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chapter2-4: 栄光と挫折と


外で話すと人に見つかるかもしれないので部室で、姫野先輩はタンクトップにジーンズという私服で手には大きめのタオル。髪は濡れていて、時折そのバスタオルで頭部をふいていた。
「いやー、もう結構暑かったからついね」
「それで、ついプールに全裸で入る女の子がどこにいるんですか?」
「水着が見当たらなかったんだから、しょうがなくない?」
「いや、しょうがなくなくないです。普通諦めるでしょそこは」
「いやいや、うちのプールって別に外から見えない仕様だし。こんな時間に入ってくる人がいるとは思わないでしょ」
姫野先輩はあまりそういうのを気にしない人なのか。普通の感性ではちょっとあり得ないような事に思えたけれど……
「――みた?」
「みてません!」
アハハと笑う姫野先輩に、オレはどう対処していいのか分からず戸惑いだけを隠せずにいた。オレをからかって遊んでいたのかなんなのか、やっぱりこの人頭のネジが飛んでるとしか思えない。先輩の手には市販のカッププリン。風呂あがりのスイーツと言わんばかりに口に放り込んでいる。買ってきたのだろうか、それとも……カメの学園新聞に職員室の冷蔵庫にあるプリンが消える、なんて話があったけど。まさかな。
食事とオレを弄る流れが一通りすんだのか、
「でもありがとね、こんな綺麗な色、久しぶりに見た」
姫野先輩はGPドライブの排光を指してそう言う。
「久しぶり、ですか?」
「うん。1年生の頃はね、こんな感じの綺麗な色だったんだけどね」
「一昨年ですか?」
「そうだね、あの頃とは随分変わっちゃったけどさ、このドライブだけ時間が戻ったみたい」
先輩が1年生の頃――その頃はこの情報処理部にも、もっと人が沢山いたんだろうか。でも、過去に何があったのかとか、そういう話は聞いちゃいけない様な、そんな感じがした。代わりに、ドライブの話をしてみることにする。
「今までは、先輩が直接ドライブ直したりしてたんですか?」
「そうだね、できる範囲でって感じだけどさ。でもなかなか代替えパーツが見つからなかったり、汎用品で置き換えたりして、ホントなんとか持たせてたって感じで」
「難しくなかったですか?」
「え? そりゃ難しいよ、何言ってるの。もう一回ばらしたら二度と戻せないんじゃないかって思ったし」
ですよね、とオレが言うと先輩は笑いだす。過去にどんな修繕をしてきたのか、そんな話をしてくれた。そのどれもが常識からはズレたハチャメチャな話ばかりで、オレはついついツッコミを入れて、そのたびに先輩は可憐な声を響かせて、ニッと歯をみせる。どんなもんだい、と言わんばかり、少年のような無垢な笑顔がそこにはあった。最初に街中で会った時を思い出す。エアロボードでの飛翔も、色んな言動や行動まで、この人はどこまでも自由だな。それは、どうしようもなく嫉妬するほどに。
元々ライダーとメカニックの才能は別のものだし、どんな形であれ1人でメンテナンスしながらやって来れてきたというのは十分凄い話だ。なによりも心が折れなかった事が凄い、そう思う。
「ベストな状態! これで明後日、いい結果が出るように頑張らないと!」
グッと拳を突き上げて、姫野先輩は気合いをいれなおしていた。

