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chapter4-2:生徒会とラブレター


時間を合わせるのではなく、通学の途中でたまたま絵美里と合流したのは転校して以来、初めてだった。昨日は先輩も用事があり、図書委員などの雑務があったらしく、結局真心と2人で勉強だけやって終わった。エアリアルソニック部の活動としては少しいびつだけど。
「それで、真心は大丈夫そうなの?」
「どうかな。オレが教えてどうにかなるのか分かんないけど」
「何にしても再追試とかだけは止めてよね、練習に全力出してもらわないと。まだまだ真心はフレームに不慣れなんだし」

そんな話をしながら学校へと辿りつくと、靴を脱いで上がるエントランスでその話題の中心、真心にも遭遇する。「おはよう」と声をかけるとハハハッ、と渇いた笑いをこちらへと送りながら、靴箱を開いて見せた。
「どうかしたのか?」
「いや……コレ」
真心の靴箱にはラブレターと思われる封書が数枚入っている。
「どうしたらええんかな? 多分女の子からなんやけど」
これまでの流れから察するに、真心のファンからの手紙だろう。しかし本当に靴箱にラブレターなんて古典的な方法がこのデジタルメッセージ全盛の時代にあるのかと驚いた。
「とりあえず開けてみて、本当に男が1枚もないのか確認しないと」
「え? どうしよう、男から来てたら……ウチそんなん貰った事ないねん」
「大丈夫、それはないから」
いい終わると同時にゲシッ、と脇腹をチョップされた。鍛えてるだけあって普通に痛い。
「イテテテテテ」
「女心がわかってへんなぁ……そんなんだからモテへんのよ」
「オレがモテないとか決めつけんなよ」
「へぇ、じゃあモテるの? 靴箱にラブレターでも入ってるワケ?」
「うぐぅ……」
「ウチは入ってたよ、神谷野君はぁ?」
勝ち目のない口げんかになってしまった、絵美里も知らんぷりだ。どうせそういう事はオレには起こらないさ、ちくしょう……などと思いながら、オレは脱ぎ捨てた靴を手に靴箱を開けた。

――アナログな砂嵐でも起こったかのように自身の思考が停止した。

靴を手にしたまま固まるオレに絵美里が声をかけてくる。
「なによ、どうしたのつば……はっ!?」
絵美里も言葉を失う。その様子に真心も近寄ってきた。
「どうしたんよ2人とも……ふぁっ?」
真心、絵美里とオレは視線の先のモノを前にして固まってしまっていた。オレの靴箱には一通、ピンク色の可愛らしい封書が入っていたためだ。
絵美里の声が震えた。
「な、なによ、これ? まるでラブレターみたいじゃない?」
イヤ、まさか。そういう類のモノじゃないだろう。そう思ってオレは靴と置き換えるようにして封書を取り出すと、人差し指で軽く跳ね上げるようにして封を開ける。中には一枚、手紙が入っていた。

『神谷野様 ――お話したい事があります。今日の放課後、屋上で待っています。』
やや丸っこい、女の子っぽい字だった。これが男性の字だとしたらちょっとショックな感じのフォントだ。

