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【前編】我がデザイナー人生を振り返る

こんにちは。ロボティクス関連(主にドローン:現在は退職済み)のスタートアップで働くデザイナーのながおです。会社では自社製品である産業用WebアプリケーションのUIやコーポレート関連のデザインを担当しています。

普段noteでは読書感想を書いているのですが、デザイナー歴も10年以上経ち改めて自分のキャリアを振り返って見ると凡人ながら色々あったなと思い、一度自己紹介がてらまとめてみようと書いてみました。長くなりそうなので前編・中編・後編に分けようと思います。

あ、ちなみに出身は宮崎県で、昭和59年生まれの35歳です。

グラフィックデザインを学ぶために上京し、専門学校に入学

デザイナーを目指すキッカケで言うとまーすごくありきたりな話ですが幼少期から絵を描くのが好きでよく新聞の折込チラシの裏に描いていました。学校では机や黒板にクラスメイトの似顔絵を描いてウケを狙ったこともよくありました。

高校生になると本格的に音楽やファッションなどに目覚め、CDを買い集めたりファッション雑誌を良く買って眺めたりしていました。その延長線で当時良く読んでいた様々な音楽やアート・デザインなどのカルチャーを紹介する「STUDIO VOICE」という雑誌がありました。その中でグラフィックデザイン系の特集とか見てて将来自分はこういう物を作って見たいなーと言う想いからデザイナーを目指すことになりました。

それでグラフィックデザイナーを目指すべく、夏休みに高校の先生に紹介してもらったデザイン科のある東京の専門学校にまずは体験入学するんですが、デザイン科にはMac室というその名の通りデスクトップのMac(Power Mac G4だったかな?)が40台ほどズラーと並んでいました。

この時初めてMacに触るんですが、Windowsとは全く別物だったので衝撃的でしたね。世の中にこんなパソコンがあったとはと。使ったアプリはPhotoshopのバージョン6で画像編集ソフトなんて今まで使ったことないから非常に新鮮で楽しいと思えましたね。それまではWindowsのペイントくらいしか触ったことなかったので...

そんな経験がありつつその専門学校に入学することになるんですが、入学初日のオリエンテーションで学科長にこう言われます。

この中でデザイナーになれるのは、ほんの一握りだけだと思うけど頑張ってね」by 学科長

え?デザイナーになるのってそんなに難しいの?まじかー...と初日に軽く絶望を感じたのは今でも忘れません。せっかく田舎から上京して高い学費払ってるのになんてこったと...。

そんなこんなで絶望を味わいながらも学校でデッサンをはじめタイポグラフィや配色のセオリーなどを学びポスターや名刺などのデザインを作りながら勉強しました。

ちなみにちょうどこの時代(2005年頃)FLASHアニメの全盛期でパロディーや真面目なもの含めて色々な作品が世の中に登場していたこともありFLASHにハマり、卒業制作ではFLASHでモーションタイポグラフィの作品を作るまでになっていました。

その当時カッコいいなと思い参考にしてたサイトがまだありました。軍艦島をテーマにしたサイトです。このサイトに影響を受けたのは今でもはっきりと覚えています。(15年も前なのにまだ存在しているとは...)
http://www.gunkanjima.com

その当時私が通っていた学校のデザイン科は2年制だったので、2年生になると早速就活が始まります。しかし、当時は就職氷河期の真っ最中で学校にやってくる求人なんて全然ありません。仮に求人があったとしてもグラフィックデザイナーの募集ではなくDTPオペレーターとかデザインと全く関係ない事務関連?みたいな求人ばかりで非常に苦戦していました。

稀に出てくるデザイン事務所の求人やネットで探した求人に応募しても書類選考で落とされたり一次面接でダメ出しくらって帰るみたいな日々でした。

この時学科長の言葉が頭をよぎります。

この中でデザイナーになれるのは、ほんの一握りだけだと思うけど頑張ってね」by 学科長

よくよく考えると就職氷河期だし、デザイナーを目指すのは同じ専門学校生だけではなく美大生もいるんですよね。2年生で就活を始めるのと3年生から始めるとでは学習期間の長さも違えばポートフォリオの質や量も倍以上違うわけですから、圧倒的に不利...数少ないデザイナー職の内定をエリートの美大生と戦って勝ちとるなんて自分にはほぼ無理だなと悟ってましたね。

当時印刷会社でインターンをやっていたのであわよくばこの会社で内定出 ないかなと期待してましたが残念ながら落とされました。

とはいえ卒業したら自分でちゃんと稼いでいかないと生活できないですから、どうしようかなーと悩んでいた時に広告制作会社を経営してる非常勤講師の先生に声かけてもらいこの先生の会社で学校を卒業する前からアルバイトを始めるようになりました。

