春はいつ来る?
さて、今までアメリカに来て、一文無しから 引っ張りだこプログラマーに成るまで、ざっと書いて来たけど、今回はね、
自分の夢だった事、愛している事などを書いてみようと思う。
我が母は、メンタル的に弱く、フィジカル的に暴力で有った。
小さい頃から自己を哀れむ事だけに必死だった母は、当然子供たちの心や成長などに気を向けられなかったどころか、容易に幼い心をずたずたに怖すような言動は毎日、毎日終わる事を知らない壊れた機械の様に続いた。
その上学校でも浮きまくり、先生やある種の生徒にさんざん虐められた。 着ている服や、言葉使い、行動、考え方の違いが気に入らない人々を不快にさせるのだ。 解っていても自分を殺して付いていく器用さは無かった。
そんな中、音楽が僕の逃げ場だった。 その内いろいろな感情が芽生えていく。 捌け口、喜び、発散、教訓、支えに代わり、音楽をしている時が一番自由で楽しかった。
それでも音楽を人前で披露することはとても難しい事だった。 女の癖にギターとか、ドラムなど叩いて気に入らねぇとか、 いちびって
かっこつけて気に入らねぇとか、 演奏しようとしても
『あいつが出るなら俺たちはやらない』とか、
邪魔をする人たちは沢山居た。
母も当然その一人だった。
『あんたなんかが歌ったって誰も喜ばないわよ』っと何度も言われた。
歌声を聞いて物凄く褒めてくれる人もたまに居たけど、
殆どチャンスはそぎ取られていて、邪魔もの扱いされたり煙たがられたり、 文化祭から ちまたのオープンジャムセッション会などでも嫌がられ、無視されたり、やっと上がれたステージでアンプラグされたりもした。
40歳に成って、カリフォルニアでバンドを始める事になったのは奇跡に近い出会いだった。 中国人の知り合いに連れ出され、オープンジャムを見に行った。 白人たちが面白がって何か歌えと言ってきた。
それでも今までの経験で、どうせ嫌がられる、っと思っていたし、アメリカで人前で英語で歌う勇気など無かった。
しかし、あきらめの悪いホストマンが、ついにベロンベロンのかねちゃんをステージに立たせた頃には、歌詞など全く思いつかづ、ただただ OH ベイビーを繰り返す無様なステージとなった。
ところが、それを聞いていたベースのマイクが 何かを感じたらしく、バンドに誘われる。
初めてのスタジオ練習で、ギターのあんちゃんの挑戦的なあおりを食らって、歌えず、 またダメかと思ったら、ベースのマイクからギターを変えるからもう一度やって見ようと言われた。忍耐強いやっちゃ!
知り合いの旦那の友達のギター弾きに声をかけて、二度目の練習で、何とか歌うことが出来た。
それからと言うもの、僕たちは週末の夜にローカルミュージシャンとして活躍した。作曲も沢山したし、結構いい線なローカルミュージシャンまで漕ぎつけた。 ファンもちらほら居たけど、日本人の友人はあえて、かねちゃんバンドを避けて、誘い合って避けられた。
そんな中、かねちゃんの仕事事情が変っていき、父が病気を患い、母が老人性痴ほう症になり始めた。 ここで、バンド活動は続けられなく成っていく。
いろいろな仕事をこなし、北カリフォルニアに移り、ほんのひと時の息抜きに参加したオープンジャムでも、敬遠される。
かねちゃんが歌いだすと人だかりが出来るほど、
アジアのちび女はでかい声が出て、物珍しかったらしく、それが気に入らないミュージシャン達は男女ともどもとても意地悪で、かねちゃんの出番を無くす事に必死であった。
もうそんなことが嫌になって、両親のニーズに応えている内に、アリゾナの仕事のオファーを受けた。
やはり息抜きに探してしまうオープンジャムで素敵な人たちに出会う。(アメリカ人)
それでもアリゾナの日本人祭り等には出る所か、まったく無視されるほど、地元のパフォーマー気取りの人にしっかりブロックされている。
なので、かねちゃんは日本がらみの催し物には一切出ません。 って声がかかると受付のボランティアをやれ等と言われます。
まっこんあ風に音楽をやる事が大変難しい状況の中、 多少かねちゃんを認めてくれる人は居て、そこそこ楽しむ事も多少は出来ました。
コロナ騒ぎが起きて、人が出入りしなくなった頃、フェースブックのグループで弾き語りを始めました。
今までバンドでボーカルだけだったので、ギターも下手くそですが、何とか楽しく自分なりに楽しめるように成ってきました。
沢山の人に見て貰えてとても幸せです。
それでもlive配信やステージは緊張してしまってまともに出来ません。
それと長年の恐怖心と、人を不快にさせてしまう自分の何かが気になって 固まってしまうのです。😒😢
ここまで来ると被害妄想と言うものも付いてきます。🤣😂
だから、素敵な人はどんどん褒めてあげたいっと思うのです。
恐怖心で自分を閉じ込めてしまわないように応援したいのです。
音楽はかねちゃんをそのように成長させてくれました。
これからも手が使える限り、声が出せる限り歌い続けていきたいです。
自分の為、後輩の為、自分のスタイルを楽しむお手本になれたらいいなと思うのですw。 😊😊😊
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