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出来杉た話、杉の木について考える

 スギ花粉の盛りを過ぎたといえ、花粉情報が天気予報に出てくる。花粉症の人は大変だ。
 私が子どもの頃に花粉症なんて聞いたこともない。なぜスギ花粉が大量に放出されるようになったのか。

 これは、戦後、空襲で焼け野原となった山に、杉の木をたくさん植林し、日本を杉山だらけにしたからだ。杉の木は、それまでの日本でよく使われた木材だ。戦後の日本復興のためには杉が大量に必要になると考えた。
 それなのに、その後、杉を使うことがなくなった。杉材で作っていたものは金属やプラスチックなどで代用されるようになった。植えた時には小さかった杉の木もだんだん大きくなり、花粉をたくさんまき散らすようになった。これがスギ花粉の実体だ。


 杉は風媒花で、風まかせに花粉を空気中に放出し、花粉が雌花に巡り合うのを待っている。昆虫や鳥が花粉を運んでくれる他の花とは違う。だから大量の花粉をまかなければならない。

 花粉を付ける前の青い雄花は、小さい丸い玉がいっぱい並んでついている。杉鉄砲の玉にしたり、大量に口に含んで、パーッと口鉄砲にしたりして遊んでいた。杉の木は、家の周りにも当たり前にあった。


 杉は、日本固有の植物。だから、スギ花粉症も日本固有の物だ。外国では杉がないから、スギ花粉症もない。外国では、杉とは別の植物での花粉症があるらしい。


 戦後の植林以前にも、たくさんの杉が植えられた。それは、杉の需要があったから。
 「日本書紀」に、樹木の話が書かれている。

 スサノオノミコトが、「韓国には金銀の宝がある。日本には船がないので、韓国に行くことができない。」と言って、ヒゲを抜いて放つと杉になった。胸毛からは檜(ヒノキ)ができ、尻毛は槙(マキ)になった。眉毛は楠(クスノキ)になった。そして、「杉と楠(クスノキ)で船を作れ。檜(ヒノキ)で宮殿を作れ。槙(マキ)で棺を作れ。」と言った。

 こんな話があるくらい、日本人にとって、杉の木は大切だった。神世の昔から重宝された木材だった。
 杉は船だけでなく、柱や板の建築材や、樽(たる)や桶(おけ)、曲げて作る籠(かご)などの細工物にも使われた重宝する材木だった。樹皮で屋根を葺いたり、葉で線香を作ったりもできる。だから戦後に大量に植えられた。


 そんな杉だから、「杉」の付く名字や地名も多い。杉さんもいれば、杉山、杉田とある。出木杉くんはドラえもんの中の登場人物だが、杉の付く変わった名字も多い。「椙(すぎ)」という字で書かれることもある。


 昔、タカスギグループの「高杉、高杉~♪」というCMで、ロープ1本でするするっと杉の木に登り、枝打ちをする職人の映像を流していた。杉の木は真っすぐに成長する木だが、横から枝が伸びると節ができ、成長も遅くなるので切らなければならない。その映像だ。枝打ちをしなければ小枝がいくつも出てくる。小枝には花粉ができる。たくさん植えた木が大きくなれば間伐しなければならない。間伐しないと育たない。林業は手間がかかる。

 そういう手入れをしなくなった。山には杉の木が密集している。最初は小さかった木も、だんだん大きくなる。根も張れなくなり、山に水が出ればすぐに杉の木が流される。

 もともと杉は、水の多い谷に生えていたものを山のてっぺんまで植えまくった。
 本来、種から育てると、地中深くまで根を伸ばす。だから屋久島の千年杉のように樹齢何千年といわれる長い命を得ることができる。それを植林用に人間の手で増やしていく。種からなんて面倒なことはしない。挿し木とか接ぎ木で増やしていく。太い根が中心にあり、地中深く根が伸びるのではない。太い木を地面に挿して、そこから出る細い根で木を支える。巨木になっても細い根で支える。そんな木が日本中にあふれてきている。

 人間が手入れをして間伐すれば、土砂災害も防げる。「高杉~♪」のように枝打ちをすれば、大量の花粉が出ることもなくなる。花粉の放出量が大幅に減ることだろう。


 出木杉くんのような人が、新しい杉の活用法を考え、杉林を手入れすれば、今とは全然違う世界が生まれてくるだろう。
 スギ花粉症は人間が作り出したものだ。スギ花粉症は人災でもある。杉を使うことが多くなれば、杉の手入れをする人も増えてくるだろう。杉の活用方法を考えれば新しい事業にもつながるだろう。

 緑を守るためには、人間が手を入れて、緑を切ることも一つの方法であり、現実である。

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