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台湾映画【老狐狸OLD FOX】感想、静かで重みのある充足感

「ああ〜雨が降った涼しい日、週半ばの仕事終わりなんかにレイトショーでいい感じの映画を観たい…」

というフワッフワでスッカスカな願望が湧き、
「オールド・フォックス〜11歳の選択〜(原題:老狐狸)」を観てきました。
というか…そういう気分の日にめちゃくちゃ合う。というか本当に雨が上がった夜に合う。
ああ人生って、世の中ってそうなんだよな、という…非常に手に馴染む納得が満ちた映画でした。
色彩や音楽含め映画館で観るのがいいと強く思いますので行ける方は是非に!
あと何も知らずに観に行ったのですが、成化十四年の隋州を演じていた傅孟柏さんが少しだけご出演されていました。

そんなこんなで久しぶりに感想文です。


あらすじ

1989年、父親と二人で暮らす少年廖界(リャオジエ)は亡き母親の夢だった理髪店を開くことを目標にコツコツとお金をため、3年後家を買おうと慎ましやかに暮らしていた。
父の廖泰来(リャオタイライ)はレストランで給仕をしており、リャオジエは厨房で他の労働者に可愛がられながら毎日学校の宿題をこなし、一緒に父と家に帰る。
月に一度家賃を回収しにくる美人なお姉さんこと林珍珍(リン)は彼らの家主に雇われた元ホステス。愛想も良く、各家を定期的に回り、コミュニケーションをとって家主のビジネスを支えている。
そうした穏やかな日常の一方、台湾ではバブルが膨らみ家の価値が急速に上がって世の中は変化していく。
そして、とあるきっかけから「腹黒い狐(老狐狸)」と噂されている家主の謝と出会い、気に入られたリャオジエは謝と交流を深めていく。

謝は言う。
「世の中は不平等で、強い者のそばに居ればおのずと強い立場になれる」のだと。善人であることが財を築くことには繋がらない、貧乏出身の謝は自ら学んできた経験を以てリャオジエに様々なことを教えてくれる。
ただひたすら家を買うという夢を叶えたいリャオジエ。
手段を選ばずのし上がることを是とする謝の教えによって彼は様々なことを学んでいく。善人なだけでは欲しいものは手に入らない、世の中は不平等だ。
しかし彼の父親は非常に善良で、それを負け組と呼ぶ謝の言うことは正しいのだろうか。謝は確かに大金持ちで、父と自分は貧乏で…
変化の中で11歳の少年リャオジエが選びとるものとは。

みたいな感じですかね。
※以下は大いにネタバレがある感想となります。

老狐狸、謝という人の憎めない人らしさを通して

リャオジエの住む家の家主、謝の人生観は
「不平等を利用する」「強い人間とだけつるむ」「約束は約束だ」などにも出てたと思うんですが、
個人的には「郵便は配達する、ゴミを拾えばガラスで手を切る、世の中そんなもんだろ」のセリフが一番しっくり来ました。

セリフ以外のところでも
かつて母親が拾って手を切ったゴミの上に立つ姿、
ゴミ収集場に高級車を何台も保管しているところ、
これから価値が出ると謳われる画集の審美眼が本人には無いところ、
どれだけ綺麗な格好をしていても屋台の仙草を食べているところ、
などなど思い返してもキリがありませんがとにかく作品の端々でめちゃくちゃ滲み出てたなと。
というか本人が語る量より遥かに多く周辺情報が彼のことを教えてくれるんですよね…しかもすごく魅力的に。

故に、彼とリャオジエが向き合って階下の事故物件を売ることを決めるシーンではどうしても老狐狸に肩入れして観てしまいました。
私と同じで何がいけない?というリャオジエから答えが聞けるわけのない問い。
彼が聴き続けている曲、鳴き続ける鳥が帰る巣を見つけられないところなどに重なってめちゃめちゃ苦しい。
(とか言いつつ一回しか見てないからセリフなどうろ覚えで思い違いもあるかも)

助けてほしい時に誰も助けてくれなかった、だから自分が強くなるしかなかった。というのは程度の差あれど誰しも覚えがあると思うんですが、
謝に関してはそれに上乗せして
「だから俺も他人なんか知ったことではない」と非情に徹し
他人を切り捨てる才能があったことが大きいように思いました。

はあ、かといって氷水を一口飲んで、
目を閉じて、「干我屁事」他人なんか知るかと唱えて情を切り捨てる
という彼の良心がゼロとはねえ、どうしても思えないんですよね。

仲違いした息子(なお傅孟柏さんでめちゃめちゃビックリした)を亡くし、妻も離れていき、
リャオジエには負け組と言いつつも家の中に母親の肖像を飾り、
自宅で祈りを捧げる彼が彼の望む方向性で救われる未来は来ないと思う。
寂しい、思えば思うほど寂しい…けど彼は決して不幸なわけでない。難しいんですが。