「――それじゃ、明日あるんでオレは帰りますね」
それなりにいい時間になっていた。明日も学校だし、そろそろ帰る事を告げる。
「そっか、お疲れ様。ありがとう」

忘れ物がないか、カバンの中身を確認してオレは扉へと手をかけた。
「先輩は、帰らないんですか?」
「ん?」
「帰るならまとめて電気とか切りますけど」
よくよく考えたら先輩も家に帰る筈だし、先輩とはいえ女の子を1人残して帰るのはちょっとな。そう思って、もしあれなら一緒に帰らないといけないかなと。だけど、先輩は笑って
「あ、私なら大丈夫だから」
そう言ってまったく動くそぶりを見せない。
「――まさか、徹夜で何か作業する気ですか?」
大会直前だから何か調整とかやりたいことがあるのかもしれない。だが、どうも様子がおかしい。
「いや、作業というかなんというか……」
先輩は困った様子を隠すことなく、指先で髪をくるくると巻きながら
「アハハ……帰る場所がないっていうか」
「は?」
予想だにしていなかった回答に思考が停止する。
この人は何を言っているんだ?
「……親とけんかでもしてるんですか?」
「ん? それはそうかもしれないんだけど、私1人暮らしだし」
「え、1人暮らしなんですか?」
「うん。実家は都内だから、ここの近くのアパートを借りてたんだけどね」
自分もそうだし人の事をいえないけど、あまり高校生で1人暮らしはいないと思っていたので意外な感じがする。
「でも、家賃払えなくて追い出されちゃった」
「……は?」
「いや実はね……エースに出るのとかそのホーリーナイトの修繕とか、色々とお金がかかるでしょ? そしたら家賃が払えなくなっちゃって」
そりゃ確かにエースをやるのにお金はかかる、大企業がスポンサーとしてチーム支援するのが当たり前の世界だし、学生大会にしたって学校側の負担が大きいのは事実。そんな事は分かるけれど。
「なんで家賃払えなくなるまでって……まさか」
思い当たる事が1つあった。茶色い封筒だ。

でもまてよ、冗談だろ……

「あ、別に今回のが全部の原因ってわけじゃないから気にしないで。バイトも頑張れるだけ頑張ってはみたんだけどやっぱり予算ゼロだと厳しかったかなー、なんちゃって」

先輩はおどけて見せていたが、そんな簡単な事態じゃない。家族関係がどうなっているのかとか、そんな事はわからないけど……この人、誰も頼れる人はいないんだろうか。

「そこまでしなくても……無茶苦茶だろ」
仮にも年上に対して、そんな事を言うつもりはなかったのだけど、つい口に出てしまった。

ありえない、そこまでしてやる事じゃないだろ。

「無茶でも何でもいいの。私がそうしたいんだから」

姫野先輩はどうしてこんなにも強いんだろうか。
条件は最悪、絶対に覆らない現実、味方になってくれない学校。その上、自分の家まで投げ出してる。

「……それで、どうするんですか?」
「どうするって?」
「ここに寝泊まりするつもりですか?」
「そうだね」
そうだね、じゃないだろ。
「あ、でも結構学校って快適なんだよ。空調完備だし、冷蔵庫もあるし。お風呂がないのが弱点だけど、さっき見たようにプールがあるからそれも何とかなるでしょ?」

――ダメだ、そんな事が許されるわけがない。

そもそも学校に見つかったら、生徒会長の裁量がどうとかいうレベルの話ですらなくなる。そこまでしなきゃいけないのか、という思いと、エースのためにそこまでできるのか、という畏敬の念が入り混じった様な、複雑な感情が自分の中を渦巻いていく。

――仕方ない、よな。

「先輩、ついてきてください」
「え?」
「いいから! 荷物をまとめてオレについてきてください!」

年上にこんな語気を荒げたのは初めてで、できたら最後にしておきたい。そんな、人生で最初で最後かもしれないこちらの迫力におされてくれたのか、先輩は素直にオレについてきてくれた。

沢山の住宅が並ぶ、そんな一角にあるとりたててデザイン的にも優れているわけじゃない、ごく普通の3階建てアパート。オートロックこそ1階フロアにあるが、本当に一般的なアパートで、現在のオレの家だ。オレの後をついてきた先輩は不思議そうにオレの後に付いてくる。そうして、最上階にあるオレの部屋の扉の前で立ち止まる。
「ここは?」
「オレが1人暮らししてるアパートで、ここがオレの部屋です」
「……もしかしてさ、私を神谷野君の部屋に泊めてくれる、って事? 一緒にお泊り?」
「いや、それは別の意味で問題になるでしょ?」
「え、そうかな?」
「そうです!」