アルバイトのDTPオペレーター

この先生の会社は広告制作会社なんですが新規事業として名刺のオンデマンド印刷を手がける事業部がありそこでDTPオペレーターとして勤務することになりました。

仕事内容としては、受注オペーレーターから指示書を受け取りIllustratorで面付けし、指定の用紙をプリンターにセットし印刷。その後、名刺専用の裁断機(たしか切りっこっていう名だったような...)を使って裁断し、検品して箱に詰めて発送するのが業務でした。ちなみに日給7000円...。休むと収入がそのまま減ってしまうので体調がどんだけ悪くても39℃熱があっても出勤してました。今じゃありえないけど当時はまだ20歳と若く無理が普通でした。アルバイトではなく早く正社員になりたいと常々思ってました。

ちなみに一緒に働いてた受注オペレーターは同じ専門学校のクラスメイトで共に就活に苦しんでこの会社に流れ着いていました。

この会社ですがそもそも広告制作会社なのでデザイナーやコピーライターの方達が大勢いたんですが、とくにコピーライターの方達とは仲良くさせてもらって飲み会などによく誘ってもらいました。

ある時、そんな仲の良いコピーライターさん達が5人ほど同時に辞めることがあり、辞める理由を聞いてみると

寝たいから...」とぼそっと呟いていました。

この時広告業界やべーなと思いましたね...一度に5人ってうそーん。

そんな別れもありつつ、DTPオペレーターとして半年くらいたった頃でしょうか専門学校時代のゼミの先生から
知り合いの知り合いの恵比寿にあるデザイン事務所が正社員デザイナー募集してるんだけど面接行ってみない?
と声をかけて頂き「これはデザイナーになれるチャンスだ!しかも正社員!」と期待してそのデザイン事務所にとりあえず話を聞きに向かいます。

憧れのデザイン事務所へ、でも一ヶ月で退職

面接では学生時代のポートフォリオと仕事の合間に作った作品を合わせて持って行きました。そのデザイン事務所は社長入れて4人ほどの小さな会社でしたが紛れもなくデザイン事務所でした。車やファッション系のポスター広告に保険関連、不動産系の新聞広告やチラシのデザインなどを制作してました。

面接後にトントン拍子に話が進み、早速入社することに決まったのですが、実は正社員採用だけど各種社会保険が一切ないことが入社後に発覚しました。てっきり正社員なんだから社会保険なんて当たり前にあるだろうと思ってたのが間違いでした。

そんな会社に入社してからの最初の仕事は旅行系の広告デザインに使用するポジフィルムを集めるためにレンタルポジ屋を巡ることでした。今でこそデジタルが当たり前だと思いますけど当時はそんなダウンロードサイトなんてなくラフデザインではレンタルポジのカタログをスキャンして使用することもありました。

ポジ屋に行くとこれこれこういう写真使いたいですと伝え、そのポジがありそうな棚に案内されてそこから自分で適当にいくつか持ち出してライトボックスの上に広げて選別するようなことをしてました。

ポジフィルムを集める以外では先輩デザイナーが作ったチラシのデザイン修正や別案作成、飲み屋のメニューデザインなど制作してました。あとはおつかいですねw

当時は凄く忙しかったのを覚えてます。毎日終電近くまで働いてましたし、土日も出勤してました。幸いなことにこの会社では徹夜はしてなかったですね。寝袋は会社にあったけど...

この会社での給料は月給で15万円でした。DTPオペレーター時代もそうですが社会保険はこの中から自分で支払っていたので本当にギリギリの生活でした。貧乏暇なしの言葉はこの当時の私にぴったり。

そんな貧乏な忙しい毎日でしたが、会社の経営状態がボロボロだということに気づきます。クライアントが指定してきたフォントがお金なくて買えないとか、入稿データがたっぷり入ったMOディスクを取引先に配達したときに社長から「行きは電車乗っていいけど節約のために帰りは歩いてね」と言われたり、極め付けは社長に松屋に牛丼食べに行こうと誘われたので付いて行き、てっきり俺の分奢ってくれるんだろうなと思って食券機の前で待っていたら、「ごめんお金ないから自分で買って」と言われました。その当時の牛丼の価格290円くらいだったと思います。すごくショックでした。社長が社員に牛丼一杯ですら奢れないなんてと...

この時この会社で働いていては自分の将来はないなと悟りました。わずか一ヶ月しか働いていませんでしたがこの後すぐに退職し、就職活動を始めることになります。

アルバイトでもいいからとにかく実績を積もう

恵比寿のデザイン事務所を退職し、早速就職活動を始めますが相変わらずデザイナーの求人はありません。世の中は不況です。グラフィックデザイナーの求人はなかなか見つからず、あったとしてもある程度の業務経験のある中途採用です。こりゃーどうしよもうないなーと思ってましたが、ふとWeb業界の求人はそこそこあるということに気づきます。未経験OKで正社員登用ありな求人がそれなりにあったのです。

グラフィックデザインは業界的に厳しく儲からない状態であるということと、実務経験がしっかりないと門前払いされるのは分かってましたし、であるならweb業界でもいいかなと考えが移り変わります。

