名無しの島 第23章 揺らめくもの
それからの30分の間、小手川浩も水落圭介も無言だった。
だが、互いの気持ちは似たようなものだった。
次第に化け物になりつつあるかもしれない、二人とも・・・。
彼女たちは大丈夫だろうか。
圭介はまだ寝ている彼女たちを見やった。
特に有田真由美は化け物の爪に足を掴まれている。
それも食い込み鮮血を流すほどに。
有田真由美も感染しているかもしれない。
斐伊川紗枝は感染してはいないのだろうか?
もし、我々全員が、感染もしくは
保菌者だとしたら、本土に帰還するのは
大きなリスクを伴うのではないか?既存の細菌ならまだしも、
小手川浩が言ったように、未知の細菌だとしたら?
自分たちが、未知の細菌をばらまくことになりはしないか?
もし、未知の細菌だとして、
感染すればあの化け物になるようなものだとしたら?
水落圭介は胸中で、葛藤していた。
生きて帰ることが、最善の方法なのかどうか。
帰らない選択をすれば、化け物に殺されるか、
化け物の仲間になるか、
それとも、このまま<名無しの島>で
朽ち果てるか・・・のどれかになる。
それに、こんな重要な選択を、
自分だけで決めてしまってもいいはずがない。
そうだ、それにまだ、もしもの領域でしかないじゃないか。
感染していたのだとしても、ここは774部隊の研究施設なのだ。
治療するワクチンだって、あるかもしれない・・・。
そこで、圭介は皮肉っぽく、声を出さずに笑った。
これも、かもしれないの領域だ。ただの希望的推測に過ぎない。
考えていても、答えは出なかった。とにかく今は前に進むしかない。
水落圭介は、腕時計を見た。
寝ている彼女たちには気の毒かもしれないが、
起こさねばならない時刻だ。圭介はよろよろと立ち上がって、
斐伊川紗枝の肩に手をやり、彼女を揺すぶった。
「時間だ。起きろ」
ところが、有田真由美の方が先に起きた。
「ああ、よく寝たわ。こんなところなのに」
有田真由美は、苦笑いする。
しかし、その表情は苦痛の色に変わる。
右足首の傷が痛むのだろう。チノパンから、
わずかにのぞく包帯には血が滲んでいる。
かなりの出血をしているようだ。
「有田さん、包帯を取り替えよう」
圭介は言った。
「いいえ、水落さん・・・ありがたいけど、まだいいわ」
圭介は、そう言う有田真由美の表情が暗いことに気づいた。
もしかして、小手川浩との話を聞かれていたのか?
圭介の右足と、小手川浩の腕が、あの化け物のような灰色がかった
肌色に変色していること。
その理由は自分と彼が感染している可能性があること。
そして有田真由美の感染してる可能性も有り得ること。
そのすべて聞かれていたのかもしれない。
そうだとしたら、彼女はどう思っただろうか?
どう考えただろうか?
斐伊川紗枝は生あくびを繰り返し、両目を擦っている。
寝癖で、ボニーテールが箒のように広がっている。
「この鉄扉の向こうは、また廊下です。
その先に研究所につながる階段があるはずです」
小手川浩は、青写真を確認しながら言った。
4人はそれぞれにリュックを背負い、
水落圭介は鉄パイプを腰のベルトに差し、
手には三八式小銃を持つ。小手川浩も小銃を構える。
有田真由美は圭介のように鉄パイプを腰に差して、
小銃を手にした。
斐伊川紗枝は南部十四年式拳銃を右手に持ち、
3人の後に続いた。
水落圭介は鉄扉を塞いでいた、
上下にあるスライド式の留め板をはずそうした。
錆の付いた留め板は、耳障りな不快な音を
室内に反響させながら横にずれていく。
同じように錆付いたL字型のノブを捻った。
扉を開ける前に、背後にいる3人に合図を送るように軽くうなづいた。
圭介はゆっくりと、扉を開けた。マグライトとヘッドランプで、
薄暗い廊下が浮かび上がる。床はコンクリートの剥き出しだ。
ここにも所々に、水溜りが点在している。
一歩足を踏み出した、水落圭介は薄暗い廊下の先に、何かを見た。
マグライトの仄かな明かりの中に、何かいる。
何か動いているものが。
それは人の形に見える。その人影らしきものは、
ゆらりゆらりと左右に揺れている。
まるで自己陶酔した者が、トランス状態に陥っているかのようだ。
その何者かが、ゆっくりと近づいてくる。
ペタペタと裸足らしい足音が聞こえてきた。
圭介たち4人の間に緊張が走った。
有田真由美はその人影に向かって、ヘッドランプの光を浴びせた。
その人影の上半身が照らし出される。
それは確かに人間だった。いや、人間らしきものだった。
一見すると、ボロボロになった、泥と血で薄汚れたTシャツが見える。
下半身には同じように薄汚れた、カーゴパンツらしきものが見えた。
また化け物か―――と圭介は思った。
両手に握る三八式小銃に力がこもる。だが、光に浮かび上がった姿を見て、
水落圭介の顔色が変わった。
「まさか・・・」
そこに立っていたのは、
行方不明になっていた桜井章一郎だった―――。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?