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私の人生 第一章 開闢

私は自閉症スペクトラムを持ってこの世に生まれ落ちました。
私は昔から1人遊びが大好きでした。
誰かと一緒に何かをするのはストレスで
全て1人で完結することが好きでした。
だからこそ、今現在30歳で生活保護で生計を立てています。
集団に馴染めない私にとってこの現実は苦痛そのものでした。
物心ついた頃から常に孤独でいました。
自分は他人とは違う、一生他人とは分かり合えない。
たとえ血の繋がった家族であっても自分は他人と
分かりあうことはできないと思っておりました。
父親も母親も兄弟ですら、私とは違う
私はこの世にたった1人だと思い込んで生きてました。
そんな私がいつもするのは空想に浸ること!

昔から空想に浸って学問やスポーツが疎かになるほど
重度の空想家でした。人と何かをするのは好きじゃなくて1人で完結する空想は私にとっては宝物のようなものでした。

2004年3月11日のこと
PS2でモンスターハンターが発売されました。
私はヨドバシカメラ梅田店にて発売日に購入しました。当時は小学生でしたがのめり込むようにプレイしました。これは傑作だ!と思い必ず続編がでる!と
確信しておりました。
次回作
モンスターハンターGが発表された時は
嬉しさのあまり舞い上がりました。
神戸で開かれたモンスタンハンターGの体験会にて
リオレウス亜種のクエストに参加した時
一度目は敗北しましたが、再戦を行い討伐できました。私はこの時から自分の進むべき道がわかった気がしました。

あの時から私は武人として剣を握る覚悟を決め
モンハンの世界に生きようと思いました。

PSPのモンスターハンターポータブルから
モンハンシリーズは人気が出ました。
電車の中でも家でも学校でもやっている人を見かけるようになりました。

小学校6年生になった頃
私は男子であるのにも関わらずに髪が長いという
理由から当時クラスのボスのような女子から
イジメを受けていました。
私はただただ耐えていました。
運動会の時も修学旅行の時もイジメにあっていました。担任の先生は見て見ぬ振りでした。
そして、とうとうその女生徒は私の髪を工作用のハサミで切るという一線を超えた行為に出ました。
私はこの時の悔しさを今でも忘れません。

3学期の終わりの頃
私はついにイジメに耐えられなくなり
学校に行かない決意をしました。
その日はランドセルを持って学校に行くふりをして
3階の部屋にPSPを持って隠れていました。
初めて不登校になった時の少し不安感と解放感と
母親から言われた学校に行かなくていいよとの
言葉の安心感に私は安堵しました。

それから1週間後
いじめの主犯格が家に訪ねて来ました
インターホンを押しましたが
私は出るのを拒否しました。
その主犯格は手紙を渡してきました
内容は
「もう髪切れとか言わんから、学校に来い。その代わりちゃんと髪洗えよ?」
という内容でした。
謝罪もお詫びの一言もない文章に違和感を覚えましたが、私は次の日学校に行ってみることにしました。
教室に入るとそいつは私に言いました

「なぜ、学校に来なかった?私以外にもイジメに加わった奴いたよな。そいつらにも罪はある」
と言って
そいつは他の生徒にも責任もなすりつけようと
していました。私には謝罪の一言もなく
私は再びはらわたが煮えたぐりかえる思いでした。
その日学校から家に帰る時
そいつは私の頭を突きながら
「明日も学校来いよ」と吐き捨てるように言いました
私は再び不登校になる決意をしました。

次の日から再び引きこもることにしました。
卒業式の日まで
私が学校に行くことはありませんでしたし
1人だけの卒業式を体育館で行いました。

私の卒業アルバムには寄せ書きどころか
授与式の写真も貼っていない
真っ白な卒アルです。
つい最近知ったのですが、この白いページには
友人からの寄せ書きを書くスペースらしいと…
体育館で1人で卒業式を行った私には
それがない。。。
私は他の人とは違う特別な人生を歩むんだと
この時点で確信しました。
卒業式最後の台詞
「さようなら、体育館。」と体育館に向けて
発した言葉を今でも覚えています。

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