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名無しの島 第33章 爆発

「水落さん、早く逃げてッ!」

 遠くで小手川浩の叫ぶ声がした。

圭介は反射的に、脱出ハッチに足から飛び込む。

それでもなお、人体ムカデは追ってきた。

脱出ハッチに入ろうとするが、あまりの巨体で入って来れない。

しかし、化け物は諦めていない。無理やりにでも、

体をねじ込もうとしている。

水落圭介は、そんな化け物を見上げながら、

外へと続くパイプの中を滑り落ちて行った。

小手川浩は、ジッポライターの蓋を開けた。

親指をフリントホイールにかける。

「僕はあんなぁあ化け物に(シュッ)、なりたくなあぁい・・・」

 この言葉か、彼が人間だった時の、最後の言葉となった。

とめどなく噴出す軽油のガスを浴びながら、

小手川浩の銀色の目が、大きく見開かれる。

小手川浩は両手の親指を、はフリントホイールをこすって点火した。

一瞬にして、彼を取り巻く

空間が火炎に包まれ、同時に、大爆発が起こる。

数十トンもの軽油に引火したのだ。

小手川浩は、爆風と火炎で木っ端微塵となって吹き飛んだ。

 爆発による火炎は収まるどころか、部屋中を炎に包んだ。

そのにかる空気が、全て高熱の炎に変化した。

脱出ハッチに潜り込もうとしていた化け物も、

その半身が炎に焼かれ、凄まじい雄叫びを上げる。

銃弾には鈍感な痛覚も、炎には弱いということか。

 そこで、人体ムカデは、想像を絶する行動に出た。

邪魔な右半身を、左の上半身が引きちぎったのだ。

引きちぎられた左半身は、まだのたうちまわっていたが、

高熱の炎に焼かれていった。

右半身だけとなった人体ムカデは、

ようやく脱出ハッチに潜り込む。

下半身はその半分以上が、焼け爛れていたが、

その勢いは止まらなかった。

 脱出口に入り込んだ、人体ムカデは猛烈なスピードで、

下って行った。だがその化け物の後を、

爆発の炎が追いかけていく。

残りの半身に高熱の炎を浴びながらも、

人体ムカデは狭い通路を、下って行く。

水落圭介と斐伊川紗枝を追って。

化け物の這う速度は速かった。

見る間に、水落圭介との距離を縮めていく。

圭介は狭い通路を滑り落ちていく。

後方から追ってくる炎の放つ光は、

行く先をわずかに照らし出した。

「紗枝!どこだ!?」

 水落圭介は叫んだ。先に通路を行った斐伊川紗枝がいるはずだ。

彼の呼びかけに、斐伊川紗枝の声が答えた。

「水落さん!出口が開かない!」

彼女の叫び声は、悲鳴に聞こえた。

 滑り落ちながら、水落圭介は見た。斐伊川紗枝らしき人影を。

確かに彼女は、出口付近にいる。

だがその扉は閉ざされていた。これまでか・・・。

圭介の意識は絶望に満たされた。

後方からは、化け物と紅蓮の炎が追ってきている。

化け物に殺されるか、それとも炎に焼かれるか。

人体ムカデの化け物は、その体の半身を焼かれながらも、

凄まじい速さで、追ってくる。

 その時だった・・・。2度目の爆発が起きたのは。

それは最初の爆発よりさらに大きなものだった。

耳をつんざくような爆発音と同時に、狭い通路が、大きく揺れた。

高熱の炎と爆風が、音速のスピードで圭介の上から迫って来た。

人体ムカデの全身を、高熱の炎が焼き尽くしていく。

化け物の断末魔の叫びが、通路の中で響き渡る。

 幸運にも、化け物の巨大な体躯が、

通路に栓をしているような状態で、

水落圭介たちに降り注ごうとする火炎を、

せき止める形となった。

しかし、強烈な爆風は、人体ムカデと通路の間を通過し、

