性格が異なるためです。
では、Cさんの「お金」をAさんに譲るのはどうでしょうか。それは可能です。お金は贈与できますし、間接的には寄付という形を取ることも可能です。政府が間に介在すれば、徴税という形もあり得ます。
ところが、Aさんの「時間」をCさんに譲ることは出来ません。お金は公共的性格を有しますが、時間はその人「固有」の資源であるためです。
そう考えると、Aさん(30歳)が持つ1000万円と、Cさん(80歳)が持つ1000万円の価値はまったく異なることが分かります。同じお金のボリュームでも、保持者の年齢が若いほうがお金の価値は高くなるのです。
ほんとうは50代後半にもなれば、お金の効用は逓減するため、用いる(使う)ことを意識し始めなければなりません。何しろ、あなたの寿命=お金の寿命なのですから。
しかし多くの人は、ひたすら蓄財し、60代になっても70代になっても、お金(数字)を積み上げようとします。
最初に貯蓄を始めたとき、お金を増やして自分の生活を豊かにしようと思われたはずです。貯めるが「手段」で、お金を用いるのが「目的」とイメージされていたはず。喉元過ぎれば熱さを忘れると云いますが、年月を重ねるうちに、自分の心変わりに気付くのです。
―大きくなりつつある資産額そのものに、満足している私がいる。―
増えるお金(数字)そのものに喜びを感じて、気持ちがそちらに寄り添ってしまう。それだと、あなたはお金を奴隷にしているだけです。
お金との付き合いでは、「上り」と「下り」を明確に意識する必要があるでしょう。若い時は自分の「時間」を使って、懸命に「お金」を積み上げます。しかし年を重ねる途上で、「お金」を用いて「時間」を買う重要性に気付かないと、あなたのお金は宝の持ち腐れになってしまいます。
人生の時間は逓減していくだけですが、実はお金の価値も減っていくだけなのです。
わたしの愛読書である『DIE WITH ZERO』では、
と喝破しています。
その通りだと思います。
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