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古川柳八篇④ 書き置きはめっかりやすいとこへ置き 柄井川柳の誹風柳多留

 人の行動は、江戸時代も今も同じ。そんな日常を、江戸の一般庶民が五七五にする。
 柄井川柳からいせんりゅうの選んだ川柳を集めた「誹風柳多留はいふうやなぎたる八篇」の紹介、全5回の4回目。
 読みやすい表記にし、次に、記載番号と原本の表記、そして七七の前句まえくをつける。自己流の意訳と、七七のコメントをつけているものもある。 



書き置きはめつかりめっかりやすいとこへ置き

334 書置かきおきめつかりめっかり安いとこへおき  前句不明

 七七の前句は不明だが、五七五で十分わかる。家出の書き置きは、なぜか見つかりやすい場所に置いてある。この書き置きは家出だろうか。今の生活から抜け出したいけれども、それとは逆に、抜け出すのを止めてほしいという気持ちもある。人間の心は単純ではない。 



江戸の真ん中で別れる情けなさ

342 江戸のまん中でわかれるなさけなさ  前句不明

 心中事件を起こして未遂に終われば、江戸の中心(真ん中)、日本橋で三日間のさらし者にされる。その後は、男女別にして非人の身分にされる。そうなることはわかっているけど、それでも一緒になりたいと思う男女の仲。
 七七の前句まえくがわからなくてもよくわかる句が続く。
 もとは五七五七七の和歌の流れをくんで、三十一文字で完成していたものが、次第に五七五だけで完成した作品となる。これは俳句も同じで、和歌の前半、五七五だけで完成した作品となっていく。
 こうして俳句と川柳が江戸時代に完成した。 



戸塚とつかから五もんで来たと御用ごよう

410 戸塚から五文で来たと御用い  おごりこそすれおごりこそすれ

 江戸時代に、伊勢神宮への抜参ぬけまいりというものが流行はやった。抜参りをする人には沿道の人が助けてくれる。「御用ごよう」は、店の小僧。その小僧が、お金も使わずに伊勢へ行ってきて、戸塚まで帰ってきた。ここまでで使ったのは六郷の渡しろくごうのわたしの五文だけだというのだ。
 六郷の渡しは、東京と神奈川をわける多摩川にあった。
 日常生活から抜け出そうと思えば抜け出すこともできたのが江戸の生活。お金も使わずに旅行もできた。厳しいだけではなく、いろんなことができる抜け道もたくさんあった。 



吉原へ紅葉もみじをこぼすつむじ風

459 よし原へ紅葉もみじをこぼすつむじ風  はげしかりけりはげしかりけり

 正燈寺しょうとうじ(台東区)の紅葉が激しいつむじ風で(はげしかりけり)吉原へ飛んでいく。という意味に、吉原の遊郭へどやどやと突風が吹くようにお客がやってくる意味をかけている。正燈寺に紅葉狩りに行くという言い訳で遊郭通いをしていた人が多かったようだ。

吉原へ紅葉飛び行き人も行く
激しく吹くよな人の動きよ
 



 タイトル画像は江戸の浮世絵師、歌川国芳うたがわくによし(1798~1861)の作品の模写。「金魚づくし さらいとんび」より。
 金魚はフナの突然変異で、中国から伝わり、最初は貴重で権力者の楽しみだったものが、江戸時代になって飼育技術がすすみ、一般にも飼われるようになった。金魚売りが町の風物となり、金魚すくいも行われる。それに伴って品種改良も多く行われ、いろいろな種類の金魚がいた。
 江戸の人々は、金魚、さらにはメダカというペットを楽しんでいた。
 ペットを飼い、川柳や浮世絵を楽しむ。江戸時代の人々は、現代人よりも心の余裕があったのかもしれない。



 

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