女の子である先輩を家に泊めるなんて事が学園にばれたら、それこそ学校に侵入しているとかいう問題のレベルじゃなくなってしまう。

「ちょっとここで待っててください」

オレはそういうと、手持ちのカードキーで一旦自分の部屋に入る。カバンを玄関に投げ捨て、部屋に入ると机の最上部の引き出しを開けると、そこにあったカードキーケースを取り出す。その中の一枚を持って再び外へと出た。

きょとんとまるで何も分かっていないといった先輩を、自分の部屋の隣の扉へと誘導する。ピッとカードキーを玄関センサー部にあてがうと、それまで赤ランプが付いていた箇所が緑に変わり、ロックが解除された。

扉を開けると、ベッドを除いてほとんど何も置いていない部屋がそこにあった。

「何ここ?」
「このアパート、そもそもじっちゃんの物件で、ここはゲストルームとして使ってる部屋です」
「ゲストルーム?」
「持ち主であるオレのじっちゃんが知り合いとか友達や、親せきを泊められるように開けてある部屋です。とりあえず布団くらいしかないけど、電気も水も問題なく使えるから問題はないはず。これ、ここの部屋のカードキー」
オレは手に持っていたカードキーを先輩へと差し出す。 彼女は唖然とした表情で、まだ整理がついていないのか受け取りながらしばらく表情は固まったままだった。ただそこまで言えば、どういう事かは理解してもらえたらしい。

「私、この部屋を使っていいってこと?」
「どうせ空いてる部屋だし、じっちゃんには事情を伝えておくから」

先ほどまで無表情だった先輩の顔がみるみる紅潮していく。
「ウソ? いいの? お金持ち?」
「いいもなにも、とりあえずってだけですから。ってかオレは金持ちじゃなくて、じっちゃんがおかしいだけなので!」
「うんうん! ありがとうありがとう!」
こちらに同意するように大きくうなずく。無茶苦茶だけど、頑張ってるのは分かるし、部屋が空いてるんだからこれくらいしたっていいかな。単純にそう思った。別に自分のモノでも何でもないんだけど。


  * * * *


色々ありすぎて、自分でもわけ分からなくなった1週間もようやく終わる。
明日にヴィーナスエースの関東B地区予選を控え、しかしそんな様子が微塵もない学校で普通に授業を受ける。誰も明日のエースの試合の事なんて気にもかけていないんだろう。学校でそういった話は一言も聞く事はなかった。誰も期待なんてしていないし、そもそも出場する事すら気が付いていないのかもしれない。もちろんオレの知り合いである絵美里やカメは知っているわけだが。

だけど、それだけだ。

朝、一応気になって隣の部屋の様子を伺ってはみたけれど、人の気配はなかった。学校でも姫野先輩の姿を見つける事は出来なかった。昨日すべての修繕作業を終えた事で、立ち寄る理由のなくなった旧部活棟へは、なんとなく近寄る気がしなくて、気が付いたらその日はまるで今までの狂乱が嘘のように静かで平穏な1日を終えて家に帰った。

本当に静かな一日だった。買ってきたコンビニ弁当で夕食をすませると、後はなんとなくネットでも見ながらだらだらと過ごしていた。それは嵐の前の静けさだったのかもしれない。

ドンドン

ベランダから音がして、ビクッと体が震えた。ここは10階、本来想定していない方向からのアクションだ。驚いてオレがベランダの窓を見ると、冊子の向こう側に姫野先輩の姿があった。
「冗談でしょ……」

窓サッシを開ける。
「こんばんは、神谷野君!」
「なんでわざわざこっち側から来るんですか? というかどうやって?」
「ん? エアロブーツでベランダ飛び越えて」
そう言って、GPドライブ付きの靴底をみせる。ぼんやりと光を放っていた。それにしたって危険じゃないか、とは思ったが、ここ数日の体験で徐々にそういった非常識に慣れ始めている自分もいた。