「……おいおい、これって、マジもんのラブレターじゃ……?」

オレと絵美里、そして真心も。みんなでその文面を囲んだまましばらく固まっていた。

 * * * *

指定された時刻、放課後。指定された場所、屋上。屋上へと通じる階段は用事がある生徒の方が少なく、人目にはつきにくい。窓も少なく差し込む光の量はさほど多くない。薄暗くやや埃っぽい踊り場ですっと息を整えながら、屋上扉へ通じる最後のワンセットへ。薄暗い踊り場と対照的に扉の隙間から光が差し込むそこはキラキラと輝いて見える。名前が書いていなかった事が気にはなるけれど、何にしても会ってみない事には分からないし……
だけど本当に告白だとかだとしたら? いやいや、オレがそんな誰かに告白されるような事をした記憶がない。思い返しても思い当たる節が何もない。そうだとしたらなんだろう? もしかしたら姫野先輩がイタズラしたとか?
あれやこれやと想像をめぐらせながら、意を決してオレはドアノブを掴むと屋上へと続く扉を押し開けた。扉と壁の隙間から漏れだしていた光が一気に差し込んできて視界が真っ白になる。その眩しさに反射的に目を細めた。ホワイトアウトした世界が緩やかに色と輪郭を取り戻す。初夏のコントラストの中、視線の先にはツインテールのシルエットがあった。
「……あれ?」
見た事があるそのシルエットは、カメを追いかけていたはずの後輩の女の子。
「君は……名前知らないけど、あれだよね。前に部室に来た1年の……」
「シルヴィ。シルヴィ・デュボア」
金髪ツインテールの少女は淡々とした口調で名前を教えてくれた。それは日本人の名前じゃない。やっぱり外国の人か、もしくはハーフとか、そんな感じなんだろう。しかしなんでオレに?
「あ……シルヴィ、さん。どうしてオレに手紙を? カメ、亀山のと入れ間違えた?」
オレの問いにハハッ、と渇いた笑いとともにやや怒りを込めたような鋭い表情をこちらへと向ける。
「何言ってんの? 私があなたに手紙なんか書くわけないじゃない知りもしないのに。バカなの?」
年下とは思えない、というか少なくとも彼女、年上に対して敬っている様子は欠片も感じない。そんな感じの威圧に気圧される。
「私じゃないわよ、あなたに用事があるのは」
シルヴィはそう言ってオレの背後を指さす。今通過してきたばかりの出入り口の方、オレが振り返ると、扉の横にちょこんと座った女の子がいた。

……座った?

彼女にも見おぼえがあった。車いすに座ったボブヘアの小さな少女。先日、放課後にポスター掲示板の前で何かをじっと見ていた1年生の女の子がそこに行った。影になっていたためにすぐには表情など見えなかったが、オレが振り返った事をキッカケに車いすをスッと前に出して日の下に出ると、その顔が強張っているのがよくわかった。彼女は少し俯き気味に、時折ちらちらとこちらを上目遣いで見ては視線を外すを繰り返す。どうしよう、オレから何か聞いた方がいいのか? そう思っていると意を決したように少女が口を開く。

