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名無しの島 第25章 歪むリノリウムの床

 研究室に続く下り階段は、これまでと違い、

コンクリート製の頑丈なものだった。

ところどころ、シミ見たいなものが浮き上がっていたが、

崩れる様子はまったくなかった。

研究室はどれだけの広さがあるのか、検討もつかなかった。

すべてが闇に閉ざされていて、何も見えない。

ただ、巨大な空間が広がっているのは、感覚でわかる。


 4人は慎重に階段を降りていった。一歩一歩確実に。

そこで、ふいに小手川浩が声を出した。

「水落さん、マグライトを貸してください」

小手川浩に言われ、圭介は彼にマグライトを手渡した。

その時、圭介はギョッとした。

小手川浩の腕が灰色に変色していたのだ。

彼もまた、桜井章一郎と同じように、化け物になりつつあるのか?

ということも自分も例外ではない―――。


 小手川浩は手渡されたマグライトで、壁の一面を照らして、

何かを探している。3人は周囲に注意しながら、

そんな彼の動きを見つめていた。

「あった」

 ふいに小手川浩の声がした。それはささやき声に近かった。

壁から引き剥がしたのだろう。

小手川浩の手にはB4サイズのこの研究室の見取り図があった。

「これによれば・・・まだ電力が供給されてるかもしれません」

彼はそう言うと、マグライトであちこちに光を当てる。

「これだと思います」

小手川浩は、配電盤らしきものを照らした。

その配電盤は金属製らしかったが、上にずらすと簡単にはずれた。

古手川浩はしばらく、いくつものトグルスイッチを眺めていたが、

結局すべてのスイッチをONにした。

すると、天井の蛍光灯が生き返ったように明かりを点す。

だが、そのいくつかは経年劣化のためか、

不規則なな明滅を繰り返している。しかし、これで明かりは確保はできた。

そればかりではない。気のせいか、いくぶん4人の表情が明るくなる。

なんといっても、人工の光は久しぶりだ。

文明社会に帰ってきたような気がする。

 だが、天井の照明に照らされた4人のいでたちはひどいものだった。

顔や腕は汚れやかすり傷で汚れ、身に着けている衣服も泥だらけで、

あちこちがほころびている。

しかし無理も無い。これまで異形の化け物たち相手に、

何度も死闘を繰り返してきたのだ。

あんな化け物相手に戦ってきて、

まだ誰も・・・井沢悠斗以外は・・・致命傷を

負っていないことは運がいいとしか思えない。

 しかし圭介は、小手川浩の姿を見て、

再び一瞬脈拍数が一気に上昇したかのように驚いた。

彼の顔、そして破れたポロシャツからのぞいている胸元の肌が、

明らかに灰色になっていたのだ。

つい先ほどは、腕だけが変色していたように見えたが、

それはすでに彼の全身に及んでいるということなのか?


「小手川さん、具合でも悪いの?顔色悪いんだけど」

斐伊川紗枝の何気ないこの問いに、彼はビクンと体を硬直させた。

小手川浩は斐伊川紗枝に背を向けて言った。

「頭痛がひどくて・・・。

 自分じゃわからないんだけど、そんなに悪いかい?」

 ぎこちなく質問を返してきた彼に、

有田真由美が自分の胸ポケットから、

ちいさな手鏡を取り出して、無言で渡した。

小手川浩はその手鏡を手に取ると、自分の体の露出している部分を、

確認するように見ていった。

最後に自分の顔を見た時、手鏡を持った左手を、

力が抜けたようにぶらりと落とした。

 顔は無表情のままだったが、

ショックを受けているの誰の目にも明らかだった。

水落圭介の胸中にも、言い知れぬ不安と恐怖が頭をもたげた。

小手川浩の手から、ひったくるように手鏡を取ると、

自分の顔を見た。

小手川浩ほどではないが、灰色がかっているように見える。

有田真由美と斐伊川紗枝の顔は、

泥だらけで汚れてはいるが、人間の肌色をしている。

自分と小手川浩だけの肌だけが、彼女たちと違う。

それは蛍光灯の明かりのせいだけではない。

「ワクチンを探しましょう」

事情をある程度知っている有田真由美が、つぶやくように言った。

 水落圭介は、気を取り直して、辺りを見渡す。

そこは見たこともない計器や機械類で埋め尽くされていた。

といっても最新の技術を匂わせるものではなく、昭和の自動車にあった、

旧式のタコメーターのような計器がいくつも並んでいる。

そのそれぞれには、アナログな調整ツマミみたいなものまである。

しかもそのすべてに、何重ものクモの糸が覆いかぶさっていた。

天井も壁もくすんではいたが、コンクリート剥き出しではない。

金属板をいくつもはめ込んだようになっている。

床はリノリウムだ。そして、面積は学校の教室くらいだった。

ただ天井までは5メートル近くもある。

「意外と狭いな・・・」

水落圭介は、ぽつりと言った。

それに反論するかのように、小手川浩が言う。

「違います。この図面によると、

 この研究室は4つのパーテーションに区切られていて・・・

 といっても各室の壁は1メートル近いコンクリートで、

 できているみたいですが、まだこの先に3つの部屋があるようです」

小手川浩は、さきほど壁から

引き剥がした図面を見ながら説明した。

そう言う彼の顔は、無表情のままだった。


「発電の・・・その動力源はどうなってるの?」

 不思議に思った有田真由美が訊いた。

「この研究室全体と同サイズの巨大な軽油タンクがあるようで、

 それを燃料に発電タービンを回しているんだと思います」

彼女の質問に、小手川浩が答える。

「70年以上も前の発電機が稼動するとは・・・

 さすが日本の技術だな」

水落圭介は、皮肉っぽく笑って見せた。

笑っていないと、心が押しつぶされそうになる。

化け物への恐怖と、自分の身に起こっている異変の恐怖とに・・・。


「ここにワクチンらしきものは無いようだ。

 次の部屋に行ってみよう」

水落圭介は力強く言ったつもりだが、

その声は、自分では制御できないほど震えていた・・・。

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