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名無しの島 第21章 感染

 扉を開くと、そこは居住区に入る前と同じような、

狭い部屋だった。

対角線上に鉄扉があるのも同じだ。床もクリーム色のリノリウム。

後戻りしたのかと錯覚するほど、同じだった。

ただ少し違うのは、部屋の隅に長さ1メートル強、

直径3センチほどの鉄パイプが、数本立てかけられていることだった。

厚みは2ミリくらいある。丈夫そうだ。

水落圭介はその中の、比較的錆のすくないものを選んで、

杖代わりにした。


有田真由美もその中から、1本を手にした。

 この部屋にも何箇所かの固形アルコールランプが

吊り下げらている。

例のごとく、そのランプにマッチで火を点していく。

その淡い光で、部屋全体がぼうっと浮かび上がる。

有田真由美は鉄パイプを杖にして、右足を引きずりながら、

入ってきた鉄扉の上下にある、

差し込み式の留め板をスライドさせた。ここも錆付いている。


小手川浩も咳き込みながら、

反対側の留め板をスライドさせてロックした。

彼の咳は、また一段とひどくなったように見えた。

「ここでしばらく休みましょう。

 とりあえず何か食べて体力を回復しなくちゃ」

 有田真由美はリュックを降ろした。

その場に座り、他の3人もこれにならう。

 水落圭介は素早く手前の壁を見上げた。

やはりここにも、2メートルほどの高さに、

40センチ四方の通気ダクトがある。

あの化け物が、今にも現れるのではないかと、

その通気ダクトを見張れる位置に、座り込む。

しばらくは通気ダクトのトラウマが消えそうにないな・・・

と苦笑したつもりが、ただ顔を引きつらせているのが精一杯だった。

 各自、リュックから食料を取り出す。有田真由美は乾パンを取り出すと、

噛み砕き、水筒の水で胃袋に流し込んだ。

小手川浩はスープの缶詰のリングプルを引き、

飲もうとしたが、咳き込んでそのほとんどを噴き出した。

有田真由美が顔をしかめる。


斐伊川紗枝は食欲が無いのか、クラッカーを少しづつかじっていた。

水落圭介はというと、パンを圧縮した缶詰を開いて、

スイスアーミーナイフのナイフ部分を抜いてフォーク代わりにし、

パンを突き刺して口に運んだ。口の中のパンの味がわかる。

「少し睡眠もとろう。

 正直、オレはしばらく満足には動けない」

 水落圭介は言った。とはいえ、解熱剤のおかげか、

少し熱が下がったみたいで、

以前より意識がはっきりしたように感じた。

他の3人も、コクリとうなづく。圭介は言葉を続けた。

「でも、交代で寝よう。

 またあのダクトから化け物が現れるとも限らない」

 圭介は通気ダクトを見上げながら言った。

「そうね・・・じゃあ私は起きてるわ。

 紗枝ちゃんはどう?」

 隣に座る斐伊川紗枝の方を向いて、訊く有田真由美。

「はい、あたしも起きています」

 クラッカーをかじりながら、うなづく。

「じゃあ、悪いがオレと小手川君は先に休むよ。

 2時間したら起こしてくれ・・・それと」

 圭介が言い終わらないうちに、斐伊川紗枝が言った。

「通気ダクトに気をつけろ・・・でしょ?」

 紗枝の表情に、少し笑みが戻ったように見えた。

圭介は苦笑した。


まったく余計なトラウマが心に根を張ったようだ。

「そうだ」

 圭介はそれだけ言うと、リュックを枕に冷たいリノリウムの床の上で、

体を横たえ伸ばした。小手川浩も同じように横になった。

 水落圭介は夢を見た。そこは仕事場兼自宅マンション。

パソコンのモニターを見つめながら、タイピングしている。

記事の締め切りに追われて、焦りを感じていた。

ふいに玄関のヤイムが鳴る。

舌打ちしながら、仕方なく玄関に出た。

