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大学を休学することにした

 2022年5月末をもって、2年前の4月から約2年間通っていた大学を休学することにした。今のところ春学期のみ(つまり夏休み含めて9月まで)の休学を予定しているが、ぼくの精神状態がどう転ぶかは自分でも全く予測がつかないため、今後の動向については様子を見ながらゆっくり考えることにしている。

 なぜ、大学を休学するという決断に至ったのか。簡単な理由である。「精神を病んだ」からだ。むろん、ぼくは大学が嫌いになったわけでも、学問に嫌気が差したわけでもない。今でも本を読むのは大好きだし、できることなら同好の士と、先生と、コアな話でたくさん盛り上がりたい。だが、かつての自分に存在していたはずの学問に打ち込める精神、本を乱読できる精神、友人と気さくに話す精神、全ては長く続いた抑うつ状態のもとで曇りきってしまったのである。

 そもそも、ぼくが「かねひさ」というハンドルネームでTwitterを始めたのは2017年、高校1年生の時だった。大して頭も良くない癖に中途半端な自意識だけ持っていたぼくは、大した勉強もせず地元の高校に合格した。そして数か月後、体調を崩して学校に行けなくなった。精神科でついた診断名は「起立性調節障害」だった。中学時代に受けたいじめのトラウマが拗れた結果、社交不安障害も同時期に発症。メンタルの弱さを抱えながら、現実から逃げるかのように辿りついたのがTwitterだった。昔のアニメーションが大好きだったので、そういうことを色々とつぶやいた。図書館で何かを調べることも好きだったので、学問の作法も知らぬまま色々と調べた。その結果、自分のツイートやブログが在野の素晴らしい研究家やライターの方々の目にとまり、まだ高校生だった自分は明らかに身分不相応であろう研究会に誘われ、次第にアニメーション研究の世界に入り込んでいった。2018年頃の話である。

 当時はとにかく「漫画映画」にとり憑かれた毎日だった。最初に合格した高校は既に行けなくなっていたので、最低限の登校で卒業に必要な単位を取得できる通信制高校に在籍しつつ、体調が良ければ図書館に足繁く通い、家では図書館から借りてきた本を乱読し、パソコンとにらめっこする毎日だった。今思うと、ずいぶんと充実した生活だったと思う。いわゆる「アオハル」な高校時代ではなかったけれど、自分にとってはあの毎日もひとつの「青春」だった。

 2019年頃には知り合いの研究者やライターの方々からの貴重なアドバイスを受けながら、見よう見まねで論文や研究発表のような代物を作るようになった。一般入試やセンター入試を受けるには高校時代に培った基礎学力が低すぎるということで、イチかバチか論文評価型のAO入試を受験。運よく通ってしまった。こうして、ぼくは晴れて某大学文学部の学生となった。将来は映画アーカイブ施設の学芸員にでもなろうかなぁ、大学に入ると映画が好きな友人と色々楽しく話ができるんだろうなぁ、なんて思っていた。

 しかし、その楽観的な見通しが甘すぎたことに、徐々に気づいていくことになる。

 2020年4月に大学に入学したぼくは、徐々に大学の現実を知っていく。総合大学はもはや多くの学生にとって就職予備校として機能しており、別に誰も研究しに大学に来ているわけではなかった(当たり前なのだが)。文学部に入学したからといって人文学に興味があるわけではないし、映画について研究する道を選んだからといって映画が特別好きなわけでもない。それは至極当たり前のことなのに、高校時代に同世代のコミュニティから零落し、インターネットのコミュニティの中で感覚が麻痺していた自分にはあまりにもカルチャーギャップが大きく見えてしまったのである。今思うと、あまりにも「社会」をわかっていなかったのだな、と恥ずかしくなる。

 とはいえ、講義の内容はとても刺激的でたくさんの新たな知見も得られたし、友人もできた。文章だって大学入学前に比べるとそれなりに「読める」ものが書けるようになっただろう。決して大学生活が苦痛に満ちていたわけではない。だが、自分でも気づかぬうちに、ぼくの精神は徐々にぼく自身をむしばんでいった。