気兼ねする様子もなく、普通に部屋へと上がり込んだ彼女にとりあえず理由を聞く。
「何しに来たんですか?」
「フレーム直してもらったり、沢山お世話になったから、少しくらいお礼でもしようかなと。ほれ、バイト先でもらってきたんだ、ケーキ」
そう言うと右手にある紙の箱をポンとテーブルの上に置いた。
「あ、ありがとうございます……じゃなくて!」
「へぇ、ここがキミの部屋か……結構綺麗にしてるんだね。男の子の部屋ってもうちょっと汚いイメージだったけど」
そう言いながら、先輩は部屋に置いてある雑誌やメディアを次々と物色していく。
「ちょっと! 何してるんですか!」
「うーん……ないなぁ」
「何がですか?」
「ん? 怪しげな雑誌とかないのかなって」
「そんなものないですよ!」
「なるほど……全部データか」
「だから、そういう事じゃなくて……」
本当にこの人といると調子が狂う。
「先輩、一体何しに来たんですか?」
そう問いかけるも、姫野先輩はこちらの言葉を聴き入れる様子もない。

――が、机の上の写真の前でその動きをとめる。

「あ……」

声を出しかけて、ただそれに続く言葉を見つけられない。

その写真は……
「ねぇ、これって中学選手権の時の写真?」
こちらへ向き直り、姫野先輩はそうオレに問いかけた。
中学選手権、という単語が出てくるという事は……

「……姫野先輩、知ってたんですかオレの事」
そう問いかけると、フッとほほ笑むような笑顔で、
「エアリアルソニック中学選手権全国大会優勝タッグ、日向乙羽と神谷野翼。見てたよ、キミ達の試合。私、ライダーの前に、そもそもエースの大ファンだもん」
そう言って、写真を指差した。そりゃそうか、1人でチーム戦に出るくらいのエースバカなんだから。

その写真は、中学時代のオレと、乙羽の2ショット写真。メダルとトロフィーを手にこれ以上ない笑顔で映る2人の姿だった。
「圧倒的だったよね、あの時の中学選手権。天才っているんだなって、そう思った」
その時の情景を思い出すかのようにゆっくりとした口調で先輩は話を進める。

「そんな人にまさか会えるなんて思ってもみなかったから、最初にキミを見つけた時は驚いたんだ」
「最初って、あの時のボードですか?」
「まぁ、あの時は恥ずかしくて上手く話せなかったけど」
そうだったか? 最初から結構ズケズケと人の事なんてお構いなしに話してるイメージだけど。
「なのに、どうして神谷野君、エースから距離をとるの?」
「えっ?」
「全国でもトップクラスのDGTに入学、1年目でヴィーナスエース優勝チームメンバー入りでしょ? 凄い経歴じゃん。なのに、全然そんな雰囲気もないし、部屋の中にもこの写真以外、それらしいものがない」

――そうだ、オレは1年ですでにその学生最高の栄冠に輝いていた。

自分の力でも何でもなく、ただ座っていただけで。

「エース、辞めたって事?」
「……そうです」
「どうして? どうして辞めちゃったの?」
姫野先輩の笑顔なしの真剣な顔、そのまなざしからは逃げられない。そう直感した。
「……それはさ、オレが天才じゃないって気がついたから」
オレは自分自身の事を改めて思い返していた。あの時の苛立ちが蘇り無意識にギリっと歯を食いしばる。
「天才じゃない?」
「そうさ、この写真の頃はさ、天才中学生コンビだなんて言われて調子に乗ってたけど、天才だったのは乙羽の方で、オレはそんな事はなかったって、気がついたらもうそこには居られなくなった。だから全部置いてきて、新しくやり直そうって、そう思ってたのに」

