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chapter3-5:早朝のバトルフィールド(チャプター3ラスト)


――こんなにも体力を消耗したのは本当に久しぶりだった。

この2日間、授業の時間を除いてほとんどの時間をプログラミングと機体のハード調整にあてた。学校の規約に反する事はしないという約束で、部室に寝泊まりこそしていないが、家でもリモートでのプログラミングやシミュレーションなどの調整を延々繰り返しての3日目の朝。閉じたカーテンの隙間から光がぼんやりとこぼれている。時刻は朝の6時を少し回ったところ、なんとかこの時間に間に合った。バタン、と机に両腕を突っ伏して寝る。目を閉じるとそれまで気を張っていた分、一気に意識が持っていかれる。もう限界、自分に電源があるのなら今すぐシャットダウンしてしまいたい。
『ソロソロ時間ジャナイデスカ? 早ク出カケル準備ヲシナイト!』
無機質なファイの音声が耳元で響く、やかましい。一緒に作業を手伝ってくれた優秀な友達は、まったく疲れを感じていないようだ。そりゃAIだから当たり前だけど、なんかくやしい。
だけど、何にしてもヤツが言うとおり、もうホントに時間がない。たとえ授業でぶっ倒れてたとしても今は学校へ行かないと。オレは気合いを入れて上体を起こすと、冷蔵庫からキツめの栄養ドリンク取り出して一気に流し込む。少しラグがあって体の芯からじんわりと熱さが感じられた。
『ソウイッタドリンクノ過度ノ接種ハアマリ推奨デキマセン』
「知ってる、でも今日はしょうがないだろ?」
一応体の事も気遣ってくれるファイを指先のスワイプで小突きながら、オレはしわがとれていない制服のシャツへと手を通す。

「おっはよー!」

――と、そんな上半身半裸の状態のオレの背後、ベランダから声がして振り返る。
いつもの制服姿にいつもの白いリボンとポニーテール、そしていつもの笑顔でもって姫野先輩がもはや当たり前といった感じで、オレのベランダへと立っている。オレは急いでシャツのボタンを留めると、ベランダの鍵を開ける。サッシが開けられると、先輩が部屋へと侵入してくる。
「よっ!」
「よっ……じゃないですよ、いいからいい加減玄関から入るっていう常識的な行動を覚えてください」
「えー、めんどくさいじゃん?」
「いやいやいや、ベランダから飛んでくるとか危険すぎだから。面倒とかそういう尺度じゃなくて!」
いつもの言い争い、でもどうせそういう所は変えてくれそうにない。いい意味でも悪い意味でも、先輩という人はブレない軸を持っている人だ。
「――それで、何しに来たんですか?」
「何って、一緒に学校行こうと思って。もう行くでしょ?」
左腕を大げさにぐるぐると回しながら、大きな瞳をかっと見開き、その眼力でオレに訴えかける。楽しさ全開、といった様子だ。今日の主役である先輩はいつも以上に気合いが入っていた。
今から始まる【祭り】が楽しみでしょうがない、そんな縁日を前にした子供のような煌めきが彼女にはあった。しょうがないと思う、正直オレだって凄く楽しみだ。だからこんなにフラフラになりながらもスタンバイし続けていたのだ。
「よし! 行きましょう」
オレの声を合図に先輩は今度は正面玄関から外へ駆け出すように飛び出していく。その後を追うようにしてオレはいつものカバンを手に続いて玄関を出た。


 * * * *


いつもと様子が違う学園の校庭、朝早く学園へとやってきていた生徒達が少ないながら野次馬となってグラウンドの外側、ネットの向こうや校舎の窓からのぞき見るなどしている。いつもと明らかに違う朝に学園は静かなざわめきが起こりつつあった。
グラウンドの外周に設けられたトラック部分に簡易テーブルを広げたオレは、そこに3台のラップトップを並べて開く。それらが繋がっている先は2台のエアロフレーム。搬送用のカプセルユニットを丸ごと部室からグラウンドのトラック部分まで運んできたので、1つは絵美里がデザインした姿に換装された姫野先輩のフレーム、そしてもう1つは使用者のいないソードタイプのエアロフレームだ。それぞれの前には姫野先輩と、そして長篠の姿があった。
「本当にいいのか、長篠?」
フレームを見つめる長篠にオレは最終確認の意味も込めて声をかける。
「もちろん、ウチが頼んだんやし」