「あ……ああああああ、あのっ!」

――ダメだ、明らかに挙動不審だった。

「ちょっと、五十鈴。何をキョドってんのよ、こんな男を前にしたくらいで」
「おいちょっと待て。別にキミに興味はないけど、知り合いでもないヤツにこんな男呼ばわりされる筋合いはないぞ」
シルヴィの言葉に反射で反応してしまった。だが彼女もまったく悪びれる様子もない。
「……ったく、まどろっこしいわね。さっさと言いたい事言えばいいじゃない。別に大した事ないわ」
「あ……ごめんシルヴィ、怒んないで」
「ウジウジしない! 付き添いだって本来必要ない話なんだから。ササっと言う!」
「うぅ……」
2人とも1年生という事は友達、なんだろうけどこのやりとりを見ていると先輩後輩とか、もしくは姉妹のような印象を受ける。無論2人のルックスは全然違うんだけど。でも、シルヴィの言葉でようやく踏ん切りがついたのか、ギュッと両手でスカートを握りしめながら、再び彼女――先ほどシルヴィが五十鈴と呼んでいた車いすの少女が口を開く。
「すみません先輩! こんな時間に呼びだしてしまって……」
「あ、いや……それはいいんだけど……この前廊下で会ったよね? 何の用?」
「それは……えっと……」
そう聞くと彼女は両頬を真っ赤にしながら、少しもじもじとする。そのしぐさが女の子っぽくて少し照れる。もしかして本当に……? いやでもそんなバカな……ぐるぐると思考が回る。こんな場面には遭遇した事がなくて、正直どうしたらいいのか分からないまま、彼女は車いすから身を乗り出す勢いで言葉を紡いだ。
「先輩、中学MVPの神谷野翼さんですよね!」
「……は?」
「あ、えっとエース……エアリアルソニックの……あの、これ!」
そう言って車椅子のサイドポケットに入れていたらしい、角の潰れたスクラップブックを差し出した。どこのお店にも売っている昔ながらのスクラップブック、ただその角がくしゃっと剥離していたり、全体的に色褪せが見えるその風体に、冊子の年季を感じた。差し出されたそれを手にとって、慎重に表紙をめくる。その中は新聞やネット記事の切り抜きが綺麗に張り付けられていた。のり付けなのだろうけど所々カラフルなマスキングテープを使用している所に女の子らしさを感じる。それが2年前あたりの記事だという事は新製品情報やプロリーグの記事などからすぐにわかった。新製品や学生リーグ、プロリーグにメーカーの不祥事まで、広くエアリアルソニックに関する情報をスクラップしてある。情報整理もとても丁寧だった。
「――綺麗にスクラップしてるんだな」
「あ、ありがとうございます!」
彼女は顔を真っ赤にしてすぐに顔が見えない様に屈んで沈む。そうしていると、付箋が差し込まれたページに、オレと乙羽が中学でMVPを獲得した時の新聞記事があった。
「……これか。知ってたんだオレの事」
そういうと、大きく頷いて答える。それに続いてスッと息を吸い込むとそれまでとは1つレベルの高い張った声で
「好きです!」
「え?」
「……私、好きなんです……エース!」
そう彼女は続けた。
「あ……うん。そっか……」
一瞬でも何かを期待してしまった自分を嫌悪しそうだった。まぁこれだけちゃんとスクラップを付けているのは凄くヲタクっぽいし、オレの事を知っている事からも間違いなくエースが好きなのは間違いない。オレを見上げるその瞳はキラキラと輝いて見えた。
「それで……あ、あの、私……えっと……」
彼女の様子はなかなか言いたい事が上手く言葉にならない、そんな感じだった。そんな様子を見かねてか、腕組をして仁王立ちしていたシルヴィが呆れたように五十鈴を小突いた。
「あたっ!」
「……ったく、五十鈴。早く話を本題に進めなさいよ。困ってんじゃん?」
「緊張してるんだよー! もう……」
今にも泣き出しそうなくらいくしゃっとした表情で、瞳はうるんでいるようにも見える。事情を知らずに傍からみたらシルヴィがこの子をイジめているように見えてもおかしくない光景だ。なんとなくこのままだと埒があかない感じがする。オロオロとしている彼女に今度はオレから話しかけた。
「ねぇ、えっと……五十鈴さん? でいいのかな。なんでエースが好きなの?」