というのも謝自身が自分の人生に否定的なわけでは無いと思うので、他人が彼の不幸をジャッジするのって傲慢な感じがして。

加えて彼が抱える悩みや自問自答って富んでるものの特権だと個人的には思ってまして。
まあ彼の境遇、人生含めて言葉を借りて表現するなら「世の中そんなもんだろ」に違いない。言葉にし難いけどそんな感じで好きだ…老狐狸が。

リャオ親子について

お父さんの「良い人なんだけどそれ故に損をしてそう」感の素晴らしさ!
背から滲み出ている負け組、その説得力たるやすごかったです。
本当に優しい。言葉を荒げることはないし、貧乏でもクリスマスにはプレゼントを用意して、飾り付けをしてくれて、テストの点が悪ければ一緒に勉強してくれて、服は作ってくれて。
優しすぎて、見てるだけでなんだか泣きそうになる。

そうそう私が見る映画、ドラマとか読んでる本って大概ミステリーやサスペンスで人が大変な目に遭うので
どうかこの親子が大変な目に遭いませんようにと全編通してめちゃくちゃ思ってました。
結果として彼らがめちゃくちゃにならなくて本当に良かった。マジで本当に良かった。
親子の間で生じる繊細な不和、少年の成長と反抗、父親から息子に対する愛情、距離感。教えたいこと、伝わらないこと。そして無常感。
諸々がめちゃくちゃ丁寧に描かれていて二人のシーンでは特に没入感を覚えました。

特にリャオ親子で好きなのはクリスマスから年越しのシーン。
お父さんがカッターの刃を丁寧に捨てるシーンはこの時点から印象的で
「干我屁事」の真逆をいく温かみのあるシーン。
喧嘩してもプレゼントですっかり持ち直すリャオジエの少年らしさにこんなに安堵を覚えるとは。
お父さんと一緒に自転車で雨の夜を走るシーンも大好きです。

反対に苦しいシーンは「もうガスを止めなくてもいいよ、リャオジエの言う通り意味がない」とお父さんが手紙に書き残しているところ。
何かもう元に戻せない喪失みたいなものを感じて辛かった。
子供の頃ってどうしても親が一人の人間であることを失念してますよね、父親であってリャオタイライという人ではない扱いというか。
そういう「お父さん」の喪失に近い感覚があって辛かった。難しいんですが、お父さんの守ってたものを一つ壊しちゃったみたいな。

そして観客我々にお父さんだって一人の人で人生を歩んでるんだよなと思わせてくれる門脇麦さんとのシーンも素晴らしかったですね。
3年間彼は待った、そして手に入らなかった。この対比よ。
どの登場人物も時代に息づいているという肉感みたいなものがあった。
それがごく自然にあるのも本当に好きでした。

男女がもう、ねえ顔を食うんかい!?!?というほどのムッッチュムチュの貪り合うキッスをぶちかましまくって朝を迎えるとか、そういう表現が無いのにこの映画はいろんな愛に溢れている。

全体を通して考えると

老狐狸の言うこともわかる、リャオタイライの言うこともわかる、そしてリャオジエの気持ちもわかるしリンの気持ちもわかる。
どの登場人物にもどこか共感できるところがあるんですよね。完全な悪役は居らず、皆それぞれ自分の出来る範囲で生活を守りながら暮らしていて、そこに世の中の大きな波が来てあえぎあえぎ生きているみたいな。

まあそれだけなら映画にする必要って無いのかなと思ったりするんですが、この映画に関してはリャオジエという少年が考えることや思うこと、
また謝やリャオタイライの考え、そして成長したリャオジエの姿や行動を見て、
やっぱり「こうあってほしい」という人に対しての善性や願いを捨てたく無いし信じたいなあというのを丁寧に納得させてもらえるというか、
取り戻せた感が強かったです。観た後の何か満ち足りる感覚がすごい。

対話の描写が丁寧だから言葉や行動の一つ一つがすごく腑に落ちた。
私もそうだけど、現代人ってこういう感情に対して冷笑的だから余計に。

あとそうそう、平和な瞬間とは裏腹に、灰皿で殴られたり、ガラスのケースに叩きつけられたり、人が首を括ったりするのを一気に見せられるあの緩急もたまらなかったですね。
すごかった、本当にあの瞬間にあの三連発が来る演出なんかもすごく好みでたまらなかったです。いや、なんかハッとさせられたいから…。
急に語彙無くなっちゃった。

他にもリャオジエと謝が一緒にいじめっ子を見返すシーン、好きだったなあ。夜に出かけて悪いことをしている時のワクワク感。
謝が「母親なら叱ってた」と言うと「僕の父もそうだ」と答えるリャオジエ、あのやりとりもすごく良かった。あの瞬間の二人は友達だったと思いました。

いやもうね、本当にフワッフワの動機で観に行ったのが申し訳なくなるほど良い映画でした。

オススメですし、他の方の感想も聞きたい!

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