――そう、DGTで思い知らされたんだ。
この世界には選ばれた人間と、選ばれなかった人間がいる。


* * * *

――15歳のオレは、きっと天才だった。

「勝負をしないかい?」
そんなオレに同学年の生徒がそんな事を言ってくるなんて思ってもみなかった。
中学選手権シングルバトルを見事に勝ち抜いて、中学生チャンプとなったライダーとメカニックのコンビ。その経歴を持ってDGT学園へAOでの特別枠での入学。オレも乙羽も小さな頃に目標にしていたヴィーナスエースへ限りなく近づいてきた、そんな1年の夏。
「勝負って、何の?」
「試合用のオペレートシステムのメインプログラム、僕と神谷野君のどちらが優れているか、だよ」
同学年で、オレと同じくメカニックである大丸空耶。ややウェーブのかかったミディアムの茶髪に、切れ長で全体的に鋭い印象の顔つき。やせ型ながら身長も比較的高く、華のあるルックスから女子人気も高い。加えてこの学園の御曹司である事がさらに彼の特異性を増していた。もちろんただ七光りなどではなく、優秀なメカニックな事は近くで見ていても間違いない。勉強もでき頭もキレる、そういう意味では非の打ちどころのないイケメンだ。

「日向さんって凄く可愛いよね」
「そうか? 普通じゃね?」

入学・入部直後、一番最初に話したのはそんな他愛もない話だった。日向なんかを可愛いという変な男。その時の印象くらいしかなかったが……

「もし僕が勝ったら、すべてのシステムを僕の仕様に合わせてほしい」
「すべてって……乙羽のフレームのシステムも?」

中学時代からコンビを組んでいる事もあって、入学後も自分の彼女に対する発言はある程度の主張は許されていたし、当然彼女のエアロフレームは自分が担当になっていた。
「中学生大会はソロしかないからそれでもいいかもしれないけど、高校生大会は違う。チーム戦なのに、レギュラーメンバーのメインシステムが統一されていない、ってのはチームとしてどうかと思うんだよね」
如何にも正論らしい言葉を並べながら、柔和な雰囲気で大丸は話を続ける。
「神谷野君が日向さんに搭載しているシステムと、今僕が使っているDGTのシステムのどちらが優秀か、みんなに判定してもらって、多くの票を集めた方を採用しよう、ってそういう話」

――ヴィーナスエースはチーム戦だ。個人戦だった中学選手権とは違う。だから大丸が言う事もきっと間違いではない。
だけど、今まで乙羽のためだけに作ってきたオレのシステムは、あまりに乙羽のためだけに作られたシステムになっていて、つまりどれだけ乙羽にとってベストな内容であっても他の人に支持されるような汎用性を持ってはいなかった。テスト機に搭載して様々なライダーにテストをしてもらったものの、あまりにクセが強すぎて誰にも使いこなない。大丸の創り上げていた汎用性の高いシステムとでは、まったくもって勝負にもならないまま、オレのシステムは不採用となった。もちろん悔しかった。だが悔しい気持ちもあったが、同時に誰もがハイレベルな所で使用できるシステムを組み上げていく、そんな大丸の才能も感じていた。同じ土俵に居るからこそ分かる、彼のスキルの凄さも十分感じていた。

乙羽は早々にレギュラーメンバーの枠を勝ち取り、そして1年次からいきなりエース級の活躍でDGTの全国優勝に貢献。搭載されているシステムの変更なんて、彼女にとっては問題ですらなかった、彼女は本当に天才だった。
オレはサブオペレーターとして辛うじてレギュラー。
だけど、彼女の夢だったヴィーナスエースを同じチームで獲得したんだ、別に自分の力がどうとかはいい。基幹システムは採用されなくても、メンテナンスやバトルテスト、試合中のリカバリーなどやれる事は沢山ある。

――そう思ってた。

「神谷野君。僕、この冬の大会が終わったら、日向さんに告白しようと思うんだ」
「え?」
冬の大会を控えていたその日。それは青天の霹靂だった。
――大丸が、乙羽に告白?
「神谷野はさ、どう思う?」
「どうって……どうってなんだよ? そんなの大丸の好きにしたらいいだろ。オレには関係ないじゃん」
急にそんな事を聞かれても困る。
そう思って、濁す様にそう返した。
「関係ないのか?」
「あぁ、関係ないよ」
「そっか、安心した」
大丸はホッとしたというように、そこの見えない笑顔を見せる。正直、オレは急にそんな事を聞かされた動揺を上手く隠せていなかったとは思う。そんなオレに大丸は笑顔のまま続けて言う。
「でも、だったら、そろそろ日向さんの担当を外れてくれないか?」
「は?」

