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誤解してすみません、賢治せんせい!

最近はあるきっかけを通して、宮沢賢治氏にハマりました。
この年になってからですが、この年だからよかったのかもしれません!

今までの「宮沢賢治」のイメージは、小学校や中学校の教科書にときどき出てくる「あまりよくわからない、地味で暗いおじさん。」という印象だったんですね。

「雨ニモマケズ」の詩を習った時は、「おしん?ガマンが美学なの?!」とか、「風の又三郎」だって「だから、なに?」とか、「銀河鉄道の夜」は「よくわかんないんですけど..…」などなど・・・

あまり国語は好きではなく、答えがひとつだけの数学の方がマシだった立場からすれば、「宮沢賢治」の名前が出てくるだけで、実は苦手だったんですね。

しかし今回は「読んでおきたいベスト集!宮沢賢治」とかを読みながら、まずは「ちょっと不思議で、おもしろい人だなぁ。」と少しイメージが変わり、次には「なぜこのような文章が可能なの??」となって・・・

最後には、以下の本で「なるほど~!」と納得してしまったのです!


今甦る、賢治の幻の授業ー
花巻農学校時代の教え子たちの心に生きる教育者賢治。「春と修羅」などの背景となった賢治と生徒の交流を、丹念な取材で再現する。

畑山博著「教師 宮沢賢治のしごと」帯から


この本を通して、教育者としての宮沢賢治氏の姿が、しっかり理解することができました。

この本の「第十七章」に「 教育は芸術なり」があるのですが、気になった部分をこちらに書き留めておきます。

日本中の子供たちが、一人ひとり、プライドも才能も個性も違うのに、ただ一つのルールで走らされていることは悲劇である。なんとかならないものか、何か手だては見つからないものかといつも考えている。(略)
もし今賢治が生きていて、この教育の荒廃を目にしていたなら、何と言うのだろうか。(略) 人間の尊厳というのは、自分の力で生き、生き終えられるということである。(略) 賢治はその魂のシルクロード・オアシスのうちの敦煌にも似た大きな一つなのだ。

同上


今まで、うん十年間も・・・
誤解しまくってしまい、大変申し訳ございませんでした、賢治せんせい!!


しかし、私のような人も多いんじゃないかなと思うと、とても残念ですよね。

もしも今、賢治せんせいが、生きてらしゃったら・・
学校の教材として、ご自分の作品が教科書に載っていることは、喜ばれるかな?!


でも教科書として、一応触れておくだけでも、いいのかもしれませんね。

こうして私のように、しっかり反省して、ちゃんと出会うこともできますしね~♪








拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