そう聞くと、彼女はハッとしたように顔をあげて平謝りする。
「あ、ごめんなさい! 私、名前……天原五十鈴って言います!」
「オレは神谷野翼……って知ってるんだっけ?」
そう言って笑うと、目の前の少女もつられてクスッと可愛らしい笑みを見せてくれた。
「はい! 知ってます。記事とか試合とかいつも見てました!」
「そうなの?」
「もちろんです! 中学選手権だけじゃなくて普通にプロリーグの大会とかグレードバトルロワイヤルも観戦してて……」
「へぇ、好きな選手は?」
「ジャンヌ・ゴールです! 分析能力に長けたブルーフローラでの影も踏ませない遠方からのアタックが好きで!」
「そうなんだ、あれはエグいよな。近接武器なんか使う暇がない感じだし……でもちょっとマニアックじゃない? 遠目から狙うだけで面白くないってアンチ多いでしょあの人」
「ホント見る目ないって思います! みんなあの凄さが分かっていないんですよ! 絶対防衛圏の広さを維持するための解析力がどれほどのものかとか、圧倒的なまでの完勝という事のすがすがしさとか! 神谷野先輩は好きなプロいるんですか?」
「そうだな、やっぱりメグミ・レイヤードかな」
「あぁ、絶対王者ですね」
「うん。どのレンジからでも確実に勝利へ持っていける強さと格闘・射撃技術はホントに凄いと思う。歴代最強選手、って色んな人の名前があがるけど歴代最強のヴィーナスは彼女がそうじゃないかなって思うな」
「なるほど……」
「キミは? 歴代最強の選手って言ったら?」
「うーん、そうですね……でもその一昔前のアンナとヴェレのツインズ時代も凄い時代だったんじゃないかと思うんですが」
「え、相当前の時代だね?」
「ビデオで。色々見てましたけどあの時代の装備である事を考えたら、もし彼女達が今の時代にいたら……」
そこまで話していて、不意に目があって言葉が止まる。本題を外れて2人でただのオタクトークをしていた事に気がついたからだ。その滑稽さと恥ずかしさからか、気が付いたらどちらからともなく笑い声が漏れていた。
「ハハハ……! でもそうか……ホントにエースが好きなんだね」
五十鈴は柔らかな笑みを湛えて答えた。
「私、小さい頃の交通事故で歩けなくなって、それからずっとこれに乗ってるんです」
そう言って自身が乗っている車いす――GPDデバイスであるそれを指し示しめすように手すりの部分を摩る。
「それで自分が乗ってるモノって何だろうって、GPDに興味を持って……そしたら、空を飛べる競技があるって知って……」
「エアリアルソニック!」
「そうっ! ……です。テレビで見て夢中になって、それでどんどん雑誌買ったり調べたり……それで、神谷野先輩の事も知ってました。見に行ってたんです、中学選手権!」
「そうなんだ……ありがとう、っていう感じでもないけど」
中学の頃の話はかつては誇らしいものだったが、つい最近まで直視できなかった思い出だったりもする。今のタイミングじゃなかったら素直に五十鈴の言葉を受け取れなかったかもしれない。そういう意味ではタイミングがよかったと思う。中学選手権まで見に行っているとはよほどのヲタクだなとは思う。テレビ中継もあり全世代的に人気の高校選手権とは全然注目のされ方が違う中学選手権は、せいぜい人と業界の関係者くらいの支持がある程度の大会だ。
「だから、先輩が部活を作るって聞いて凄く気になって……それなのに、声を掛けられても何も言えなくて……あと私こんなだから、色んな人の目が気になって動けませんでした」
そういって深く頭を下げる。
「いや、頭なんか下げなくていいって。君は何もして無いじゃん」
「ううん、何もしなかったから。本当は凄く先輩の話が聴きたかったのに、勇気がなくて……今日だって友達が、シルヴィが居なかったら、屋上にも来られなかったと思います」
五十鈴は顔をあげると、ギュッと強く手をグーにする。なけなしの声を絞り出すように彼女は続ける。
「この前の練習試合、私見てました!」
「姫野先輩と、真心の試合?」
「はい! それで凄く感動して……目の前で、同じ学校であんなシングルマッチが見れると思ってなくて……ホントに感動して……」

