見出し画像

教科書の短歌② 海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家 与謝野晶子

 光村図書中学国語2年に載っている短歌作品。
 正岡子規や与謝野晶子は、どの国語の教科書にも載っている有名な歌人。どの作品が載っているかは教科書によって違うが、参考として有名な歌はだいたい載せてある。与謝野晶子の有名な「海恋し」の歌も同じ教科書に載っている。入試にもよく使われる、覚えてほしい歌の筆頭となる。


海恋ししおの遠鳴りかぞへては少女おとめとなりし父母ちちははの家  与謝野晶子


 中学校の教科書には採用されないだろうが、私はこっちの歌の方が好きだ。

柔肌やわはだの熱き血潮ちしおに触れもみで 寂しからずや道を説く君  与謝野晶子


 私の興奮した若い体に触りもしないで道を説いてるあなた。私はあなたを欲しています。と、明治の時代に「みだれ髪」で歌った与謝野晶子(よさのあきこ1878~1942)は、「道を説く君」である歌の師匠、与謝野鉄幹と駆け落ちをしている。情熱的な歌とともに、「みだれ髪」の表紙も当時としては斬新なデザインだ。「海恋し」の歌は、そんな、捨ててきたふるさと、大阪の堺をなつかしんでいる。(「海恋し」の解説は「教科書の短歌①」)


 晶子といえば「君死にたもうことなかれ」も反戦歌として有名だ。


ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや



死に近き母に添寝そいねのしんしんと遠田とおだかはづかわず天に聞ゆる  斎藤茂吉


 死に近い母に添い寝をしていると、静かな夜に遠くの田んぼからカエルの声が聞こえる。天から声が降ってきているかのようだ。
 母の死を歌った斎藤茂吉の連作。「死にたまふ母」(「赤光」所収)と題されている。
 死にかけて危篤状態の母に添い寝をしていると、遠くの田んぼからカエルの声が聞こえる。前述の与謝野晶子「潮の遠鳴り」も、遠くの海の波の音が、上空に反射して遠くまで聞こえてくる音のこと。本当の波の音より低音で聞こえる。遠くの田んぼのカエルの声も上空で反射して聞こえるので、本当の声より神秘的に聞こえたのだろう。
 昔、深夜ラジオを聞いていた。夜中に周波数をいじっていると、意外に遠くの電波をひろうことがある。普通なら聞こえるはずのない遠方の電波が飛んでくる。これも上空で電波が反射して遠くまで飛んでいるのだろう。次の日に同じ周波数にしても聞こえない。いろんな条件が一致してはじめて聞こえるのだろう。また、山の向こうの海の波の音も聞こえることがあった。小さな山があるので、波の音はさえぎられているはずなのに、上空から波の音が聞こえた実体験がある。

 斎藤茂吉(さいとうもきち1882~1953)は、医者であり文学者。長男の齋藤茂太(1916~2006)は医者。次男の北杜夫(1927~2011)は文学者。齋藤茂太は精神科の医者であり、心の悩みの本をたくさん出している。一家に一冊は、けっこう齋藤茂太の本があったりする。北杜夫は、医者でもあったので、どくとるマンボウシリーズを書いている。、「楡家(にれけ)の人びと」では、齋藤家のことを書いている。

 斎藤茂吉の第一歌集は「赤光しゃっこう」。高校入試では読み方「しゃっこう」もよく出題される。


みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる  斎藤茂吉

 母の死の前の帰郷のとき。生きているときに一目見たいと「一目見ん一目みん」と繰り返している。「見ん」「みん」と漢字と仮名がうろたえている心境を示すように混在している。帰省の汽車の中ではじっとしているしかないのに、それでも「いそげる」と、気持ちばかりあせっている。
 前述、「添い寝」の歌のように生きているうちに母に会えたのだが、幼い頃とは逆に、年老いた母に息子が添い寝をするようになってしまった。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?