2日前、長篠が海岸で提案したのが、姫野先輩とのエースでの再戦であった。剣道の試合では勝ったけど、それは元々長篠が得意なジャンルでの戦いでしかない。決闘としてそれは不公平だから、今度は姫野先輩のフィールドであるエースで一騎打ちをしよう、という事らしい。とはいえ長篠にエースの経験はないので、そもそも試合になるのかは不安だったのだが、それでもやるという長篠を止める理由がない。なにより、その対峙は純粋に面白そうだ。

すべての準備が整うと、2人の換装を開始する。立ち位置の座標を入力、マーカー固定したところで、カプセル内の複数のアームがオートメーションで彼女達に各種パーツを換装していく。最初に脚部とボディーがレイアウトされていき、最後にヘッドパーツ。あっという間に2人のエアロフレームが換装された。ここからの変化は大味だ、というかオレもこの場所で見るのは初めてだったりする。
2人はグラウンドの中央へ、他に人がいない事を十分に確認すると、オレはファイを通じてグラウンド管理システムへとログインした。
「じゃあ行きますよ」
インカムで2人に合図を出すと、両者ともに軽く手をあげて答えた。
――と同時に、砂埃が上がると、学校の校内放送ラインを通じて発せられたけたたましいアラーム音が鳴り響く。しかし、視認できる範囲で特に何か変わった様子があるわけではない。いや、実際には変化がグラウンド全体で起こっているのだが、よほど注意深く見なければその変化には気がつかないだろうと思う。グラウンドの内側の線を境目にして、若干光の屈折がおかしい。そこに一枚、光の壁がある事が分かる人には分かるだろうけれど、言われなければおそらくその遮蔽物の存在にすら気がつかないだろう。観客の安全面を考慮して外界と内フィールドを遮る特殊なフィールドが生成されていた。それはエアリアルソニックの試合では一般的な設備であり、特段珍しくはないものである。だが学校という場所に当たり前のように完備されている類のものではない。グラウンドに常設されている学校の方が遥かに少ないのではないかと思う。逆に言えば、この学園には間違いなくエアリアルソニックを行う部活があったという事をこの設備の存在が示していた。それもある程度学園の支援も受けながら、である。
しばらく使われていなかったであろうその設備は、しかしちゃんと起動してくれた。モニター用に用意した3台目のラップトップには中の状況や様々なフィールドの出力数値が示されていた。ここである程度試合の規模を決定できる。
道場での戦いから2戦目、今度は先輩のフィールド、ふわりと両者ともに地面から数センチ浮かび上がっている。フレームの出力だけでなく、フィールド側のGPDの出力の相互効果で通常よりも重力の弱い、浮かびやすい状況がフィールド内に生まれた。フィールド側の反重力制御で最大高度なども調整できる。今回は学校のグラウンドという事もあるのでグラウンドレベルをゼロベースにしながら、 長篠がこの状況に慣れていない事もあるし、 最大高度を5メートルに設定した。あまり縦軸を大きく設定し過ぎると3次元的なフィールドに慣れている姫野先輩があまりに有利なためだ。さらに先輩側のフレーム出力を65%に落として、あの異常なまでの機動性を一部制限している。これで一応練習試合としての体裁はとれるのではないか、とオレとファイは結論付けた。
しかし、出力をかなり落としたためか、先輩は軽くジャブやステップなどを入れながら、
「やっぱり、いつもより重い感じだねー」
と、感想を漏らす。
「相手がエース初めてなんだから、ちょっとくらい我慢してください」
「分かってるよ。でも彼女を舐めてかかったら負けちゃうよ?」
対戦相手がエース初心者でまるっきりの素人、だとしても前回の道場での動きを思い起こせば、油断なんて微塵も出来ない。その当人――長篠はフレームの具合を確かめるように簡単なステップや移動などを行う。バランスを崩しそうになる場面が最初の数歩こそあったが、すぐに挙動から初心者特有のぎこちなさは消え去った。水平をとるだけでも人によっては半日かかる場合もあるが、そこは運動神経抜群の長篠だ、感覚がいい。

