見出し画像

やられたら……?

滅多にしないのだけれども、Twitterでアンケート取ってみた。夜中だったし、テーマがテーマだからそんなに母数が集まらなかったけど、参考にはなりました。ご協力頂いた方、ありがとうございました。スクショも撮りました。↓はスクショ

わずかだけど、やられたら法や倫理に反しない範囲でやり返すがトップでした。ま、スルーとほぼ同数ですけども。


やられたらやり返すべきか、やり返さない方がいいのか。それはケースバイケースだとは思う。

私も言いたい事は言うし、言わなくちゃいけないときは言うけれど、言われたから即座に言い返すことや、やられたらやり返すみたいな発想は小さな頃から大人になるまでほぼ無かった。自分が悪いのかもしれないし、相手の言い分も聞いてみないと分からないし。

子どもが保育園時代に比較的仲良くなったママ友の方が、ご自分のお子さんが弱くて、すぐにいじめられやすい事に悩まれていた。言い返したりやり返したりできないと。だから、お子さんにはやられたらやり返してやれ! そんなだからいじめられるんだ! と教えているのだとその方は仰っていた。

私は少し驚いて、そういう考え方もあるのか、と思い、その場では何も言わなかった。

私はやられてもやり返すな、理不尽なことをされたら「やめて」「どうしてそういう事するの?」とその場で相手に伝えなさい。それでも相手がやめないなら大人に言いなさい。自分がされて嫌な事は相手にもしない。やられた相手に同じようにやり返したらあなたも、その嫌なことをする相手と同じになってしまうんだよ、と。

でもこれは良くない事だったのかも?

子どもはなかなか言い返せない。やめて、も言えない。なんで? も聞けない。それで手や足が出ちゃうんだけど。それを止めるとどうなるか。

やられるだけで恨みが募るのではないか。

あるいは、相手が助長してもっとやってくるのではないか。

そしてある日恨みを溜めた、ずっとやられていた側が、爆発してしまい、悲しい事件へと発展するのではと思う。いや、私なら行き違いが生じたのかもしれない部分まで行ってやり直したい。あ、そういうドラマもあったね。選タクシー…とか?

Twitterなどで言葉のやり取りがヒートアップして、喧嘩腰のような論客たちによるバトルが勃発するのを見かけると、私はそっ閉じしてしまう。あれはそっと距離を置くのが正解というのが大方の人の意見だろう。私もそう思う。でもそのもつれて絡まってしまった糸を、どこからもつれた? と探ってほぐしたい気持ちにも時々なる。まぁはたで見てるだけだから、実際はしないんだけど。ドラマだな、と思うだけ。

ケースバイケースだ。相手との距離感が元々どうだったのか、何についての議論なのか。それによっては、落ち着いた場での第三者を交えての話し合いなどを持ってお互いの思いを交互に出し合う機会を得れば、和解につながる事もあるかもしれない。いや、近しい仲になっていたからこそ、修復不能って事もあるが。

面倒だねぇ。

たかがネットの繋がり態度なら、スルーかブロックで終わらせた方が簡単でスマートだ。だから多くの人がそうするのだろう。

でも見ていると、距離を置かれた側の方が恨みを募らせているように見えることが多い。その後もしつこくつきまとうようになったり、別の場所で悪口を言いふらしたりする。やられた方が我慢してスルーしてるのに、と傍目で見て気の毒に思ったりもするが、やられた方って、どっちもやられた側と思ってるかもしれないしな。なんとも言えん。

正解は難しいな。

そう。私はここのところ敵討ちについて調べていたのだ。それでふとアンケートをとってみたくなったようだ。

江戸時代は敵討ちが認められていた。もちろん、主君の、親の、兄の敵に限られてはいたのだけれどもね。弟の敵、妹の敵は討てないみたい。家父長制度なのね。あと、妻が姦通した場合はその相手の男と妻に対してする敵討ちはオッケーだったようだ。女敵討ち(めがたきうち)というらしいのだが。逆はダメなのね。男敵討ち(おがたきうち)はないの。不憫。以下は敵討ちWikipedia↓

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B5%E8%A8%8E

1837(明治6)年2月7日は復讐を禁止する「敵討ち禁止令」が明治政府から出された日なのだが、それからちょっとして決闘も禁止になった。警察がちゃんと法によって処罰する、という事になったのだ。でも、古今東西、物語や演劇などで敵討ち物は大人気のネタだ。どの時代の人もみんな日常的に恨みを溜めたり、頑張ってそれを忘れる努力をしたりしているからなのかな。テーマとして普遍的なのだな、と思った。調べているうちにだんだん面白くなってきた。

