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名無しの島 第22章 脱出まで38時間

「彼女たちには、黙っておきましょう。

動揺させるだけですから・・・」

 小手川浩は部屋の隅で寝ている、

有田真由美と斐伊川紗枝の二人を見やった。

 そしてまた咳き込むが、音を立てまいと、

自らの両手で自分の口を塞いだ。

「あの二人も感染してるってこともあるのか?」

 水落圭介は訊いた。

「わかりません。経口摂取による感染なのか、

 接触による感染なのか、

 それとも空気感染なのか、見当がつきません」

 小手川浩の咳は一時的に治まったようだ。言葉を続ける。

「というのは、僕の症状と水落さんの症状が全く違うからです。

 僕は咳がひどくなる一方ですが、熱はない。微熱すら感じない。

 水落さんは高熱を発してる・・・これがどういう意味なのか

 わからないんです。感染しても同じ症状にならないのは、

 個人差のせいかもしれない・・・

 それともお互い別の病原菌なのか・・・」

 それはそうだ。医者でもない、病理学者でもない、

大学を出たばかりの出版社の社員にわかるはずもないだろう。

しかし冷静にこの状況を分析しているのは、

さすがだと思わずにいられなかった。

30を越えた自分でも、ひどく動揺しているのに、たいしたものだ。

「小手川君は、キミはいつ感染したと思ってるんだ?」

「さっき、居住区で化け物と闘ったいた時、

 奴らに首を掴まれたんです。空気感染じゃなかったら、あの時・・・

 接触感染したのかもしれません」

 小手川浩はどこか遠くを見つめている瞳を泳がせていた。

彼も動揺しているのが、手にとるようにわかった。

「解熱剤じゃ治りそうも無いな・・・」

 水落圭介は自嘲気味に言った。

笑うつもりで、口角を捻じ曲げる。

「でも、何もしないよりマシかも・・・。

 飲んでおいた方がいいですよ」

と小手川浩。

 水落圭介もそう彼に言われて、また解熱剤の瓶の蓋を捻る。

手のひらで錠剤を受ける。また正常な処方の倍の4錠だ。

それらの錠剤を水筒の水で飲み込む。

すでに水筒の水は3分の1ほどしか残っていない。

水を節約しないとな・・・と頭痛で痛む頭で考える。

こんなとこに水道があるかどうかわからないが、

もしあったとしても、飲む気にはなれない。

 しばらく二人とも黙っていた。

行方不明の桜井章一郎を探しに来て、

まさかこんなことになろうとは―――。


この[『名無しの島』に到着して、翌日に冒険家の井沢悠斗が、

突然現れた化け物に襲われ、殺された。

そして自分たちは豪雨の中、

逃げ惑い、偶然にも旧日本陸軍の細菌兵器―――

いや生物兵器の研究施設に逃げ込んだ。

 そこは人体実験を繰り返し、

戦場に送り込むはずだった生物兵器の巣だったのだ。

幾度もの戦いの後、自分と小手川浩は、

何かの病原菌に侵されたらしい・・・。

この症状が進めば、最悪の場合、

あの化け物の仲間入りをすることになるかもしれない・・・。

いや、その前に化け物たちに殺されるのが先か―――。


この『名無しの島』―――

774部隊の島の全貌が公になれば、大きな国際問題になるだろう。

ナチス・ドイツでさえやらなかった人体実験。

被検体にされた中国人や朝鮮人、ロシア人、

そして捕虜となったアメリカ兵などの遺族から、

国家を挙げて日本の蛮行を非難するに違いない。

その人体実験は単なる病理実験などではなかったのだ。

 戦時中において、毒ガスや細菌などにようる、

いわゆるケミカル兵器、バイオ兵器は脅威だった。

それに対抗するべく、もしくは利用するべく研究されたのは事実だ。

だが、それは戦略上において、ある意味不可欠な問題でもあった。

しかしこの『名無しの島』で行われたいた研究は、

別物だ。人体を改造して兵器化し、

さらに同様の化け物に変貌させる細菌を媒介も

兼ね備えた、生物兵器を研究開発していたのだ。

 これは倫理上の問題という次元ではない。

完全な戦争犯罪だ。


この事実が国際的に公になれば、現政府における、

払わなければならない代償ははかりしれないものだろう。

 そんなリスクを日本政府が負うのは、なんとしてでも避けたいはずだ。

もし、生きて帰れてこのことを公表しようとすれば、

政府からの圧力がかかるのは必至だろう。

しかし、今はインターネットやSNSがある。

水落圭介は、どんな手段を講じてでも公表することを心に決めていた。

でなければ無惨に殺された井沢悠斗や、

おそらくすでに生きてはいないであろう、桜井章一郎に申し訳が立たない。


 圭介は、寝ている有田真由美、斐伊川紗枝に視線を向けた。

なんとかして彼女たちだけでも、生還させたい。

そして、この想像を絶する恐怖の体験を、世間に伝えてもらうのだ。

 水落圭介は何気に、小手川浩を見やった。

彼のあれほどひどかった咳が治まっている。

しかし傍目にもわかるほど、

肌の色が灰色がかっていた。腕も、そして顔も―――。

経口摂取した自分より、

化け物に接触しただけの彼の方が、進行が早く見える。

それも気のせいかもしれない。

自分の方がもっとひどい可能性だってある。

いや、その可能性の方が、大きいだろうとさえ思える。

衣服に隠されているだけで、右足だけでなく、

全身に変化が起きているかもしれない。

 だが、裸になってそれを確認する勇気は、圭介には無かった。

ただでさえ、気が変になりそうな恐怖を体験しているのだ。

これ以上はごめんだ―――。


 水落圭介は、今や習慣になっている、

腕時計で時間を確認する行為を無意識にやっていた。

あと30分もすれば、寝ている彼女たちを起こして、

あの扉・・・研究室へと続く扉を開けて先に進まなければならない。


その先に何が待っていようとも・・・。

所沢宗一の『はやぶさ丸』が迎えに来るまで、

あと38時間余り―――。

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