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ナガイモがんばったよ、この命

 草刈りで刈られてしまったナガイモが、新しい芽を出したという記事を以前書いた。


 そのナガイモがムカゴをつけていた。
 ムカゴをつけているツルは、何本か生えていた新しい芽のうち、たった1本だけ。しかも、一度刈られたからか、季節が遅くなったせいか、そんなに大きくは伸びていない。50㎝くらいの高さにしかなっていない。
 それでも新しい命を生み出すムカゴをつけている。

 自分の生きる務めを果たして冬を迎え枯れようとしている。
 子孫を残すことだけが務めではない。青々とした葉を伸ばし、自分の生きる姿を大地に見せること。それも一つの生物の務めだ。枯れて、消えてしまったら何も起こらない。生きる姿が地球に他の命を生む。地球にいろいろな生き物が生きる姿を作り出す。

 たった数個しかできなかったムカゴだが、地面にまいて、新しい命が生まれるか待ってみよう。


 ムカゴは種とは違うが、種のように新しい芽を出す。
 種はオシベとメシベが受粉して新しい命を生み出す。DNAが組み替えられ、親とは違ったものが生まれる。
 枝を切って土にさしておくと根が出るのが挿し木さしきだが、挿し木は自分と同じクローンを作る。ムカゴも身体の一部が変化して、種のようになる。挿し木をするようなものだ。ナガイモやヤマイモ、ジネンジョは茎が変化してムカゴになる。

小さなナガイモの小さなムカゴ


 ムカゴは食べられる。
 ナガイモは命を輝かせていたけれど、ヒトは地球上のイノチをいただいて生きている。だから「いただきます」と言って食事をする。
 西洋の考えでは、命は動物にしかないのでヴィーガンという考えもできるが、東洋では命は植物にもある。精進料理で動物を食べなくても「いただきます」と言う。作ってくれた人への感謝だけでなく、命をいただくことへの感謝を「いただきます」という言葉で伝える。
 植物も人間と同じ命をもっている。
 地球上の命を食べながら人は生きている。


 ムカゴは、いっぱい採れたら食べるとおいしい。自然の恵みだ。
 レンジでチンして、塩をふったら焼き芋よりおいしい。(個人の意見です)
 今まで我流でムカゴを食べていたが、ちょっと食べ方を検索すると、

ムカゴを水洗いしながらこすり合わす。すると余分な皮が取れて土臭さがなくなる。ぬれたままのムカゴを耐熱容器に入れ、ラップを軽くかけてレンジで3分チンする。できたらすぐに塩を軽くふる。

 検索しても料理の手間はこれだけ。
 おいしく食べられる。
 余裕のある人は、ムカゴご飯なんてものも作れる。いろんな料理ができる。


 山へ行ったらムカゴがとれる。ナガイモを育ててもムカゴがとれる(ムカゴを植えなくても、買ってきたナガイモの一部を植えておけば芽が出てムカゴができる)。ムカゴがとれるだけでなく、もちろん根を掘ったら、ナガイモ、ヤマイモ、ジネンジョがとれる。
 命は新時代へつなげようと、いろんな方法をとっている。

 ナガイモは命を輝かせていた。
 我々人間も、新時代のために何か残そう。何かできることをしていこう。
 

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