脱出口で右往左往している圭介と斐伊川紗枝を襲った。

 水落圭介と斐伊川紗枝は熱い爆風にあおられ、

なすすべも無く吹き飛ばされるように

その体は狭い通路で加速した。

 ほとんど体当たりのように、

斐伊川紗枝と共に出口の扉に叩きつけられる。

二人の体重で扉が吹っ飛んだ。

その時、圭介は斐伊川紗枝をかばいながら、

一瞬だけ、後方を振り返った。

彼は見た。人体ムカデがその全身を焼かれながら、

バラバラに砕け散るのを・・・。

 水落圭介と斐伊川紗枝の二人の体は、外に投げ出された。

空中を舞う、圭介の視界には、曇天の空が回転して見えた。

 二人の体は、数十メートルも飛ばされた。

その先は海面で、叩きつけられるように着水する。

もし、人体ムカデの体が炎を止めていなければ、爆風だけではなく、

高熱の炎に炙られていたことだろう。

 水落圭介は意識を失ってはいなかった。

全身の筋肉がきしむような激痛を感じながらも、

海中深く沈んだ体を立て直す。

斐伊川紗枝の姿を探した。周りを見たが彼女の姿は無い。

上を見た。仄かな海上の明るさの中、

斐伊川紗枝の姿が逆光になってその影を浮かび上っていた。

水落圭介は、彼女に向かって泳いだ。

斐伊川紗枝は気を失っているようだ。

圭介は彼女の体を、脇にかかえると海上目指して泳いだ。

 爆風で吹き飛ばされた拍子に、

肺の空気を押し出されていたため、

圭介の肺活量に残った酸素はわずかだった。

海上までがとてつもなく遠く感じた。

酸欠状態で、意識が薄らぐ。

もうこれ以上は無理だ・・・

と諦めかけた時、水落圭介は海上に出た。

思い切り、空気を貪り吸った。意識がはっきりしてくる。

 回りを見渡す。どこまで飛ばされたのか見当もつかない。

見ると、岩場が見えた。そう距離はない。

爆風で吹き飛ばされた際、あの岩場に叩きつけられていたら、

二人とも絶命していたことだろう。

幸運の神に感謝しなければ・・・

と水落圭介は思った。

 水落圭介は斐伊川紗枝をかかえたまま、

その岩場に向かって泳いだ。

全身の腱は軋み、筋肉は悲鳴を上げていた。

手足の末端は、すでに感覚は無い。

ただ肩と太ももの筋肉だけで、必死に泳ぐ。

 永遠に泳ぎ続けている感覚に陥っていた時、

圭介の指先が岩場の端を掴んだ。

最後の力を振り絞り、岩場に体を引き上げる。

まだ意識を失っている、斐伊川紗枝の体も岩場に引き上げた。

水落圭介は大の字になって、岩場の上で喘いでいた。

それまでは気づかなかったが、全身に打撲を負っているようだ。

それに顔や腕に、軽い火傷も負っていた。

だが、水落圭介は思った。

この程度の火傷と打撲で済んだことは、

幸運だったといわねばならない。

 しばらくはそのまま、

仰向けの姿で倒れていた圭介だったが、

気力を振り絞って上体を起こした。

傍らに倒れている斐伊川紗枝を見る。

彼女の瞼がかすかに動いている。

彼女は高温の爆風から吹き飛ばされた際、

圭介がかばっていたおかげか、

彼ほどの火傷は見受けられなかった。

「紗枝・・・起きろ」

 水落圭介は、力を込めなくては声が出なかった。

彼の呼びかけにも、まだ斐伊川紗枝は応えない。

斐伊川紗枝の肩を掴んで、揺すった。

彼女の瞳がわずかに細く開く。

「み・・・水落さん」

 やっと意識が戻った斐伊川紗枝は、

聞き取れないほどのかすかな声で言った。

 水落圭介は、無意識に腕時計を見た。

時計は奇跡的に壊れてはいないようだ。

所沢宗一の船が迎えにくるまで、後16時間だった。

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