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別に聞き取れなくても良い英語もある

昔は英語が得意だった。
高校時代にもそれなりに勉強をした。
しかし、今となっては当時の能力はどんどん落ちていき、
読む・書くは何となくできるが、話す・聞くという、より重要であるコミュニケーションの根幹の部分はてんでダメである。
コミュニケーションのためにある言語の、コミュニケーションの部分が出来ないのだ。
唯一出来た英語でのグッドコミュニケーションも、大学生の時に、鉄道関係のバイトをしていた友人が「バイト中、スマホを汚い油の中に落とした」という話を聞いた僕が「like a TENPURA」と言って、同じ研究室の留学生の先輩を大爆笑させたくらいだ。

よく困っている外国人に声をかけられる。
話せやしないのに、なんか英語できそうな雰囲気でも出してしまっているのかもしれない。そこは自分が悪い。
それでも、新幹線内で声をかけられればおそらく、駅構内の道案内か乗り換え困っている案件だろうと推測され、一緒に調べてあげるなり、何とか対応できる。
大学時代に、僕の自転車を併走してきた知らない外国籍の男の人に、『一緒ニ◯×△※シマセンカ?』というスーパーストレートスケベなお誘いを浴びせられた時には、言語は身を守ると実感した(当時は確か意味が分からずに「アウェアエ?!」みたいな返事をしたと思う)。

先日、ある場所でエレベーター待ちをしていた時に、外国圏の方から「English , OK?」と、声をかけられた。
こういう時にどうして「いいえ、全く」と素直に答えられないのだろうか。
それはきっと、認めたくないからである。
「yeah, a little」と、ちょっと『ぽく』答えてしまうのが自分の弱点である。
そして二人で同じエレベーターに乗り込んだ。

そこから突然のリスニングテストが始まる。
もちろん目の前に選択肢はないし、モブみたいな男性がフルーツを手に持っていたり、帽子を被った女性が時計の見える駅で友人を待ち合わせていたりはしない。
生身の人間が僕の目を見て返答を待つタイプのテストである。
流暢に話を始める相手の人。
…いや、本当に分からない。この人は何を言っているのだろう?
『…… Footbool game …… at Wednesday …?』
なんだ?この人はサッカーをしたいのか?水曜日に?
それを何で僕に言ってくるのだろう?言語の壁に厚く阻まれる。

ところが僕はサッカーに関して特に知識を持ち合わせていなかったので、この近辺のサッカー事情は何も教えられない。ラッキー!こういう時は、
『sorry. I don't know.』と言えばいいのだ。だって本当に知らないのだから。

早速そう発話をすると、それでも諦めずに外国の方は僕に疑問をぶつけてくる。
もしかしてこれは、はい、いいえで答える二択ではなくて、自由記述式のリスニングテストではないか?と気づき、かなりまごまごしてしまった。

見かねた外国の方はスマホを取り出し、翻訳アプリに自分の思いを吹き込み始めた。そこで考える。そうか、この人はこの人なりに困っているのだ。
だから何としてでも今、誰かに助けてほしいのだ。
世はグルーバル社会。国家間の壁など感じさせないほど世界は溶け合ってきた。
僕にもできることはあるのだろうか。だとしたらしてあげたい。
この外国の方は、自身が降りたいフロアに着いても、エレベーターのドアとフロアの狭間にたって、一生懸命声を吹き込んでいる。「ちょっと!ドアが閉められませんがな!」と、ブーブー鳴り続けるブザーを無視してでも、伝えたい言葉があったのだ。

そんな崇高な使命感のもと、僕はスマホに表示された日本語の羅列を見た。

「今週水曜日に開催されるワールドカップのドイツ対日本、あなたはどちらが勝つと思いますか?」

僕は答えた。
『sorry. I don't know.』

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