「この剣、結構長いんやね」
長篠がインカムを通じてこちらへと話しかける。手にしていた得物――長剣デバイスを両手で少し素振りするようにして長篠はその感触を確かめていた。
「扱いにくい?」
「いや、そんな事はない。何も持ってないみたいに凄く軽いし……なんかあれだね、剣豪・佐々木小次郎の物干し竿みたいでカッコイイやん! ウチ、宮本武蔵より佐々木小次郎のファンやねん」
反重力制御は装備にも適応されており、フィールド内での装備の重さはほとんど感じられないはずだ。おそらく彼女の想像よりも長めのデバイスだったがそのセンスで簡単に操ってみせた。そのひと振りの速さは前回武道場で見たものよりもさらに速いものにも感じられる。
「それで神谷野、聞いていい?」
「何?」
「エアリアルソニックってどうやったら勝ちになるん?」
「それはすごく簡単だよ、ゲームみたいなもの。モニターの右側に縦軸になってるバーと100%ってなってる数値見える?」
エアロフレームでは外の風景にオーバーレイするように様々な情報がモニター上に表示される。1つ1つ全部を説明するのは面倒だし今日は関係ないので、オレはシンプルに勝利条件に関わるその数値を指示した。
「わかる、100%ってなってるのとバーみたいなのがあるで」
「それが簡単に言えばヒットポイントで、長篠の持ち数。相手からの攻撃が入るたびに減っていって、それがゼロになったら強制的にフレームがシステムダウンして動けなくなるから。そうしたら負け。逆に相手の持ちポイントを的確に攻撃して減らしていってゼロにしたら勝ち。分かりやすいだろ?」
「なんや、ゲーセンで見かける格闘ゲームみたいな感じ」
「そうそう、基本的には格ゲーと同じ、って考えてもらったらOKかな。痛みのフィードバックとか、色々細かくあるといえばあるんだけど」
「……で、攻撃量はどうやって決まるん?」
「フレームの下に着ているカーボンナノチューブのボディスーツがあるだろ? あれが衝撃を測るシステムになっていて衝撃を常に数値化してその分を減らしていく。だから例えガードしても、その衝撃が大きかったらポイントはいくらか減るし、同じようなヒットでもスーツの露出部位に直接と、フレームの上からだったら前者の方が明らかに大きく減るって感じ」
「なるほど、とにかく打撃を入れたら減っていくってわけやね。それで、できれば露出部を狙ったりした方が手っ取り早いと」
「そういうこと」
長篠に一通りエアリアルソニックの説明をしている間に、グラウンドには徐々に人が集まってくる。先ほど学園中に響き渡った警告音が呼び水になったのだろう、早めに学校に来ていた生徒たちがグラウンドを囲うように集まってくる。学年も男女もバラバラ。その中には前に見かけた、車いすの下級生の姿もあった。そんな視線が集まる輪の中央で、姫野先輩と長篠の2人の間には静かな熱量が流れ始める。オレは2人に向けて、最後のアナウンスを行う。
「試合時間は授業開始の20分前まで、約30分程度。シングルス模擬戦モード、ダメージパラメーター0で1本、タイムアップ時は残りポイント制。最大高度制限5メートル。オペレーションはファイが姫野先輩、オレが長篠に付く。以上で問題はない?」
「ないよ」「ないで」
2人の声を聞いた所で、ファイを自動オペレーションモードに切り替えて先輩のモニタリングとサポートに当てる。オレは長篠のオペレーションへ。これも2人の実力差を考えたハンデだった。シングルスであればサポートが必要なほど複雑な状況はないにしても、一応機体にとって最適な状態を作り続けておけるであろうオレのサポートがある方が常に最大限に能力を発揮できる分有利だとは思う。
すべての準備は整った、あとは……