学生時代にFLASHを嗜んでいたことやweb制作の授業も受けていたこともあったのと、この当時FLASHで作られたサイトは人気でFLASHサイトの特集本や雑誌も出版されており、web業界はまだまだ伸びそうな印象がありました。なのでアルバイトでもいいからとにかくデザイナーとして実績が積めそうなweb業界で働いてみようと思い、アルバイト採用でしたが未経験OKで正社員登用ありのweb制作会社に応募して入社することになりました。

アルバイトのアシスタントデザイナーからコンペを経て正社員デザイナーに

アルバイトとして入社したweb制作会社ではアシスタントデザイナーとして前職と同じように先輩デザイナーが作ったデザインの文言修正や、写真素材を集めたり切り抜いたりしていました。ひたすらタレントの写真の補正と切り抜きをしていた時期もありました。雑務だったけど大手の案件でやりがいを感じてたし楽しかったです。

また時にはちょっとしたアイコンやイラストを作ったり、デザインがFIXしたPhotoshopのデータから画像を切り出してFLASH上にデザインと同じ座標で配置してフラッシャーに渡すデータを作成する作業もしてました。

それ以外だと当時GIFアニメバナーが流行っていて大量に作っていたのを覚えています。GIFアニメバナーの難しいところはアニメーションの表現もそうですが一番の敵は容量制限です。媒体によっては5KBとかめちゃくちゃ軽くしないといけない場合があり、なんとか容量を削減するために色数を減らし、1px単位で塗りつぶしたり非常に細かい作業を繰り返していました。GIFアニメ作成はこの時にある程度極めることができたと思います。

入社当時は時給制でしたが3ヶ月ほど経った頃から固定給に変えてもらい生活が安定し始めました。前の会社では終電+休日出勤が基本でしたがこの会社では残業はそれほど多くなくストレスからも解放されて伸び伸びと仕事ができるようになりました。しかもアルバイトなのに前職よりも給料も大幅に増えたのでweb業界最高と思ってました。オフィス環境も綺麗で居心地がよかったです。

この当時はとにかくデザインの実績を積みたかったので暇があれば上司であるアートディレクターに「何かやることはないですか?仕事はないですか?」とよく声をかけていた覚えがあります。

少しずつできることを増やしつつバナーだけではなく小規模なLPのデザインやFLASHサイトのオープニングのアニメーションの作成なども任せてもらえるようになっていきました。

そんなある日デザインコンペの話を受けます。とある有名漫画のオンラインゲームのアイテムを販売するサイトのコンペがあると聞き、自分にやらせてくださいと手を挙げました。その漫画が大好きだったので。(アタタタタタタタタ...的な漫画のやつです)

その会社はデザインだけのコンペは基本参加しない方針だったのでやるならデザイナーだけでやり終えてねと言われたので先方とのコミュニケーションやデザインとプレゼンは全部自分がやり遂げました。見積もりだけはプロデューサーに作成してもらいました。

コンペの制作物はトップページのみで先方が作成したワイヤーフレームに沿ってビジュアルデザインを作りました。とにかく作り込みました。プレゼンまで一週間ほど期間があったので今までアシスタント業務で鍛えてきたグラフィック作成能力をフルに活用して細かいディテールまで丁寧に作り込みました。自分の好きな漫画が題材のゲームということもあり、世界観を大事にしつつもこの漫画といえばこの表現的なアイデアをたくさん盛り込みました。作ったデザインは上司に何度もレビューしてもらい時間のある限りブラッシュアップしました。

プレゼン当日は上司と2人でタクシーに乗り込み先方の会社まで行ったのを記憶してます。プレゼン自体はガチガチに緊張してけどなんとかデザインの意図をアピールできたと思います。

プレゼンが終わって3日後くらいでしょうか、ながおさんのデザインを採用したいと連絡をもらいました。正直びっくりしました。なにせwebサイトのトップページをデザインするのはこれが初めてだったし、参加数は6社と聞いていたのでまさか勝てると思ってませんでした。

先方に採用の理由を聞くとクオリティ観点ですぐ2案に絞り最後はそのゲームのプロジェクトメンバーの投票で決まったとのことでした。ちょー嬉しかったです。会社の人からもおめでとうと言ってもらえました。まさかアルバイトがコンペに勝つとは誰も思ってなかったでしょうw
見積もりを依頼したプロデューサーが自分に勝たせるために少し安く設定してたのも功を奏したかもしれません。

その後すぐ新しい期が始まり正社員登用され、そのタイミングで初めて自分の名刺をもらいました。肩書きは「デザイナー」と書かれていました。死ぬほど嬉しかったです。これでようやく俺も自信を持ってデザイナーって言えるなと心から思いました。

アシスタントデザイナーとしてアルバイト入社し約3年ほど月日が経っていた時期でした。

↓中編へ続く↓

#自己紹介 #デザイナー #デザイン #人生


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