 大学1回生の頃から精神に陰りは見えていたが、しょせん高校の頃から地続きな「気分の波」の範疇だろう、と思ってあまり気にすることもなかった。元々ぼくは気分の変調が平均よりも若干激しい人間で、落ち込んだり嬉しがったりといった気分が割とコロコロ変わりやすい人間だった。その気分の変調で生活に支障が出ることもなかった(周囲に迷惑をかけていた可能性は大いにある)。しかし、2021年を境にぼくの精神状態は悪化の一途をたどることになる。

 当時の日記を見返すと、2021年の2月を境に「文章が全く書けない」という極度のスランプ状態に陥っていたことがわかる。自分の記憶をさかのぼってみても、恐らく現在まで断続的に続く強烈な鬱の波としてはこれが最初期のものだったはずだ。「(意欲が失われており体調も良くないので)ベッドで寝たきりになっている自分が社会から断絶されているように感じる」といった「社会との距離」を感じてしまう意識は、既にこの時期から顕在化していた。この鬱の波自体は3月上旬に過ぎ去ってしまうのだが、この時のぼくは意外と冷静に「今の自分は軽躁状態にある」と自覚している。実際その通りで、この後も軽躁と鬱の波を何度も何度も繰り返し、そのたびに鬱の波がどんどん長く深くなっていくのだった。

 ぼくの中で決定的に何かが「壊れて」しまったと認識しているのは、2021年10月に「何ヶ月にもわたって」自分への誹謗中傷(とみられるツイート)を書き連ねているアカウントを発見してしまった時である。このアカウントは元々自分のフォロワーだったのだが、ある日を境に自分を執拗に中傷するツイートを繰り返すようになった。(現在は相手方のアカウントはブロックしており向こうもこちらをブロックしているようなので、これ以上の掘り下げはしないでおく) この些細(?)なトラブルが決定的となって、1日中ベッドの中で塞ぎこむような日が一気に増えたように思う。

 こうして精神が少しずつボロボロになっていく中で、少しでも息抜きになればと思い、現代のモチーフを昭和風の映像表現で風刺した動画を連作するようになった。これがTwitterとYouTubeで拡散され、4月頃よりものすごい数の反響をいただいている。ぼくが今まで蓄積してきた何かが一気に塗り替えられていくかのような困惑を覚えると同時に、ぼくが今まで好きだったものが「大衆に広く受け入れられる」という純粋なうれしさも感じていた。しかし、YouTubeのコメントの民度の低さはTwitterの比ではない。類似するコンセプトで動画を制作されているクリエイターさんの名前を挙げて比較され、誰目線なのかわからない立場でコメントを書き捨てていくようなユーザーが少なからず存在した。数年前の自分であればそのコメントも笑い飛ばせたのであろうが、今の自分にはそのコメントを笑い飛ばせる精神的余裕はなかったのである。

 そして、2022年5月。在宅で動画制作や原稿執筆に従事できる精神的余裕は辛うじて保持しているが、もはや毎日家を出て満員電車に乗り、喧噪をくぐり抜けて数時間の講義を聴講する体力がぼくには全く残っていない。さらに追い打ちをかけるように、同級生たちはみんなそろって就活の話を持ち出すようになる。この日に日に大学を支配していく「就活ムード」が休学の決め手だったかもしれない。今の自分の精神状態では、画一化された空気感の中でどうにか社会に適合しようと一生懸命に生きる人々の中に入るどころか、そんな空気のそばにいることすらできないと思った。

 自分が今回決断した選択は、ある種の「逃げ」なのかもしれない。しかし、「逃げ」がまだ許される場所で「耐え」を選び何もかもが崩壊してしまうよりかは、自分のペースで「逃げ」、もう逃げる必要はないと思った時にふっと逃げた道に戻ってくることも、あながち間違いではないような気がする。それは「甘え」なのかもしれないけれど、自分を適度に甘やかさないと潰れてしまいそうになる弱い人間なのだから、それも仕方ないのだ。

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