「ちょ、ちょっとお前たち! 何をしてるんですかこれは!?」
――あー、めんどくさいのが来たな。
先ほどの警告音が野次馬と共に、生徒会を呼びだしてしまったらしい。慌てふためいた様子の副会長の子本と、対象的に表情一つ変えずゆったりとその黒髪をなびかせながら近づいてくる生徒会長の佐倉千歳。真っ先に子本が血相を変えてこちらへと詰め寄ってくる。機械の前にいるオレに近寄ろうとしてきたところで、それを遮るように絵美里が対応した。
「――あら子本。何か問題でも?」
「問題しかないでしょうが! 学園のど真ん中でこんな事をしてただで済むとでも……」
「グラウンドの使用申請書はちゃんと出してる。GPDシステムの使用許諾も降りているはずですけど?」
「はぁ!?」
子本は慌ててポケットから端末を取り出すと複数タップやスワイプを繰り返す。慌てふためいていたその顔から徐々に感情が消えていく。表層の血の気が引いていったのが傍から見てもわかった。
「……許諾申請、降りてる……」
「どういうこと、子本?」
静かに、だが張り詰めた緊張感を漂わせて、会長が子本に問う。
「グラウンドの使用許可並びに、GPDシステムの使用許諾がなされていて……あの……」
「そう……受理されてるのね。承認の多くを機械任せにするのも考えものか……」
諦めに似たような言葉を吐くと共に、会長はスッと歩み寄るとオペレーション中で椅子に座っているオレの近くで立ち止まる。嫌みか、それとも妨害か……そう思っていたのだが、会長はそれ以上何をするわけでもなくただ視線をグラウンドへと向けた。なんだ、何も言わないのか? 拍子抜けした。それが不思議であり不気味でもあったが、会長は腕を組んだままそれ以上言葉を発する事もなく、身動きもしない。正直気にならないわけじゃないが、時間だって限られている。オレは意識を切り替えて試合の開始のセットアップへ移る。そうこうしている間にも徐々に人の数が増えていく。
「じゃあ先輩、カウントダウン、いきます」
オレの声に反応して、試合開始のブザーが鳴り響く。専用の光標識はなく、スピーカーから流れる音声と彼女達のモニター上にだけ表示される試合開始のカウントダウン。

3……2……1……


ブー、という開始音と共に飛び出したのは長篠だった。
前回の時とは逆の展開、接地していない足を蹴りだそうとするのは素人っぽくもあったが、すぐにホバー的な挙動を理解すると開始直前は中段から下段気味であった構えを上段へと切り替えつつバランスを崩す事はなく間合いを瞬時に詰める。物干し竿、と長篠自身が評していた得物を素早く上から振りおろす。それに合わせて半歩下がった先輩のエアロフレーム、まさに紙一重、剣先にギリギリ当たらない完璧な間合い――近接戦において彼女の見切りは異常ともいえるレベルにあった。
グォン!
振り下ろされた剣の波動でグラウンドの砂がその前方へと舞い上がる。土煙にまぎれて一瞬先輩がその陰に消えた――次の瞬間、砂の向こうに先輩のシルエットが消えた。

「――どこや!?」

インカムから動揺した長篠の声がする。
「後ろだ!」
オレの声と同時、背面へと振り返った瞬間に飛んできた右の拳を長篠が剣の腹で何とか受けとめる。鈍い打撃音を響かせて、その勢いのまま長篠のフレームが後方へと弾き飛ばされる。幸い直撃を防いでいたためにダメージの蓄積は最小限に抑えられていたが、しかし先輩のエアロフレームの挙動はやはり速い。これで出力制限しているのだから、相手が素人である事を差っぴいてもその凄さは目を見張るものがあった。はじき出されたタイミングで、長篠のフレームは地上から3メートル程度の宙を舞うと、ふわりとまた接地しない程度、グラウンドへと降りると再びその長刀を正眼へ構える。見ていた周囲の声が色めき立つ。手数こそ少ない攻防だが確かに見ごたえがあった。なにより、先輩の背後からの一撃に反応した長篠のそれは天性のものだ。無意識だったと思うが、よくあの一撃をもらわなかったと思う。

「っし! いくで!」

長篠が前に出る。上段へのフェイントを入れながら、左側面から素早く凪払う。リーチの差を利用して先輩の間合いの外から剣劇を繰り出していく。リーチの違いはシングルスにおいてはそのままハンデになりうるほどの違いだ。剣よりも槍が強いし、さらに言えば銃の方が強い。リーチだけで一方的になる場合ももちろん起こりうる。長篠はエアロフレームにこそ慣れてはいないが剣の扱いに関しては本物だ。その攻撃範囲の中に潜り込まなければ、先輩の拳は届かない。単に範囲が広いだけではなく、その剣さばきは速く、そして重い。

――ガチン!