鬼滅の刃なんかは、鬼退治の話だけど、勧善懲悪でもないし、なんというか相手をやっつける、やり込める、という物ではない。罪を憎んで人を憎まず……あ、いや鬼か。鬼にも鬼にならざるを得ない事情があったりなかったり。最後は相手を尊重しながら倒す。アンパンマンもそうか。バイキンマンをやっつけたりはしない。ふっとばすだけ。ヒーリングッドプリキュアも。ケアする、という表現をとる。お大事に、なのだ。鬼滅も鬼というのは悪い奴のメタファーだとして、鬼だって人だった、という考えだしな。ま、人が鬼なのだろうけれども。

この前NHKの『歴史秘話ヒストリア』で菅原道真の事をやっていたけれど、あれも興味深い話だった。道真は政争に敗れ、太宰府に左遷され、その地で非業の死を遂げた。その後都で怪事件や天変地異が続き、当時の人たちに道真は鬼になったのだ、道真の祟りだと恐れられた。そうして祟り神にまでされて、やがて学問の神様として神社に祀られるまでになった。それは道真が愛されていたから、とも言えるが、それだけ誰が見ても彼が理不尽な目にあったと分かっていたのだ。分かっていても誰も助けられなかった。だから「あの人は祟り神になってもおかしくはない」と思われた。政争に敗れるとはそういうことだ。帝に彼の才能や叡智を愛されすぎたのかな。それに応えようと努力した人なのに。都には彼を陥れた心当たりのある人が何人もいたので、そりゃあ生きた心地もしなかっただろうね。政争というと大仰だけど、やっかみだよね。才能への嫉妬。お上に重用された事への嫉妬。

本当に何が正解なのか分からない。

ドラマや物語なら面白いけど、現実の問題の渦中の人物にならない為にはどうすればいいのかね。まぁ、都度、誠実に対応するしかないのだろう。やられたら、適度にやり返す事は大事なのかも。相手との距離や意見や価値のすり合わせのために、多少骨が折れても言うべき時は言う。聞くべき時は聞く。それと即座に言い返せなくてもいいとも思う。即座に言い返しているとただの喧嘩になる。論破した方の勝ち、だと意味がない。逆恨みや言いがかりが生まれる元になる。いや世の逆恨みや言いがかりは生まれるのを避ける方法は無いと思う。それは仕方ないことなのだ。理不尽だけど。『鬼滅の刃』の上弦の壱も嫉妬を糧に鬼になってるしな。『麒麟がくる』の信長もね。あ、この2人似てるかもね。


ちなみに。

うちの子たちに関して言えば。

長男は黙って相手の文句を聞いた挙句に我慢して恨みを溜めるタイプ。まぁ私の知らないどこかで爆発させてるのかもしれないけど、他人と揉め事にはならない。ただ、成人式にも出なかったし、二度と小中時代の同級生達には会いたくない程度には恨みを溜めてるのかな。家ではちょっとした小言に切れてリビングのドアにハマってるガラスにヒビを入れる程度には小爆発してます。それも中学生くらいの頃の話だけど。

次男は相手が一番嫌だと思うだろう嫌味な言い方で相手に言い返して、二度と同じように自分に斬りかかってくることがないようにやり返すタイプ。これはこれでいつか刺されないかと心配。小学生の頃、イザコザのあった相手の子の親から電話がかかってきて、私は菓子折り、子どもの書いた反省文を持って謝りに行ったことがあった。相手の子が学校に行かない、死にたいと言っていると言われたので。なんにせよやり過ぎたのだ。話を聞くとうちの子が悪いなと思った。きっかけはともかく、うちの子の対応内容が悪すぎる。なかなか悩ましい。今はちゃんと加減しているらしい。ちゃんと適切にやられたらやり返しているようだ(本人談)。でも本当に言うべき事をストレートに伝えるというより、遠回しで嫌味なやり方をしているみたいで、相互理解への道のりはまだまだ遠い。次男の友達に「俺を練習台にして、ちゃんとストレートに言いたい事を伝える練習をしろよ。ちゃんと怒るべき時に怒れよ。今のやり方は良くないと思う」と言われているらしいので、いい友達を持ってよかったね、と言ったら「いや、あいつも頭おかしいとこあるんだけどね」と言いつつ仲良くしているみたいなので、なんだ、類友か、なのだけれど。

