見出し画像

名無しの島 第32章 地響き

 その轟音は地鳴りのように響いて、部屋全体を震動させた。

天井からコンクリートの破片が、時雨のように落ちてくる。

間違いない。隣の部屋にいる、

人体ムカデが壁に体当たりをしているのだ。

しかし、壁も厚さは1メートルもあるのだ。大丈夫だ。

水落圭介はそう思いたかった。

斐伊川紗枝は不安そうに、脱出ハッチに足から入っていった。

まだ、ハッチの縁を両手で掴んでいる。

まだ降りる決心がつかないようだ。

ハッチの縁をつかんでいる彼女の指は

力を込めるあまり、青く変色している。

「紗枝、早くしろ。大丈夫だから」

 圭介は、できるだけ優しく説得した。

斐伊川紗枝は、こくりとうなづく。

そして、両手を放した。

彼女の姿はハッチの闇の中に、吸い込まれるように消えた。

一方、小手川浩は、まだ部屋の中の何かを探している。

マグライトの光が、辺りかまわず照らし出す。

「小手川君も早く来るんだ!」

 水落圭介は、叫んだ。だが、

彼は圭介の声が聞こえないかのように、何かを探している。

人体ムカデは体当たりを繰り返している。そのせいで、

部屋中にコンクリート片や埃が舞い上がって、

霧のように視界が悪くなる。

小手川浩の姿は、薄っすらとした影しか見えない。

「あった・・・」

不意に小手川浩の声が、轟音の中で耳に届いた。水落圭介も、

彼が何を見つけたのかわからない。

「水落さん・・・(シュッ)この部屋の、

 地下にある軽油タンクの(シュッ)

 パイプがありました!」

 小手川浩が、ありったけの力を込めて叫んだ。

「何をするつもりだ?小手川君!」

 圭介の声が、彼に届いたかどうかわからない。

なぜなら、人体ムカデの体当たりの震動が、

一際大きくなったからだ。

それはまるで、地震のようだった。

立っている事さえままならない。

まるで数十トンの大型トラックが、

繰り返し衝突しているようだ。

水落圭介は壁に手をつき、

なおも小手川浩の名を呼んだ。だが、返事がない。

飛散するコンクリート片が舞い散る中、圭介は見た。

コンクリートの壁に、

クモの巣状の亀裂が入り始めていることを。

その亀裂は次第に大きくなっていく。

あの化け物が、コンクリートをぶち破って、

この部屋にに現れるのも時間の問題だ。

 その時、ウエストバッグから

ピーピーという音がかすかに聞こえた。

水落圭介は、ウエストバッグのジッパーを開いた。

その音は井沢悠斗から預かっていた、

トランシーバーから聞こえる。断続的に鳴り響く轟音の中で、

水落圭介はトランシーバーの受信ボタンを押した。

「水落さん、聞こえ(シュッ)・・・ますか?どうぞ」

 小手川浩の声だ。彼の姿は、

今や霞のようになっている状態のこの部屋では、

どこにいるのかさえ見えない。

「聞こえる。小手川君、急げ。奴が来る!」

 圭介はトランシーバーに向かって叫んだ。

「地下の軽油タンクには・・・まだ(シュッ)

 大量の軽油が・・・あると・・・(シュッ)

 見つけたパイプは・・・そのタンクと(シュッ)

 繋がっているみたいです・・・」

 小手川浩の声が、か細くて、ほとんど聞こえない。

圭介はボリュームのツマミを最大にした。

「このパイプに・・・(シュッ)

 穴を開けて・・・点火させます・・・」

 小手川浩の言葉に、水落圭介は驚愕した。

70年以上前の軽油タンクだ。

どれだけガス化しているかわからない。

そんなものに点火すれば、どうなることか・・・。

それはもはや爆弾と変わらない。

「だめだ!小手川君。そんなことしたら、

 爆発からキミは逃げ切れないぞ!」

「いいんです・・・(シュッ)

 それより早く逃げて・・・ください」

 その言葉とほとんど同時に、金属同士がぶつかる、

かん高い音が、鳴り止まない轟音の中で聞こえる。

 小手川浩は、水落圭介から借りたピッケルで、

パイプに穴を開けようとしていた。

何度も何度も、必死になって穴を穿とうとしている。

全身は汗でまみれていた。

足元に転がったトランシーバーからは、圭介の声がするが、

彼は応答をしなかった。

ただ、パイプを破壊することに専念している。

やっと手のひらぐらいの穴が開いた。

プシゥウウウウウ―――

 中からガス化した軽油が、

音を立てて蒸気のように噴出した。

小手川浩が、尻ポケットをまさぐり、

これも水落圭介からあずかった、

ジッポライターを取り出した。・・・

それとほとんど同時だった。

コンクリートの壁が、吹き飛ぶように崩れた。

数トンものコンクリートほ破片が

反対側の壁面に叩きつけられ、弾けるように粉々に霧散する。

 水落圭介は見上げて、全身に戦慄が走った―――。

そこには霧のようにかすみがかった中に、

巨大な影があることに。それは人体ムカデのシルエットだった。

 人体ムカデの2体の上半身は、

パイプのそばにいる小手川浩の方向に向き直った。

彼と人体ムカデとの距離は2メートルと離れていない。

化け物は、2体の上半身を小手川浩に向けて覗き込む。

シャアアアアアアアッ

人体ムカデは小手川浩を威嚇するように、

凶悪な銀色の歯がならんだ二つの顔を向けた。

それこそ、顔を付き合わせるような近さだ。

4つの銀色の目が、彼を見つめた。

小手川浩も、銀色に変化した両目で睨み返した。

だが突然、人体ムカデは小手川浩に興味を失ったように、

彼を襲おうともせず、方向転換する。

小手川浩を、仲間と感じたのだろうか?

それだけ彼の感染は進んでいるということなのか?

 化け物が方向を転じた先には、水落圭介がいた。人体ムカデが、

彼の気配に気づいたようだ。

化け物との距離は数メートルと離れていない。

巨大な異形の影がゆっくりと、圭介に近づいてくる。

そのシルエットは、次第に大きくなっていった・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?