斬り下ろした所を先輩は右手の籠手でいなす様にして弾いた。剣先がそのまま地面へと落ちるが、先輩もやや弾かれる様にして外に追い出される。なかなかそのリーチの内側へ潜り込めてはいない。剣速も徐々にギアが上がり始める。次々と繰り出される剣技にやや防戦一方にもみえる先輩だが、すべてを紙一重でかわしている、もしくは打ち落とす様に両腕で払っているあたり、全然余裕はありそうだ。
ここで慌てたのか、長篠が少し大振りに面を打ち込んでいった。モーションがそれまでよりも大きい分、隙があった。打ち下ろしに来たその斬撃に合わせるようにして、先輩は体を縦にして間合いに滑り込む。そのまま右手を大きく付きだした。

――と、同時。

振り下ろされたはずの剣がまるで反射した光のように急に角度を変えて軌道を変えた。

ガキン!

衝撃音が空気を揺らす、2人の真下にあった砂が一気に舞いあげられて、外から2人の姿が見えなくなる。その砂塵からはじき出される様にしてふたつの影が対角線上の宙に飛び出した。大きく間合いが空いた。少し宙に跳ねあげられた両者、長篠はグラウンドレベルに緩やかに降りてきたが、先輩はそのまま3メートル程度のところで留まった。長篠の方を見下ろすような格好で2人はこう着する。
おおっ、というざわめきが遅れてグラウンドに拡がっていく。その攻防に誰もが魅入っていた。無論オレも、オレの横にいる会長もだ。息をのむのも憚られるほどの集中がそこにはあった。オレは2人のダメージパラメータを確認する。どちらもダメージは入っているが、やや大きく数値を減らしているのは長篠だ。あの軌道が大きく変化した斬り返しでも先輩から大きなポイントを奪うには至っていなかった。逆にカウンター気味に腹部に右手での一撃をもらった長篠はそれなりに数値を減らしている。
ここまでは先輩が試合を有利に事を進めていた。

「ねぇ、先輩!」
長篠がモニター越しに声をかける。
「全然本気出してないですよね?」
「そんな事ないよ」
「ウソ、さっきからほとんど攻撃してきてないやん?」
「別に様子を見てただけ、攻撃パターンも読めなかったし。でもそろそろ行けるかな、覚悟はいい?」
――ぞくりと、その言葉に背筋に汗がにじみ出た。

長篠は剣を正眼から少し持ち上げて、右に立てるように構える。八相の構えだった。空気がピリつく、ちょうど先ほど舞い上がった砂塵がほとんど消え去った。その直後、空気の膜をけり飛ばす様にして、上から一直線に先輩が長篠へと突っ込んでいく。だが、長篠も同時に水平に動き始めた。フィールドを右へ、突っ込んできた先輩は一旦グラウンドまで降り立つと、地面を蹴り返してその後を追う。その直線的な動きに対して回り込むようにして、長篠は右へ右へと展開しながら、その一撃を振りおろすタイミングを待つ。展開速度は先輩がやや遅くもみえる。右手の一撃を繰り出しながら、それをかわしつつ、フィールド内を所狭しと2人は駆けまわりながら、つばぜり合いを続ける。

右左、左左右、先輩の拳が繰り出されてる度に、ガードを叩く打撃音がリズミカルに響く。

拳が武器の先輩は、間合いを詰めては右左のラッシュ。それを長篠は円の動きで交わしながら、再び右を入れようとした先輩のラッシュ3発目、長篠は水平方向にぐるりと180度反転する。何気に行ったそれは、180°テールターンそのものだった。当然長篠がそれを知るわけがない。本能的にその動きを入れたんだろう。一気に先輩の背面をとると、その一撃を振り下ろす。すでに持ちあげたまま構えていた所からシンプルに振り下ろすだけ、その攻撃速度は剣術でも最速に近いものだ。
軌跡が見えた、美しく弧を描いたその剣先が、間違いなく姫野先輩の背面を叩き落とす。そういう軌道だった。
――だけど、振り下ろされた剣は先輩を捉えてはいない。残像すら残さず、先輩は消えた。

「――上だ!」

オレの声にハッと長篠が上空に顔向けた時は遅かった。今回の高度ギリギリまで飛びあがっていた先輩が、天井を蹴飛ばす様にして一気に落下してくる。その左手の甲が青く光り輝いている。シールドと同じ原理、エネルギー障壁を纏った左手で相手を思いっきりぶん殴る。シンプルだけど間違いのない絶対の一撃。

