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名無しの島 第27章 ワクチン

「感染?何の話なの?」

 小手川浩の言葉を聞いた斐伊川紗枝の声には、

驚きと怯えの入り混じっていた。

「紗枝ちゃん、これにはわけが・・・」

 有田真由美が斐伊川紗枝をなだめようとするが、

彼女のパニックは収まりをみせなかった。

「前から変だと思ってた。水落さんは顔色悪くなってるし、

 小手川さんは左目、銀色に・・・

 あの化け物みたいになってるし・・・」

 斐伊川紗枝の両目から、涙が溢れ出る。

「僕の左目・・・?化け物みたい?」

小手川浩が、呆然とつぶやいた。

初めて知った現実に、心がついていってない。

「あたしたちも、その細菌に感染してるの?

 やだ・・・そんなの!」

 紗枝は壁を背にするように、3人から離れていく。

そんな斐伊川紗枝を説得するように、小手川浩が口を開いた。

「君たちは、感染しても発症する可能性は低いと思う。

 これは僕の・・・いや、ここにいた研究者たちの推測ですが、

 女性ホルモンに含まれるプロゲステロンが、

 このRNA-774の増殖を抑えているようなんです。

 プロゲステロンは正常な遺伝子と結合して変化、

 異物質への抵抗力を強め、

 それがRNA-774の感染力を阻害してるということです。

 このファイルにはそう結論づけて・・・」

 小手川浩が黒表紙のファイルを手に、

一歩、斐伊川紗枝に近づいた。

彼女を冷静にさせようとしている。

しかし、小手川浩の笑顔は、すでに人のそれとは違っていた。

まさに、化け物が笑っているようだった。

斐伊川紗枝は腰から、南部十四年式拳銃を抜いた。

その銃口を、小手川浩に向ける。

「斐伊川さん・・・」小手川浩はさらに一歩、彼女に近づいた。

「や、やめろ!紗枝ちゃん」

水落圭介は叫んだ。

「近づかないでッ!」

 だが、遅かった。斐伊川紗枝は引き金を引いた。轟音と共に、

銃口から閃光が放たれる。

 銃弾は、小手川浩の右肩口に命中し、彼の体は後方にのけぞった。

鮮血―――いや、黒い血がほとばしった。化け物と同じ黒い血だ。

・・・だが、彼の表情は、ほとんど変わらない。

「あれ?痛くないや・・・かなり症状が進んでるみたいだ。

 頭痛もひどいし・・・殺すなら、今やってよ」

 小手川浩は、まだ正常な右目から涙を流していた。

「まだ、ワクチンがある可能性があるんだろ?

 気をしっかり持て、小手川君!あきらめるのはまだ早い」

 圭介は声の限りに叫んだ。

「ワクチン・・・そうだ、まだ・・・」

 小手川浩は、うつろな目でつぶやく。

「小手川さん・・・あたし・・・とんでもないことを・・・

 ごめんなさい・・・」

 斐伊川紗枝はやっと状況が飲み込めたのか、

後悔と小手川浩への懺悔、

そして流された涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「いいんだ。斐伊川さんが怯えるのは、当たり前だ。

 男の僕だって、このザマなんだから・・・

 これで少しは怖くないだろ?」

 小手川浩は、銀色に変色した左目を閉じた。

「それに外見は化け物じみてきたけど、まだ正気だから。

 どうやらRNA-774は、

 脳細胞に感染するまで時間がかかるらすい・・・」

 らすい・・・?彼の口調にも変化が起こりつつあった。

そこで有田真由美が、小手川浩に問いかけてきた。

「小手川君、さっき女性ホルモンのなんとかって物質が、

 感染を妨げるって言ってたけど、

 私、化け物に引っかかれちゃったんだよね。

 それでも大丈夫なのかな?」

 彼女は笑った。だが頬の筋肉は痙攣している。

「じゃあ、ちょっと傷口見せて」と小手川。

 有田真由美は、チノパンをまくって包帯を取った。

包帯は血と汚れで茶褐色に変色していた。

傷口はどす黒いシミのようなものが広がっている。

小手川浩は首を振った。

「だめだ。感染してる・・・有田さんにも、ワクチンが必要だ。

 あればだけど・・・」

 その言葉を聞いて、彼女はうなだれた。

一気に気力を奪われたかのようだ。

「ここは、書類ばかりだ。ワクチンがあるとしたら、

 あと二つの部屋のどちらかだ」

 水落圭介は気を取り直して、隣の部屋に続くドアを見つめた。

「水落さん・・・これ・・・」

 小手川浩は、震える手でキーの束を渡してきた。

圭介はそれを受け取った。

 隣の研究室へと続くドアに向かう。鍵穴にキーを差し込んだ。

2つ目のキーで開いた。

ドアノブを握る。何があったのか、そのドアは歪んでいた。

水落圭介は肩を当てて、体重をかけて押し開ける。

鈍い音を立てながら、ドアは開いた。

 部屋に一歩入った圭介は、目を見開いた。

そこは廃墟のように、なっていた。いくつもの机、

椅子や錆付いた機材が、散乱し、

さらにそのすべてが大破していた。

圭介の後に続いて入ってきた3人も、

その光景を見て驚きを隠せない。

 だが、そこにはただ一つだけ、ほとんど無傷と思われる、

巨大なものがあった。

 それはとてつもなく大きい水槽だった。

その中は、得体の知れない緑色の液体に満たされている。

そして、その水槽に入っていた物は、

4人に戦慄を走らせるものだった・・・。 

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