見出し画像

名無しの島 第30章 犠牲者

 化け物を沈めていた水槽に、

クモの巣状に大きな亀裂が入っていく。

亀裂はさらに稲妻のように広がって、今にも破壊されそうだ。

水槽内の人体ムカデは暴れ狂っていた。

人体ムカデは巨大な体躯をうねるようにくねらせ、

20本以上ある腕で、水槽を内側から所かまわず殴りつけている。

二つの上半身の二つの頭は銀色の目を見開き、

裂けたような口を大きく開け、無音の叫びを上げている。

そして、今はその口から無数の気泡を吐き出していた。

 この化け物を目覚めさせたのは、いったい何なのか?

水落圭介は後退しながら、頭の隅で考えていた。

生きた人間の気配を察知したのか?

それとも、有田真由美のカメラのフラッシュに反応したのか?

とにかく原因はなんであれ、すぐにでもこの場を離れて、

隣の部屋に逃げ込むしかない。

 水落圭介は、キーの束をポケットから取り出すと、

鉄扉の鍵穴に差し込む。恐怖と慌てているせいで手が震え、

なかなか鍵穴にキーが収まらない。

3度目で、やっとキーが回った。

鉄扉に肩を当てて、力づくで押し開ける。

圭介は3人に叫んだ。

「扉が開いた!早くこっちへ!」

 斐伊川紗枝と小手川浩が駆け寄ってくる。

有田真由美は三八式小銃を構えながら、後退して来た。

彼女と化け物との距離は、5メートルも無い。

だが、圭介が抑えている鉄扉までは3メートルぐらいだ。

急げばまだ間に合う。化け物が水槽をぶち破る前に・・・。

「有田さん、早くしろ!」

 鉄扉を両手で押さえながら、水落圭介は叫んだ。

「わかってる!」

 有田真由美が、ヒステリックに呼応する。

 彼女の叫びとほとんど同時に、化け物の水槽が破裂した。

人体ムカデは70年以上も動いてなかったのが、

嘘のように素早かった。

逃げようとしている4人に方向転換する。

2体の上半身が不規則に揺らめく。

「シャァアアアアッ!」

 銀色の歯を剥いて、二つの口から異様な声を発した。

化け物との距離は、5メートルも無い。

今にも飛び掛ってくる勢いだ。

小手川浩は斐伊川紗枝の背を押して、

先に隣の部屋に押し込んだ。

「水落ちさん(シュッ)早く・・・」

「小手川君、先に行け!」

 小手川浩はうなづくと、部屋に入って行った。

二人は無事に隣の部屋に逃げ込めた。

有田真由美は、三八式小銃の銃弾を、化け物に撃ち込んでいた。

1発、2発、3発・・・素早くボルトを引きながら連射していく。

だが、全弾命中しながらも、化け物は一向にたじろかない。

それどころか、人体ムカデの怒りの火に油を注いだようだった。

口を耳まで裂けるかのように開き、

銀色の4つの目が瞬きさえせず、

小銃を構えている有田真由美を睨み見すえている。

 有田真由美は撃ち尽くした三八式小銃を投げ捨てると、

彼女ははチノパンの腰から、南部十四年式拳銃を引き抜いた。

銃口を化け物に向かって連射する。

耳をつんざくような銃声が7回聞こえた。

ボルトが後退し、残弾が無くなったことがわかった有田真由美は、

拳銃を投げ捨てると、

鉄扉を両手で押さえている水落圭介の方へ走ってきた。

 鉄扉を押さえている圭介には、

その彼女の姿がスローモーションのように見えた。

有田真由美の背後に迫る化け物の動きも―――。

彼女が鉄扉の中へ入ったと思われた瞬間、

化け物の黒く長大ながぎ爪が伸びてきた。

 その黒いかぎ爪が、有田真由美の背中から、

彼女を刺し貫いた。

その爪は、彼女の胸の中央から飛び出している。

爪の先端からは、彼女の鮮血が滴り落ちていた。

「真由美さん―――!」

 圭介は声の限りに叫んだつもりだったが、

喉はカラカラで呻いているに

過ぎなかった。

 驚愕と恐怖に、彼女の顔は引きつっていた。

一瞬、有田真由美と水落圭介は、目が合った。

彼女の瞳は、1度大きく見開かれて、半分に閉じた。

化け物は、刺し貫いた有田真由美の体を、

片腕の一振りで放り投げると、

壁に叩きつけた。

人間の肉体が硬いものに叩きつけられる、不快な鈍音がした。

化け物の爪からは、有田真由美の鮮血が幾筋も伸びていた。

有田真由美の体は、少しの間だけ、壁に張り付いていたが、

ずるずると床に落ちた。

彼女の両の瞳は、薄く開いたまま瞳孔は開いて、

生気は完全に失われていた。

有田真由美の首に、

まだ下げられていた一眼レフのデジタルカメラだけが、

持ち主に反してほとんど無傷のまま、

そのレンズの光を放っていた。

有田真由美は、絶命した―――。

 化け物は・・・その2つの上半身とも、

まだ鉄扉を押さえていた水落圭介に向き直った。

「シャァアアアアアアアアッ!」

化け物は、まさにムカデの動きで、

圭介の方へ突進してきた・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?