言葉を選ぶように、いや詰まっているだけかもしれないけど、五十鈴は話を続ける。

「だけど感動しただけで、私は全然何もない人間なんです。本当にただエースが好きなだけで。だから本当におこがましいんじゃないかとか、迷惑なだけなんじゃないかとか、ホントにもうよくわからないんですけど……でも、それでも……あの……もしよかったら、私をエアリアルソニック部に入れてくれませんかっ!?」
ゆっくりと時間が流れていく。想定していなかったその言葉を自分の中で噛み砕くのに少しだけ時間を要した。こんな風に部員が増える事は想定していなかった。戦力になるかどうかは正直わからない。真心が加入した事とは全然状況が違う。だけど、彼女の好きという想いは凄く伝わってきた。
「私、ただのヲタクだから、情報とかはあっても全然役に立たないと思うし、期待されても答えられないかもしれないけど……でも好きなんです。だからっ!」
情熱があふれだしそうなまっすぐな視線を受け止める。今にも泣きだしそうな彼女の表情を見て、なんでだろう、少し言葉に詰まった。
「……もしかしてさ、オレ達に何か凄い期待をしてくれてるかもしれないけど、まだまだ人も道具も足りてなくて、試合なんてできない……正直さ、まだ何もない部活だよ。それでも入ってくれますか?」
オレの言葉に、五十鈴の頬が紅潮したのがわかった。少し瞳を潤ませながら
「はいっ! よろしくお願いします!」
五十鈴はそう言って一番大きな笑顔を見せてくれた。瞬間心をドキッとさせるだけの可愛らしさと人を惹きつけるストレートな感情表現がそこにはあった。
「こちらこそ、よろしく」
そう言ってオレは彼女の手をとって握手する。
「ヒャッ!」
「あっ、ごめん」
「いえ、すみません。びっくりしただけなので……よろしくです、先輩!」
そんなオレ達を見て、それまで近くでその様子を見守っていたシルヴィは「要件は終わった?」とばかり、屋上出口の方へと歩いていく。その後ろ姿に五十鈴は慌てて声をかけた。
「あ、シルヴィ! ありがとう!」
背中越しの声にシルヴィは一旦立ち止まって金色の髪をなびかせながら振り返る。最初に会った時の鋭さから一転、彼女は優しく微笑んでいた。
「別にいいわよ。よかったじゃない五十鈴、部活頑張りなよ」
そういうとスッと手をあげてそのまま立ち去ろうとする。
「あ! ねぇシルヴィ。よかったらシルヴィも一緒に……」
五十鈴がそう言いかけた所で、被せるようにしてシルヴィが言葉を上書きする。
「フェルメ・タ・ギョール! 何度も言ったわよね? 運動は得意よ。でもごめんけど私、エースは好きじゃないの」
有無を言わせぬ声音で、シルヴィはその場の会話を収束させる。そうして出口まで歩いていきドアノブを掴むと
「あと、どうでもいいけど、盗み聴きは良くないんじゃないですか、先輩方」
ガシャンと音を立てて勢いよく扉を開け放つ。それと同時にふたつの影が視界に飛び込んできた。絵美里と真心の2人が扉の向こうに突っ立っていた。
「アハハハ……こんちわ」
「絵美里、何やってんだよ。それに真心も!」
オレが2人を睨むとあの絵美里もさすがにバツが悪そうに人差し指で自身の頬をつつく。
「いやぁ……翼に告白する子ってどんな子かなーと思ってさ」
絵美里と共に真心もハハハッと渇いた笑いを繰り返す。まぁ2人の性格を考えたらこれくらいはあっても不思議はないと思うけど、しかし覗き見されていたというのは気分がいいものじゃない。そんなオレの冷めた視線を避けるように絵美里は屋上へと足を踏み入れると呆気にとられていたのか、無言となっていた車いすの少女・天原五十鈴の前に立つとスッと右手を差し出した。
「ようこそ、五十鈴ちゃん! 歓迎するよ。私も全然素人だからさ、一緒に頑張ろ!」
「――! はいっ!」
五十鈴は身を乗り出す様にしてその手を掴んだ。


