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【創作】運命って難しいな

僕を含め、終電を逃したサークルメンバーは、カラオケで始発まで時間を潰すことになった。
酔いが覚めていたのは何時間前のことだったのか、今はもう定かではないけれど、カラオケに吸い込まれた時点でもうそんなことはどうでも良くなった。

2個上のダイキさんがマイクを離さずに歌い続け、それを盛り上げている数人。その中には僕も含まれていて、どこかで冷めた感情を持ってしまいながら、それを口に出すにはお酒を飲み過ぎている、つくづく厄介な時間帯だ。

曲が終わったタイミングで、僕はトイレに行くため外に出る。
僕たちが通されたフロアには男子トイレがなく、僕は一階下まで階段で向かう。
深夜の新宿は目の覚めるようなネオンが深夜になるとその光を一層強くし、星は全く見えない。星のようにチラつくのは眼下に見える人々の姿だった。

踊り場に着いたとき、階段で座ってうずくまっている女性がいた。
それは同じサークルの一個上、ミキさんだった。そういえば数十分前からカラオケのルームでは見ていなかったような気がする。

「おつかれさまです」
トイレに行って、それでもまだここにいたら連れ戻そうと考えていた。
8月の夜中とはいえ、そこそこにお酒を飲んだ女性を半分屋外のような場所に置き去りにするのは胸が痛む。
彼女はうずくまった姿勢は変えずに、小さく頷いた。まだ意識はあるようだった。



階段に戻るドアを開けると、彼女は俯いていた顔をあげ、こちらを見た。
「寝るとしてもここは良くないです、部屋戻りましょう」
酔っ払いに似つかわしくない優しい声をかけるものの、彼女はまた俯いてしまった。
引きずって連れていくのは得策ではない、そう考えた僕は彼女と同じ段に腰掛ける。


その瞬間、彼女は僕にキスをしてきた。
首元に巻き付くように腕を絡めて、倒れ込むように僕に体を預けてきた。
僕が飲んでいない甘いお酒の匂いがほのかに香る中、唇を重ね合わせ続けた。
僕はどうしていいか分からず、彼女の体に触れないように腕をすこし離した。


唇が離れ、僕は目を開けた。
彼女は僕の首元辺りをすこし虚ろな目で見ていたが、それがお酒なのか先程の出来事なのかを判断する脳は今の僕にはなかった。


「あんまり良くないっすよ、こういうの」
「うん……」彼女は目線をさらに下げて、まるで僕に怒られているような小さな声を出す。思ってた反応と違った僕はすこし焦りを覚え、
「そんなことされたら好きになっちゃいますよ」すこし笑いながら伝えた。

「好きになるだろうな、と思ってるよ」
「うーん………」
「私のこと好きだろうな、と思ったからキスしたんだよ」
「なるほど、難しいっすね」上を見ながらこぼしたセリフは、僕と彼女の前にポトリと落ちて、すぐに消えていった。


「お水買いに行こうよ」
この言葉をそのまま受け取るほど、もう僕も純粋ではいられない年齢になった。
「お金ないけどいいですか」
「お水買えるくらいはあるでしょ」
どうやら僕の行き過ぎた妄想だったようだ。
「さすがにそのくらいはありました、酔っ払ってるんですよ」


「歌舞伎町一番街」のネオンを見つめながら、コンビニの前に座って水を飲む僕たち。
近くの居酒屋の有線からはOfficial髭男dismの「Pretender」が流れてきた。
「わたしこういう男嫌いなんだよね」ペットボトルから口を外した彼女がおもむろに話し始めた。
「あんまりそこ意識してなかったっす、歌上手いなくらいで」
「『君の運命の人は僕じゃない』とか言いながらさ、『君は綺麗だ』って言ってるの、なんかチャラくない?」
「あー、まあ言いたいことはわかるっすけど、男側の気持ちも分からんでもないです、この男は諦めたふりしてるだけですよ」
「諦めてるのか、諦めてないのかわかんないし、なんかずっと女々しいんだよね」
「男に女々しいなんて、そんな本末転倒なこと言っちゃダメですよ」

電車が通らなくなっても騒がしいこの街で、僕たちは肩を寄せて語り合い、笑い合い、そして空を見つめた。
きらびやかな照明の奥に見える空は、地上の明るさによって夜らしさを奪われたような、淡い夜の色をしていた。

「水買ったし、どこかに戻ろうか」
彼女はそう言って立ち上がり、旗を振って先導するように空のペットボトルを振り回した。僕は慌てて追いかける。
「戻る、なんて言ってる時点で一箇所しかないじゃないですか」
話しかけると彼女は振り返った。笑いながら
「君の戻る場所はもう一箇所あるでしょ」


そういって再び僕に覆いかぶさってきた。座っていた時よりもすこし低い、胸の位置で彼女は僕に腕を回す。
「ただいま、ですか…」
「そう、おかえり」
互いの耳元で小さく囁き合う。深夜2時の歌舞伎町は喜劇も悲劇も問わず全員を主人公にするような、妖しい魅力のある街だった。
もちろん僕たちもとある物語の主人公だった。

「運命って信じる?」
「こんなに戦略の練られたアプローチを、運命の一言で片付けますか」

「違うよ」彼女は僕の体から腕を解く。
さっきまでと声のトーンは変わり、少し地に足のついたような声に変わる。

「わたしにできるアプローチなんてのは、好きになってもらうことだけ。
きみがわたしのことを好きになることについては、何もできないんだ」
続けて言う。「私の気持ちが君に届いて、それを全て受け止めてもらえたら、もう運命だって思わない?」

その言葉を言い終えて、彼女は再び、いや三度、僕の体に抱きついた。
僕は彼女に抱きつかれながら、さっきまで彼女がいた場所、もう誰もいない場所を見つめていた。
それは彼女が僕に走り出してきても抱きついてきてもなお、さっきの言葉が耳から離れなかったからだ。

「運命を、自分の力で変えるんですね」胸元にくっつく彼女に向けて呟いた。
そうして、僕は彼女の両肩を抱きしめた。妖しいネオンの光は僕らを薄くしか照らしてくれなかったけれど、そんなのは些細なことだった。


彼女の頭を撫でて、上を向いた顔を見つめる。ほのかに赤らんでいる顔を見て、僕も自分の体温が高いことを感じた。
僕は喜劇の主人公になるため、互いの唇を合わせた。

僕の心臓の音しか聞こえない。とても静かな数秒間だった。




「どんな味がした?」

「お酒の味でしたね」

「サイテーだ、この子」




運命は少しビターな味わいなのだろう。
それにはいずれ気づくはずだから、
今日だけは甘い夜と唇に溺れて、二人で笑ってたいんだ。

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