頭が真っ白になる。
なんでそんな事を言われなきゃいけないのか。意味が分からない。
「日向さんはもっと上に行ける、本当に天才だよ。なのに彼女自身が神谷野君とのコンビにこだわってて、彼女の成長が制限されてるように僕には見える」
「そんな事……」
何言ってるんだ、そんな事ない。ずっとオレが乙羽と一緒にやってきたし、これからだって……そんな言葉を飲み込んで、なんとか冷静な自分を取り戻そうとする。だけど、そんな事ないと言いきれなかった。もしかするとそうかもしれないという疑念が自分の中にあったのだろう。乙羽のメンテナンス担当は今も彼女の希望でオレだ。だけど、絶対に自分でないといけないのか、と言われたら……
「彼女は天才だよ。だからパートナーとしてはもっとふさわしい人がいると思う」
「それが、なんだよ。お前ってことかよ?」
声が震える。怖い、怖いと思った。
1年次で基礎システムの大半を見事なスキルで組み上げた大丸はこのチームの要となっていた。色々思う事はあるけれど、同じようにプログラムを専攻するからこそ分かる。彼も間違いなく天才の1人だ。敵わない事を直感していた。

「僕はね、彼女が神谷野君にこだわって、その未来の可能性を潰してほしくないんだ」
「――っ! おま……」
「キミは天才じゃない。誰も使いこなせないピーキーなチューニング、あれは日向さんの才能があって可能になる汎用性のないセッティングだ。他の誰にも使いこなせない。キミの技術はあまりに限定的だ。ライダーの才能に依存しているだけの、キミくらいのレベルのエンジニアなんて掃いて捨てるほどいる。神谷野君だって分かってるんだろ?」

目の前で、大丸は表情一つ変えることなく、オレにそう言い放つ。

――返す言葉が、見つからなかった。


  * * * *


「――それで、かぁ」
オレのベッドに腰掛けて、姫野先輩は大きく息を吐く。
「そっか、神谷野君は好きだったんだね。日向さんの事が」
「は?」
過去に戻っていた意識が、先輩の一言で我に帰った。
「どこをどう聞いたらそういう話になるんですか?」
「いやいや、そういう話でしょ?」
「待ってください。好きだなんてそんな事ない。ただの幼馴染だし……」
「――はい? でもさっきの話だったら、どう考えたってそういう事じゃないの?」
「好きじゃない、って事はないけど、でも別に女の子としてとか、そういう風に考えた事なんかないし……」
そう、自分で言い訳を探しながら、自分で自分が何を言っているのか分からなくなる。
言いたいのはそんな事じゃなくて……
「ただ、自分にとってエースをする理由が乙羽だったから、もう理由がなくなったっていうか……別にそんなメカニックの才能があったわけじゃなかったし……」
「……何それ?」
姫野先輩の声のトーンが少し低くなる。
「結局その後、どうなったの? 大丸は日向さんに告白したの?」
「わからない。その後の話は全然聞いてないし」
そんな事を聞いたってどうしていいか分からない。
「でも、それでエースまで辞める事ないじゃない、なんならもう1回大丸と勝負したらいいんだし」
「は? もう1回?」
「もし、そのシステム採用の勝負が重要だっていうなら、また頑張ればいいだけよ。また書いてみたら良かったんじゃないかな。1回負けたくらいで諦める事じゃない」
「そんなの勝てるわけないじゃないですか、相手は大丸なんだから」
「なんで? 分かんないでしょそれは?」