 * * * *


――チリーン……鈴の音がする。

自身のヘッドフォンで両耳を塞いでいてもその隙間から異音として聞こえてくる音色。オレが音のする方――ベランダへと振り返ると、Tシャツにジャージ姿の姫野先輩が窓の向こうから手を振っている。オレは作業の手を止めると両手でヘッドフォンを外して立ちあがり、窓の鍵を開けた。
「やっほー! お疲れ様!」
「……先輩、なんですか?」
「つれないなー、一緒にご飯食べようと思って。8時だし、そろそろかなと思って」
先輩がテレビを避けるようにテレビ台の左隅においてあるデジタル時計を指し示す。確かに時刻は8時を少し回ったところだった。
「オレもうご飯食べましたよ」
「えー、なんで?」
「なんでって、約束してないじゃないですか……ってか、さっきの鈴の音はなんなんですか?」
その疑問を待ってました、と言わんばかり、大きな瞳に長いまつ毛がぱちぱちと動いた。
「フフフっ、これ!」
そう言って、左手に持っていた不思議な形の鈴を見せてくれた。それは金色のやかんの形をした鈴のストラップ。
「今日出かけた先で見つけてね、可愛いでしょ? 買っちゃった」
「鈴のストラップですか?」
「多分ね、カバンとかにつけてもいいかもなんだけど、私はケータイにつけようかな? 今後はこれで神谷野くんの事呼ぶから鈴の音がなったらすぐに駆けつける事!」
「……オレは先輩の執事か何かですか?」
「へへへっ、私のバディでしょ!」
先輩は頬を朱色に染めて、くしゃっと笑う。その笑顔は何も言えなくなるから反則だと思う。呼び鈴を二度三度、チリンと鳴らして見せながら先輩はそれをポケットへとしまい込んだ。
「さて、神谷野くんは食べ終わってるみたいだけど、私は今からご飯食べよ!」
そう言って、右手に提げていたビニル袋をポンとテーブルに置く。同時に蓋がずれたのかふわっと香ばしい揚げ物の匂いが部屋へと拡がる。そのまま流れるように部屋の冷蔵庫を開けた。
「あれ、神谷野くん。冷蔵庫、マヨネーズなかったっけ?」
「……先輩、勝手に冷蔵庫開けるのやめてもらえません……?」
「あー、ごまドレあるじゃん! これにしよう!」
こちらの声なんて何も聞いてなかった。先輩はドレッシングを手に取るとテーブルに戻り、食事の用意をする。今日はいつものバイト先の総菜や弁当とは違うようだ。見慣れないパッケージはどこかのスーパーの専用商品のようだった。
「先輩、今日はバイトじゃなかったんですか?」
「ん? なんで?」
「そのパッケージ、いつものお店のと違うから」

そういうと、ピクっとその手が止まる。

「あぁ、そうね。これはバイト先じゃなくてスーパーの買ってきたヤツだし」
「あれ? でもバイトじゃないならどこに行ってたんですか?」
「えっ?」
「昨日も今日も部活来なかったじゃないですか? どこに行ってたんですか?」