「らああああああああああああ!」

グラウンドに強い衝撃が奔る。フィールドに壁があり、砂塵がこちらまでやってくる事はないにもかかわらず、周囲の多くが反射的に顔の前を両手で覆った。凄まじい炸裂音だった。決まった、そう思ってモニターを見るが……終わっていない?
長篠のHPの数値はギリギリ残されていた。あれが直撃してHPが残るなんて事が……?
そう思って、煙で真っ白になっているフィールドを注視する。フィールドの端で肩で息をするシルエットと、中央近く空を舞うシルエット。前者が長篠で後者は先輩だ。剣を顔の前で腕とクロスさせるようにして、全身を守っていた。だけど、例えガード姿勢をとっていたとしても、全力の一撃であればその衝撃量で充分試合が終わるだけのモノのはずだ。そう思って先輩をみると、胸部パーツ、白のシルエットの上に斬り裂かれた痕がハッキリと残っている。周囲もその様子にざわめく。ダメージ量は……大した数値ではないけど、間違いなく一撃は通した。

「凄いんやね、先輩。絶対に決めるつもりやったのに」
「いやー、あのタイミングで剣先の軌道が変わるなんて、驚いたよ」
斬り下ろした直後に、また斬り上げた。長篠は肩で息をしながら、フフッと笑い声が漏れる。
「つばめ返し、ってイメージで。せっかくの物干し竿だしさ、必殺技があってもええやろ?」
「いいじゃん! カッコイイと思うよ」
「へへっ……せやけど上からの攻撃かぁ……エアリアルソニックは難しいねんな」
正直、長篠はもうギリギリなんだろう。横の動きには強くても剣道にはない縦軸の動きは慣れていなかった。3D的な感覚を持っている先輩ならではの上からの一撃には対応しきれていない。だけど守るのではなく、返す刀で攻めに出た結果、前に出てきた剣撃を避けるためにあと一歩踏み込みきれなかった先輩の一撃はギリギリ長篠をゲームオーバーから救った。
肩で息をしていた長篠が再びスッと姿勢を戻すと、再び正眼に構える。そのまま先輩へと話しかけた。
「……姫野、先輩!」
「何?」
「なんでエアリアルソニックをやってるの?」
長篠のその問いに、姫野先輩はいつもどおり、迷いなく答える。
「決まってるでしょ? 好きだからだよ!」
インカムをしているオレには長篠のマイクに息がかかったのがわかった。フッと、笑ったのだろうか。
「なんなん、その子供っぽい理由?」
「いいでしょ、好きなの。小さい頃からずっと! ってかさ、それ以外の理由って必要なの?」
長篠はアハハハ、と大きく笑う。その声がイヤフォン上で少し割れて聞こえてくる。
「いいや。ごめんごめん、十分やね。それ以上の理由なんてないわ。それで先輩の目標は?」
「決まってるじゃん? 全国制覇!」
迷いなんてない、即座にそう答えた先輩にオレも絵美里も、声を出して笑う。ただ1人、隣に立つ会長だけはその拳を握りしめた。その手が震えていたから、オレは会長から目を反らす事ができなかった。怒りとも哀しみともとれる不思議な表情で会長は先輩を見つめていた。
「エースって団体戦なんでしょ? 先輩1人でそんな事できるんですか?」
「できるかどうかじゃない、やるんだよ! それにもう1人じゃないしね。私と、神谷野君と藤沼さんと……私たちの夢だよ!」
「ハハッ、凄いんスね先輩って。ウチとは大違い……」
楽しそうに一頻り笑った後、長篠がこちらへ声をかける。
「……ねぇ、神谷野。頼みがあるんやけど」
「どうした?」
「先輩のシステムの出力制限、解除してもらえんかな?」
「……そんなことしたら、悪いけど勝負にならないと思う」
「ええよ。ウチ、見てみたいんよ。ここがどういう世界なんか、見てみたい」
――静かに、だけど覚悟を決めた強さを感じた。
オレは絵美里の方を見る。絵美里も笑顔で頷いていた。カメはひたすらに望遠レンズを構えながら写真をとり続けている。
「ファイ、出力ロックを解除しろ」
『了解シマシタ。出力ロックヲ解除シマス』
ファイの音声と共に、先輩のエアロフレームが先ほどまでとは違う発色を見せ始めた。ドライブ残光の輝きを増していく。
「……先輩、あとは任せます」
オレの声に先輩はインカムではなく、こちらへと手を振ってこたえた。
あとは会話の必要もないという事だろう、長篠は正眼に構えると、一気に先輩に向かって突っ込んでいく。だけどもう先ほどまでとは全然違ってしまう。先輩はその姿を消すと、気がついた時には瞬時に背後に回り込んでいた。一瞬で場所を入れ変わった様に見えるほど、最小限の動きとゼロから100まで加速する際の圧倒的な閾値。まるでパルス波のように一瞬でトップギアにあげて急停止、背後に回ると同時に跳ね返ってきたかのように拳が飛ぶ。
ガン、と辛うじて振り向きながら剣の鍔でそれを止めるも、受けとめた次の瞬間には側面に回り込んでいる。あまりの攻撃速度に防戦一方となっていく。