姫野先輩は一切の迷いなく、かといってできもしない無責任さを感じさせるそれでもなく、当たり前のようにそう言い放った。
彼女がエースを知っているのなら大丸の名を知らないわけがないのだ、全国ナンバーワンの高校のバックアップを一挙に担う圧倒的な才能人を。それを知っていて、彼女はオレを許さないのか。
「――相手は天才だからやるだけ無駄ですよ。勝てもしないのに戦うとか、カッコ悪いじゃないですか」
悔しいけど、同じ分野の才能を近くで見ていたから分かる。あれは天才だ、オレなんかが及ぶ相手ではない。
戦った所で、勝負は見えている。
「……なんだ、カッコ悪い」
姫野先輩は再び大きく息を吐く。
ため息だった。
「えっ?」
「できたらさ、私とタッグ組んで欲しいなって思ってたけど、なんかちょっと違ったかも」
姫野先輩の瞳の色が黒く濁っていた。
「逃げてるだけなんだ、キミ」
「逃げてる?」
「言い訳探して、戦う前から諦めてるだけでしょ。キミが好きだって事、彼女に伝えてないんでしょ?」
「だから、なんでオレが乙羽を好きな事になってんですか!」
「好きじゃないの?」
「好きじゃない、アイツはただの幼馴染だから……」
「いいや嘘だね、好きだって顔に書いてある」

――なんだよそれ。

「――神谷野君の話、その子の事が好きだから、エース頑張ってたって言う風にしか聞こえないじゃん。それで自分よりも優秀な男が現れたからショックで、好きな子をとられるのが怖くて、それでそいつが告白した結果も聞けなかったんじゃないの?」
――だんだんと頭に血がのぼってくる。勝手に人の家に勝手に上がり込んで、オレの事知った風に言いたい放題いって。なんなんだこの人は。
そう思うと、自分の中の、嫌な自分が表へと顔を出す。
「なんだよ。戦うってのがそんなに偉いのかよ? 負けるって分かってて、頑張る事に意味なんてあるんだっての」
オレの言葉に、だけど姫野先輩の表情は変わらない。
「正面からぶつかってもいないくせに。なんだってやってみるまでは、結果なんて分かんないわ」
「いいや、もう分かってる。チーム戦に1人で、メカオペも連れていかないで、勝負にすらならない。勝つ可能性なんて1%もない。それでも戦う事に意味があって、参加する事に意味がある、みたいな精神論? 自分自身の立場もわきまえないで、なんかダサくないですかそれ」
――まてよ、こんな事が言いたかったわけじゃない、そう思う自分を黒い自分が塗りつぶしていく。
「どうせ全部無駄になる。頑張ったって勝てるはずがないのに、努力する意味がわかんねぇよ!」
「無駄になるかどうかなんて、そんなの関係ない!」
彼女の表情は変わらない、揺るがない。
「私がそうしたいの、私が何を好きで、どうしたいのか分かってる。だから頑張る。それじゃダメ?」
「だから、そういう精神論なんて……」
姫野先輩はベッドから立ち上がると、笑顔で答える。
「それにさ。好きなのに何もしないなんて、そんなのカッコ悪いじゃない。人になんて言われても、私は最後まで頑張るよ。他人がどう思おうと、自分が自分を信じてあげないと、私が可哀想でしょ?」
どうしてこの人は……
「……先輩は、なんでそんなに意味もなく頑張るんですか?」
オレの言葉に、彼女はニッと少年のような笑顔で答えた。
「そんなの、私がそれを好きだからに決まってるじゃん。人に説明する意味なんて、そんなのホントに必要?」
迷いも揺らぎもない、まっすぐな瞳で。
「ってかさ、キミは違うのかな?」
「え?」
「色々あっても、結局エースが好きだから、キミだってずっと頑張ってきたんでしょ? だから結局今もそこから抜けだせないでいる」
「……抜け出せていない、って……オレはもう」
そういうと、ポケットから取り出した紙切れをオレに手渡す。明日の湘南バトルフィールドの入場チケットだった。
「お礼って事で、これはキミにあげる。沢山助けてくれてありがとね。明日、私は出来る限り頑張るからさ!」
そう言って、当然のようにベランダから飛び出して隣の部屋へと戻っていった。

――なんなんだよ、クソッ。

逆立つ棘だらけの心、机の上には紙箱に入った栗色が鮮やかな艶っぽいモンブランが2つ入っていた。

chapter2-4(終)

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