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-思考するということの楽しさと価値-

2021.03.20 3回目の投稿 よろしくお願い致します!

さて、前回は外部指導員に関連する話題を綴ると予告しました。そのため今回は「思考」という言葉を一つのキーワードとして綴っていければと思います。

①-外部指導員と思考-

「思考」は日常的に人間が行っている活動です。何をするかどのように行うか自身と他者との会話において他者はどのように理解するだろうかどのように受け取るだろうか、など思考の形は様々。

そして今回の外部指導員と「思考」という言葉はどのようにつながるでしょうか。

私が現在サッカー部の外部指導員として指導させて頂いているのは主に中学生です。

中学生に対して皆さんはどのような印象をもっていますか?

思春期真っ只中中1の壁体の発達が早いおませさんなどこれも印象は様々。その中で私が一番感じたのは、「Why」「How」が多いということです。

私が指導したことに対して「なぜ?」・「どのようにして?」そうなるのか、なぜそれを行う必要があるのか。常に質問をしてきます。これは私が指導している生徒たちが、という可能性も否めませんが...。そこは一旦おいておきましょう。

では、何故やどのようにしてなどと聞かれるとなると指導者はどのようにすべきでしょう。私なりの答えとしてはしっかりとした「答え」を返答する必要があると言うことです。何故なら、子どもたちにその指導を納得してもらうためです。納得して行うものとしないまま行うものとはでは、物事の楽しさが変わりますし、理解度も違いますからね。

そして、一回この質問をされると指導者は今後しっかりと指導にその指導を行う意義理由を付けていかなければなりません。当然のことと言えば当然ですが、中には曖昧に指導をして曖昧な答えを返す人もいます。それじゃあやっぱり意味がないし、行う側(つまりここで言う生徒側・指導を受ける側)も納得がいきません。

だからこそ、現在指導を行う中でその意義や理由をしっかりと「思考」しなければならないと感じています。その中で生徒と真摯に向き合い、「生徒の返す言葉に耳を傾け、自分の思考を加えて適切な返答をする」、これが指導の根底にあるべきだと私は思います。

②-言語化と思考-

そして指導員と「思考」言語化という側面でもう一つ話していければと思います。

先程の話も指導者の「言語化的側面」ではありますが、「どう伝えるか」・「どのように理解させるか」というのは指導者の「ことば」一つ一つにかかっていると私は感じています。

また、生徒は一人ひとり個性をもっており、理解の仕方も十人十色です。だから、この言葉を使ったら「誰がどのように理解するか」・「どのように感じるか」を「思考」する事が必要だと思います。「全員に完璧な返答を」というのは理想ですが非現実的です。ただ、その「思考」を止めてしまったら良いもの・指導というのを生徒に届けることは出来ません。

つまり、「完璧なものを届けようとするための思考を常にし続けろ」という事です。私の指導者歴はまだ全然浅いですが、自分自身を客観視した時に見えてきた自分が思い描く或いは思考する根底にあるものはきっとこれです。

私はこれからもサッカーの指導者として関わっていきたいと思っていますし、より洗練された思考活動をしていきたいと思っています。そのためにはやはり色々な経験が必要であり、様々な人と関わることが必要であると感じています。

そして最終的に自身の指導者としてのあるべき姿を示していければ良いなと思っています。

思考することは相手を理解しようと努力するという事。そこには相手を理解するという楽しさと他者に寄り添い関係構築を促す価値を帯びています。

「思考」を止めず、その思考の先に自身の答えがあると信じて‥

では、今日はこの辺りで。

今回は次回予告無しでいきたいと思います!また、綴ります。




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