ドアを開けると、井沢悠斗が立っていた。

井沢はにこやかに笑っている。

彼を部屋に入れようと招いている自分。

 ところが、井沢の背後から、化け物が現れた。

一つの胴体に二つの頭。一つは腐ったように垂れ下がっている。

井沢は気づいてない。化け物のことを知らせようと口を開けるが、

言葉が出てこない。化け物は井沢の首に噛み付いた。

井沢は恐怖に顔を引きつらせて、何か叫んでいる。

しかし、何も聞こえない。その口の動きから、逃げろと

叫んでいるようだ。噛まれた井沢の皮膚の色が、

肌色から次第に灰色になっていく。

化け物と同じ皮膚の色になるつつある。

その化け物が顔を上げた。自分と視線が合う。

化け物は自分の方へ飛び掛ってきた・・・。


 水落圭介は激しく揺り起こされて、目を覚ました。

目の前には斐伊川紗枝の顔。心配そうな表情をしている。

圭介は上体を起こした。全身に、びっしょりと汗をかいていた。

「大丈夫ですか?水落さん。うなされてましたよ」

 斐伊川紗枝が心配そうな顔で言った。

「大丈夫だ」

 見ると、小手川浩はすでに起き上がっていた。

彼はまた、両肩を震わせて咳きこんでいる。前より増して、

ひどくなっているようだ。

「じゃあ、私たちが寝るから、見張り頼んだわよ」

 有田真由美が横になりながら言った。

彼女のそばで、斐伊川紗枝もリュックを枕に寝た。

腕時計を見た。所沢宗一の迎えが来るまであと約48時間。


女性二人が寝息を立て始めた頃、小手川浩が圭介のそばに寄ってきた。

「水落さん」

 その表情は陰鬱で暗い。何か訴えかけたいような顔をしている。

「これ見てください」

 彼はそう言うと、

白いポロシャツの(今は土やホコリで薄汚れているが)

左手を前腕部まで捲り上げた。水落圭介はギョッとした。

 左前腕部が、その指先まで灰色に変色しているようだ。

その色はまるで、あの化け物たちの肌に似ていた。

「まるで自分の腕のような気がしないんです。

 感覚はあるんですが、別人の腕を触っているような感じで。

 壊疽とは違うみたいなんですが・・・」

 小手川浩は水落圭介をまっすぐに見た。

「水落さんは、体のどこかに何か異変はありませんか?」

 小手川浩にそう言われて、

あわてて両腕の裾をを捲くりあげて、よく見た。

彼のような変化は無かった。

「足は・・・足はどうです」

 言われてまた、

圭介はトレッキングシューズを左右とも脱いだ。

両足にはちゃんと感覚もある。他人の足のような感じはない。

といっても、他人のような感覚というのが、よくわからない。

次は左の靴下を脱いだ。何も変化は無い。右足の靴下を脱ぐ。

圭介は自分の右足を見て、目を見開いた。


変色している・・・灰色に―――。

「やっぱり、そうでしたか」

 このことを予見していたかのように、小手川浩は小声で言った。

「どういうことなんだ?これは・・・?」

 圭介は冷や汗をかいていた。

小手川浩の襟首を無意識に掴んでいた。

自分の心臓が跳ね上がるように、激しく脈動しているのが自覚できる。

「あの化け物に接触するか、体液を摂取することによって、

 何かのウイルスに感染するみたいです・・・」

小手川浩はうなだれた。

「この灰色の肌―――あの化け物と同じじゃないか」

 圭介は茫然としている。

そして一番聞きたくないことを小手川浩の口から聞かされた。

「僕たちも、あの化け物に変化して

 いきつつあるんじゃないかと・・・。

 体の末端からそれは始まるんだと、思うんです」


水落圭介は、足元のリノリウムの床が、

突然ぐにゃりと歪んだ感覚に襲われた―――。

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