やさしさを得た、と思いたい
なんか一般的には大変と思えることでも
なにかを学べたと思うようにしている。
今回のこの社長逮捕劇でまあほんと、ふつーは経験できないことをいろいろ学ばせてもらった。
「宅下げ」(逮捕・勾留されている容疑者から、接見に来た者に対して物品を渡すこと)
という言葉も知ったし
弁護士から「争点整理」とか、その期日とか連絡がきてなんじゃ?てググってわかったり。
話は変わるけれど、以前つきあってた人がすこし遠くへ引っ越すことになった。
その連絡があり、引っ越す前にランチすることになった。
以前から行ってみたかったお店があり、彼に打診するとぜひ!とのことで
予約を任されたので電話してみたらぶっきらぼうな男性の声で
「その日はお店開けてるか、まだ決まってない」
という。
「いつになったら、わかりますか?」
と訊くと、
「それはちょっと、、、わかりません。すみません。こちらの都合で」
と言われて、それ以上突っ込む余地がなく、
「わかりました」
と言って電話を切った。
その日でない日だったら大丈夫なのか?
それならば、いつ、何時だったらOKだったのか?
訊けばよかった。
と思ったのは電話を切ったあとで、
それに思い返せば有無を言わせぬ雰囲気だった。
そういえば、つながる前に
「この電話は〇〇のため(トラブル防止のため、みたいな内容だったと思う)録音されています」と機械オペレーターのアナウンスがあった。
事件とか、事故とか、なんかあったのかな。
思い返せば、社長が逮捕されたあとのいろいろで
「事情があって」
と言うと「みんないろいろ、大変なんだな」とそれ以上突っ込まないでいてくれたひともいれば
「ちゃんと詳細を述べないと、一歩も引かへんぞ!」
とコワいひともいた。
社会人的には不明点は明らかにすべきなんだろうけれど、
自分がそういう経験をかいくぐってきたからこそ、
思いがけず社会的に弱い立場になったりすること、
はっきりとは言えないことも許してくれるやさしさのありがたさがわかったかなあ、と思っている。
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