三男は……特筆すべき事はないな。まだ。甘えん坊な世渡り上手なのかもしれないが、イザコザは多分これからだろう。可愛いだけでは生きていけないので。

話を戻そう。

行き違いこそ人生だしドラマ。ボタンの掛け違いから起きる喧嘩。バトル。バトラない場合も恨みを募らせて刺したり刺されたり。敵討ちは禁止されているとは言え、恨みが募った結果起こる殺人事件や殺人未遂事件。事件は起こらないけれど泣きたい気持ちを本に書いてベストセラー、なんて事もあるかもね。みんな経験ある事だから。一番怖いのは恨みのないサイコパスな殺人事件。人は理解できない事に対して一番恐怖を覚えるのかも。だけど、全てのドラマの全ての凶悪事件の原因がサイコパスだとそれもなんだかな、となる。エンタメ舐めてんのか、と。かと言ってサイコパスと思っていたけど、実は恨みだった、というのも短絡? いやいや、そうは思わない。やはり意味がある方が理解できるから私はその方がまだマシ。やっぱり意味が欲しい。理由が知りたい。すっごくくだらない理由の時は「え? そんな理由で殺人を?」とは思ってしまうけど、いやいや、そういうこと言う人こそ、肝に銘じた方が良いのだ。知らずに誰かを傷つけているかもしれないことを。それでまた、恨みを溜めずに言ってくれればよかったのに……みたいなことを言う無神経を重ねそう。いや、でも言わなきゃ分からないよ。どうしたらその人のアイデンティティを傷つけないようにできるのかね。正解が欲しいね。まぁ正解がないからドラマになるのだろう。

で、最後に杉下右京さんが出てきて

「だからと言って人を殺していい理由にはなりませんよ!(プルプル)」

って終わるしかないんだろうな。

あ、そんな終わりかたではない、斜め上のSF小説を最後に紹介して終わろう。

https://note.com/toma_mori/m/mac4ed04acf83


noteではまだ完結してないが、実は物語はもう完結していて、PDFで最後まで読めます。

ちょっと百合、というと百合を期待して読んだ人がどっこも百合じゃない、と怒りそうなので、百合ではない。まぁ百合ではなくても嫉妬というかヤキモチはあるかもね。女の子2人の心の行き違いの原因が天変地異の類のSFで、その行き違いをどうにかする為に主人公が選択した事とは……。思いもよらない結末に

「えええええ〜!?」

ってなった。私ならそうしないけど、でもそうしたかった気持ちもよく分かって、

「なんちゅうカタルシス。天才か」

と思いました。SNSがあったから起きたことかもしれないけど、無い時代から普遍的にこの「心の行き違い」はテーマにされてきたわけだから、もはや関係ないよね。糸のもつれの原因なんて探ってもしょうがないのかも。大事なのはそこじゃないんだな。そこから抜け出せない勢には思いつかないかもしれん。

ということで勝手にファンアートというか、ファン漫画? のネームを始めてしまったけれど、読んで欲しいのはこの小説の後半のそれ。もちろんネタバレになるから当分そこは描かないけれど。てかこの調子だと辿り着けないな、多分。でも読んだら早いので。皆さん読んで。そしてその尊さに打ちのめされるがいいよ。ほんと。やられてもやり返さない系だけど、違う意味でやり返された気分になる。

いやSF要素が微塵もなくてごめんなさい。もう少し描けばアレが出てくるんだが。そしてアレが怖いのではない事も最後まで読めば分かる。後半の怒涛の展開に心が持ってかれる。ちょっとサスペンスだし。ああ、サスペンスという点では、夏目漱石の『こころ』を読んだ時の気分に似てるかも。あ、『こころ』もそう言ったらBLというか、ちょっとそういう要素あるしね。

ああ、少し書きすぎた。

結局、お話って嫉妬とその嫉妬から生まれる恨みのはらし方、心の鬼の退治の仕方に集約されていくのかも。

まとまらないが、おわり。

(追記)
読んでいたらもう少し書き足したくなったので追記する。嫉妬、と一括りにしたけど、嫉妬はなくても、自分を軽く扱われた事に対する怒り、というのも鬼になるきっかけとしてはあるかもしれない。菅原道真のように誰が見ても才能ある人でなくても、だれでも、自分を馬鹿にされたり、貶められたり、軽く扱われれば、相手への嫉妬が元々なかったとしても恨むきっかけには十分になるだろう。そういうことがきっかけで凶行におよんだ事件も数多あるので、そこを踏んでしまう迂闊さ、というものにも人は注意を払わねばならないのだろうな。もちろん「だからと言って、鬼になって人を食っていい理由にはなりませんよ(プルプル)」なんだけどね。

今度こそおしまい

この記事が参加している募集

最近の学び

ありがとうございますサポートくださると喜んで次の作品を頑張ります!多分。