――先輩は一切手を抜いていない。それを長篠が望んでいないのを分かっているから。
その軌跡がみえない、ただ圧倒的なスピードと手数で長篠を追いつめると、最後は左手の一撃だった。正面から突きにきた剣先に合わせるようにして同じ軌跡を自慢の左手が辿ると、そのまま長篠の胸部へとクリーンヒットする。直後長篠はフィールドの端まで吹き飛ばされると、外界との保護フィールドにぶつかってグラウンドまで落ちた。数値はゼロ、エアロフレームのシステムは強制終了させられる。試合終了を示すアイコンがモニター上に表示される。

フィールドのセンターあたりにいた先輩は、長篠の元へと近づくと倒れ込んでいた長篠にすっと右手を差し出す。長篠がそれを掴むと引き寄せるようにして立ちあがらせた。
周囲から歓声が湧きあがっていく。練習試合とはいえ、目の前でエースの試合が展開された。その事実が彼らを魅了した。

「……片付けだけはちゃんとしておきなさい」

会長がオレを見下ろす様にしてそういうと、長い黒髪を翻してその場を後にする。その後をついていくように子本もグラウンドを離れた。オレは絵美里の方に歩み寄る。
「ありがとな、色々調整してくれて」
「そんな事ないよ。それより翼もお疲れ様、さすがに眠いんじゃないの?」
「……多分授業中は倒れてるかも?」
「あははははっ、しょうがないな。今日の授業、ノートは写させてあげるよ」
なにか1つ、形に出来た気がして、オレと絵美里はただただ笑いながら、グラウンドの2人を見ていた。

 * * * *


大人になったら、こういう時はビールとかお酒を買ってきてお祝いとかをするんだろうけど、オレ達は学生だから近くのコンビニで買ってきたのはコーラやオレンジジュース、あとはポテトチップスなどのスナックやチョコレートだ。それらを部室の机のセンターに広げながら、紙コップを探す。
「その辺の引き出しに入っていなかったけ?」
絵美里に言われて探すと、冷蔵庫近くの棚に未使用の紙コップの束があった。それを机まで持っていく。
放課後、オレ達は部室に集まった。オレ達というのは、オレと絵美里とカメ、それに長篠の4人だ。昨日の試合の後、正式に部活の設立申請を行って、今日受理された。エアリアルソニック部が成立した。先輩との試合に負けた、というのを理由に、長篠が部活に参加してくれる事になった。実際は1勝1敗のイーブンのはずなんだけどな。
「あれ、翼。姫野先輩は?」
「ちょっと遅れてくるんじゃない? 待ってようぜ」
絵美里はそっか、というと一旦開けようとしていたドリンクから手を離した。直後、廊下を走ってくる足音がした。
「ごめん、おまたせ!」
そんな声と共に姫野先輩が飛び込んできた。
「はい、からあげ!」
「「「おおー!」」」
温かいから揚げがパックで届けられると自然と歓声が上がる。なんだかんだでみんな肉好き、という事だった。
それぞれがドリンクをとりわけて、手にすると音頭は絵美里がとった。
「それじゃ、正式にエアリアルソニック部の成立を記念して……」
「「「乾杯ー!」」」
ぶつけると紙コップからこぼれそうになるウーロン茶を慌てて口に運ぶ。4人という最低人数をクリアしたので正式に部活となった、そのはずだ。
その輪の中で笑顔で話をする長篠にオレは話しかけた。
「でもさ、ホントに良かったのか?」
「なにが?」
「エアリアルソニック部に入部、別に負けたから入らなきゃいけない理由もなかったんだぜ」
「いいやん。もう入ったんやし。それに、この部活のスローガンはあれなんやろ?」
そういうと部室の後方黒板を指差した。そこには以前先輩が書いた「 ――それぞれの夢が集う場所―― 」という文字。それを指さしてニッと笑うと、長篠は自分に注目を集めるように少し移動してセンターに立つ。
「ウチはもう一回……やっぱりこの学校で、剣道部がやりたい。1人でやなくて、みんなでもう一度全国目指してみたいねん」
皆、黙って彼女の言葉に耳を傾ける。
「残念ながら今はそれが無理やから。でもこの部活で活躍したら、ウチの事に興味を持ってくれる人、増えるかもしれんやん? だから、まずはエアリアルソニック部で全国行って、その後、ウチの目標も達成する。文句ないやろ?」
最初に見た頃とは全然違う、素直な笑顔を湛えた長篠がそこにいた。
「よし、じゃあ私も!」