姫野先輩は一息置くと、パチンと割り箸を綺麗に分離すると弁当を手にして

「……横浜。ちょっと用事があってね、ごめんちゃんと連絡してなくて。明日は部活行くから」
そういうと白米を口にかきこんだ。欠席に関しては特にルールを決めていない。出来たばかりというのもあるんだけど、個人的な用事がある場合はそれを優先すればいいと思うし、先輩に関しては自分の事は自分でやれるという風にも思っている。無茶苦茶な人だけど1つ上だし。でも横浜まで出かけていたのか。じゃあその弁当はそこで買ったものだろうか。
先輩はそれ以上は何も言わずにご飯を食べている。先輩が具体的に何をしに行ったのかは、彼女が話さないのであればなんとなく聞いてはいけないような雰囲気があった。
「……それで、神谷野君は何してたの?」
食事も一息ついたのか、姫野先輩はお茶を飲みながら話しかける。
「ん? 自主トレかな」
「自主トレ?」
座椅子でご飯を食べている先輩に見えるように、オレはデスクにおいていたパソコン画面の向きを少し変える。そこには様々なセルの中に数値が記載された、見た事がない人には意味が分からない画面だ。だけど、オレと姫野先輩ならそれが何か分かる。
「監視モニター画面?」
「そう、エースの練習用、シミュレーターアプリの画面」
自分のパソコンにはエアリアルソニックでオペレーションブースのメカニックが見ている画面が表示されている。それで姫野先輩には何が行われているのかは伝わったようだ。一般の人は空を飛んでいるライダーにしか意識が行かないと思うが、その裏でエースの試合に大きな影響を与えているのがオペレーター、つまりメカニックだ。技術屋の名前の通りもちろん機体の整備全般を受け持つわけだが、メカニックの仕事は大きく2つある。
1つは事前のメンテナンス、準備だ。機体を最適な状態に整備する。それはハードだけでなくシステムもだ。昨今はハードに使われるパーツも標準化が進んでいるため、むしろシステム設計の方が重要度が高いともいえる。それを使う人のクセや求める戦術に合わせて、もっとも力が発揮できるOSを組み上げていく。どんなに使う人が天才でも道具が上手く動かなければ自由に空を飛ぶ事が出来ない。ライダーを支えるのが魔法のほうきではない、機械である以上はメカニックの責任は大きい。それが1つ。
もう1つは試合中だ。最適、最高の状態で選手をフィールドへと送りだすのはある意味では最低限の仕事で、ここからは一刻一刻と変わる状況に合わせて、リアルタイムでシステムを最良の状態に持っていく事が必要になる。戦闘時に破損すれば体を支える様々なパラメータが一気に崩れていく、それを瞬時に判断して修正する。環境に合わせて機体を最適な状況へと導いていく。瞬時の判断力と技術に裏打ちされた修正力がエースのメカニックに必要な才覚だとされる。まぁそのすべてが才能だと言われてしまったら、もはや出来る事は何もないんだけど、一応様々な状況数値をランダムに生み出して、即座に立て直したり、戦術を組み立てたり……エースのオペレーションの練習用としてよく使われているソフトウェアがちょうど目の前で展開していたそれだ。ライダーである姫野先輩のように体を鍛えたりとは違うけど、これはメカニックであるオレの自主トレと言えるものだ。
「そっか、頑張ってるんだねキミも。よし! 私も頑張らないとな!」
「いや、先輩は全然頑張ってると思うけど」
「そうかな。そうだと嬉しいな」
いやいや、まだまだだよ、とか……そういう言葉がでるのかと思ってたので、少し意外だった。だけどまぁ頑張っているわけだから、別に否定する事もない。素直に受け取っていればいいのだと思った。
少しして先輩はご飯をを食べ終えたらしく、弁当がらの蓋を閉めると買い物袋に戻して、手提げ用にわっかになっている部分をキュッと結んで片付ける。ごちそうさま、と両手を眼前で合わせて一礼すると、こちらへと視線を戻した。
「それで部活の方は大丈夫だったの? 何か変わった事はなかった?」
「変わった事……といえば、新入部員が1人入りましたよ、ってメッセ送りましたっけ?」
「あ、うん。見た見た。どういう事なの? 凄いね新人入ったんだ! しかも1年生なんでしょ?」
「そうで……あー、でも経験者ってワケじゃなくて、即戦力じゃないけど」
「そんな事はいいよ! 出来たばっかりの部活に入ってくれる、その事が嬉しくない? それでどうするのその子、女の子ならもう選手になってもらう?」
先輩は前のめりになりながら、頬を紅潮させて興奮気味に話す。
「あー、いや。ちょっと足が悪い子だから、オペレーター寄りかなとは思ってて。オレがオペレーションに関して色々教えようかと」
「あ、そうなんだ。キミがそういうなら了解。いやぁ、明日会えるの楽しみだなぁー!」
「この前の練習試合、見てくれてたらしくて先輩に会うの凄く楽しみにしてましたよ」
「ホント!? いやー嬉しいねぇ! 嬉しいですねぇ神谷野君!」
満面の笑みの先輩に、続けて真心の追試の話をすると一瞬驚いたようだったが、続けて笑っていた。まぁ、オレがちゃんと勉強させればなんとかなるでしょ? という楽観もあるのだろうか。
何にしても笑顔の絶えない夜だ。なんだろう、上手く行ってるという感覚が自分にもあった。部活も成立して、新入部員も入ってくれて、このままメンバーを増やして冬のヴィーナスエースへ……

――だけど、まだスタートラインに立った程度の状態で、周りに敵もいて、そんなに何もかもが上手くいくはずなんてない。浮ついたその視線はすぐに現実の方へと引き戻される事になった。

chapter4-2 (終)

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