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「生きる」ということ。

音楽に触れるきっかけが、まだ「ラジオ」や「レコード」だった時。

ちょっぴり大人の仲間入りの中学時代から、毎週日曜日にラジオの前で釘付け状態で、ポップスのランキングを聞いていました。

当時いつも上位には、クイーンの音楽が流れていました。

結局、おこずかいを必死に貯めて初めて買った「レコード」が、実はクイーンの「オペラ座の夜」だったのです。

家にあったレコード・プレイヤーで、その人生初レコードをかける瞬間は手が少し震えました。

そしてそこから流れてくるクイーンの曲は、ラジオから流れるいつもの音ではなく、まるで目の前で演奏を聴いているかのような臨場感だったのです。

当時はフォークも全盛期だったので、高校入学時クラスの自己紹介では音楽の好みが分かれ、私と同じくクイーンが好きだった人と付き合うことになります。(ちなみにその人は、今でも音楽界で活動してますね。)

音楽とは、そんな作用もしますよね・・・

結局、私にとってクイーンは、青春の始まりだったのです♪

なので「ボヘミアン・ラプソディ」をいう文字と、その音を聞くだけでも、勝手に細胞が反応してしまうので、昨日は降参して映画を観ることにしました!

映画の内容に関しては、鰯埼友さんの記事をご覧ください。この記事にも惹き込まれて、思わず観に行くことになりました。

https://note.mu/iwa_t/n/n22259d43147f

また二度ご覧になっている、ニシカワの日記さんの記事も素敵です。

https://note.mu/nishi_kawa/n/n4e9c715b2e38

私はこの映画を通して、特に「生きること」とはどういうことかを、考えさせてもらいました。

フレディ・マーキュリーの「一生」として考えた時、あのまま病気にならなかったら、この大逆転ストーリーは果たしてあったのだろうか?

結局、彼は「死」と直面したからこそ、もう一度クイーンという家族に戻ることができて、「生き切る」ことができたのかも知れないと・・・

人生において「生きること」だけを意識して生活するのと、「死ぬこと」を意識して「生きていること」を感じながら生活するのとでは、全ての「価値」が変わってくるのかも知れないと思ったのです。

よく言われている「悔いのない人生を送る」ということですが・・

明日もしくは、あと一時間後に死んだとしても、「生き切った」という実感を伴う生き方がしたい・・・そう思ったのです。

「死」という言葉の、存在意義であり、存在価値。

それを、最大限に活用してあげたい・・・

だから、いつかは「死ぬ」からこそ、今を「生きる」!

とてもシンプルなことだったような、気がしてきました・・・。

拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