会話の流れに乗って、絵美里も手をあげてみんなの前に出る。
「私は正直、部活では数合わせだけど……私はいつかデザイナーやりたいって思ってます。ホントは洋服とか、小物とかなんだけど。ここでエアロフレームのデザイン、頑張るからさ。全国大会行った時に話題になる様なカッコイイやつ! それで話題になってその夢を叶えたい。だからみんな、頑張って!」
「そこは、人任せかよ」
「だって私に試合は無理だもん。そこはみんながそれぞれ頑張るところだからね、そういう事でしょ?」
絵美里が姫野先輩の方へ同意を求める。そうだね、と先輩は笑って答えた。カメもこの情景を写真に収めながら続いた。
「オレとしてもみんなに活躍してもらえたら、いい記事が書けると思うんだよな。報道部の部長に褒めてもらえるような記事が書きたい。そのためのサポートだったら助力は惜しまないぜ?」
カメは報道部として、彼自身の目標のためにこの場所にいる。それでいいと思う。そして……みんなの視線が先輩に集まる。その視線に答えるように、先輩はニッと笑った。
「私の目標は、ヴィーナスになる事! 子供の頃の約束を果たすんだ。そのためにみんなの力を貸してほしい。よろしくお願いします!」
いつも通り、いつもの調子でそういうと、深く頭を下げた。みんながそんな先輩に拍手を送る。こうして、ようやくオレ達は新しいスタートラインに立つ事ができた……
「……で、神谷野君は?」
「え?」
姫野先輩の言葉に皆の視線が集まる。
「神谷野君の目標、聞いてないよ?」
「いいじゃないですか、オレは……」
「よくないよ。大切な事は大切な瞬間に言葉にしなきゃダメ」

そう言って、オレの目の前で顔をのぞき込む。大きな瞳で、その彼女の瞳に映り込んだ自分の姿と対面する。

――前の自分よりは、悪くないかな。そう感じた。

「オレの、目標は……」

――そうだ、オレは大事な事をまだ口に出して言っていない。その事に気がついた。

「ごめんみんな、ちょっと待って」
そういうと、オレはポケットから端末を取り出す。連絡先の項目をスワイプして、その名前を探した。

――日向乙羽。

転校してから一度も連絡してなかった。急にダイヤルしたら、もしかしたら困るかな。色んな不安がよぎったけど、でも大切な事はその瞬間に言葉にしなきゃ、後悔しないためにも。みんなの前で、その名前をタップする。ダイヤル・呼び出し音が繰り返される。2・3度繰り返した後に、ぱつんと音がして、続けて不安げな声が聞こえてきた。
「……もしもし……翼?」
「あ……乙羽。久しぶり」
どうしよう、久しぶり過ぎてなんだか気まずい。声を聞いた瞬間は心臓が飛び出しそうだった。あんなにも近くで何度も聞いていた声なのに。
「ごめん、今大丈夫だった?」
「あ、うん。大丈夫。急だったからびっくりしたけど……ホント久しぶりだね、翼元気にしてた?」
「元気、っちゃ元気かな。乙羽は……大会前だし、忙しいか」
「まぁそうだけど、でも全然大丈夫。電話もらえて嬉しいよ」
そう言うと少しだけ笑う声が聞こえた。オレは大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。そうだ、彼女に言わなきゃ、何も始まらない。乙羽に言わなきゃダメなんだ。

「……あのさ、乙羽」
「なに?」
「オレ、部活作ったから。エアリアルソニックの部活なんだ」

chapter3-5 (終)


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