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chapter1-4:桜山学園の日常へ


「――で、試合に来れなかったと。ホントにぃ……? なんかウソ臭い」

ブルーマンデーとはこういう事を言うのだろう。早朝、教室の窓際最後尾。オレの席に覆いかぶさるように両手をついて絵美里が眼前に迫る。肩口までで切りそろえられた明るめの茶髪が前のめりになった体制に併せて彼女の体の手前に落ちる。昨日体験した一部始終を言い訳として提示するも、絵美里は一向に納得してくれる様子がない。赤いフレームのメガネの奥、その眼光は鋭さを増していた。

「ひったくりを追っかけて、女の子がなんだって?」
「だから、ボードでバイクを……」

絵美里を納得させようと必死に昨日の追走劇を話すもなかなか信じてもらえない。ふてくされたように頬を膨らませる。ただでさえ丸顔なのにそれ以上丸を目指してどうする? 昨日の事故は確か地元の新聞やテレビで流れていたはずなんだけど……そうか、若者のテレビ離れは深刻なようだ。確かに現実感のない映画のワンシーンの様な、そんな景色の中にいたと自分でも思う。だが昨日の事件はおそらくは真実らしい。その証拠に、今朝モバイル端末には例の学校からの情報アプリで、ひったくり犯の確保というヘッドラインが流れてきていた。例のヘルメットバイク男のことらしいとすぐに思った。

まぁ絵美里がそれで納得してくれるかと言えば、そんな事はなく。ついでに言えば、急に絵美里が試合を見に来いと言ってきただけで、別に前々から約束していた話でもない。行くといいながら行かなかった事を考えたら、確かにドタキャンといえるかもしれないが情状酌量の余地はあるのではないか。一瞬そんな事を思い、直後目にした絵美里の表情からそんな気がさらさらなさそうだという事で、とりあえずオレはため息を1つ。
「それで、そのボーダーの名前は?」
「名前は聞きそびれたんだよ。オレは名乗ったんだけどさ」
「ほらほら、 それがもうウソ臭いじゃない。名前が分からないとか、やっぱり脳内妄想だったんじゃないそれ?」

――別にウソじゃないんだけどなぁ。

彼女的には、せっかく転校生がクラスのみんなと仲良くなる舞台を演出するつもりだったのに。みたいな感じなのだろう――いや、絵美里が本当にいい奴なのは間違いないんだけど。今日だってオレに積極的に話をふってくれているのは、まだ彼女が友達だと思ってくれているからで――

――ガラッ

閉まっていた廊下から教室に繋がる後ろの扉が横にスライドされる。そこから少し上半身を曲げるようにして、鮮やかな赤い髪をかきあげながら男が教室へと入ってきた。明らかにクラスの空気がピンと張りつめたような、緊張感を持った空気へとその場が一変する。先生が入ってきた時の気持ち背筋を伸ばす感覚とは違う、なるべく関わり合いにならない様にしたいというよそよそしさを含んだ空気。

「おっす、何してんだ? 喧嘩か? ホント仲がいいな、幼馴染」
赤髪の男は教室に入るとオレ達の方へとやってくる。
「仲がいいかどうかは微妙、今だってあと数分あればケンカになっていたかも」
オレがカメにそう返すと、しかめっ面だった彼女もうんうんと頷く。
「幼馴染って言ったって、小学校の頃の話で中学校以降は全然会ってもいないから、別に特別仲がいいわけじゃないんだから! でも小さい頃を知ってる手前、孤立しちゃってる翼をちょっとほっとけないってだけ」
絵美里はその男に向かって語気を強めて反論する。孤立している、っていうのは聞き捨てならないのだが。単に転入したばかりで知り合いが少ないだけだ。
「今日は学校来るの早いんだな、カメ」
オレは座ったまま、その長身を見上げるようにして話しかける。
知り合いの少ないオレに声をかけてくれる数少ない人物のもう1人が彼――亀山瀬斗。カメ、と呼んでくれと本人から半ば強制されており、オレも絵美里もカメと呼んでいる。机の近くに立つと、絵美里から頭一つ抜けたその身長が一気に際立って感じられる。
このクラスでも一番といっていいその身長はともすれば威圧感すら感じさせる。かったるいといった様相の半開きの目に、明らかに自然の色ではない赤色の髪。その外見はどう見たって品行方正な学生とは言い難く、事実教師からも目を付けられている問題児――

……なのだそうだ。

正直、彼の1年次を知らないオレにはその辺りがよく分かっていない。転校初日、つまり2年でのクラス替えにまぎれてこの桜山学園に入学したその日にカメの方からオレに話かけてきた。最初こそその外見から軽快したが、話してみるととても気のいい奴で、それ以降はなんとなく話をする間柄になった。
確かに赤い色の髪に耳のピアスなど、見た目は怖く感じられる事もあるかもしれないが、人の内側に無理に深入りしてこない心地の良い距離感で気軽に話せる気持ちのいい奴だと、自分的にはそんな風に感じている。まぁクラスの反応は様々なようだが。

と、カメは大きな欠伸をしながら
「昨日撮った写真を部室で整理しててさ」
そう言って両腕をその頭上へと伸ばした。
「朝から?」
「そうそう、6時すぎには来てたかな。昨日の試合を急いで新聞にしてんだよ」
「そりゃ相当に早いですな……」
オレの言葉にカメは、そうだろ? と言いたげに苦笑いをした。新聞、とは廊下の掲示板などに張られる報道部の掲示物の事だ。カメは報道部という部活に属している。学校の部活動の紹介などを記事にまとめて、掲示板に貼ったり、電子マガジンとして端末に送ったりしている。
絵美里がカメの方に顔を向けると挨拶代わりだろう、軽くカメの肩をポンとたたく。
「そんな早くから学校に来て、今回は何の記事を書いてたわけ?」
「ん? 部長がさ、昨日のサッカー部の試合の結果情報を早く出したいとかで。オレは試合見れてないんだけどさ、凄かったんだろ?」
カメが絵美里に話を振ると、少し興奮気味に絵美里は答える。
「そうそう! 圧倒的格上に3-2で勝ったんだから。相手が神奈川県ベスト4にもかかわらず、2点ビハインドからの逆転勝ちだよ! しかも相手ディフェンスを切り崩したのがウチのクラスの大野と杉山なんだから。練習試合なのがもったいないよね、本番だったら大金星……」
絵美里は興奮気味にそこまで言ったかと思うと、思い出したようにオレへと怒りを込めた視線を向ける。
「そんな面白い試合にせっかく誘ったのにさ、コイツ来なかったの。カメだって、翼はもっと積極的に色んな人と接点を持たないとって思うでしょ?」
「ふーん。それで藤沼が怒ってるのか」
そりゃ仕方ない、という風にカメは横に首を振る。
カメも絵美里側に付いたとなると、この戦いは勝ち目がない。自分にとってのこの学園のコミュニティはオレを含めて3人なので、2人が同調した時点で民主主義的多数決の結果敗北する事は確定なのだ。
「――はいはい、オレが悪かったですよ」
「あっ、全然反省してないじゃんそれ! 感じ悪いよね、カメ」
「そうだな、女の子にそういう態度とるといつまで経っても彼女なんてできないぜ?」
カメがにやりとしながらこちらを見下ろす、その視線にため息をつきながら
「悪かったって。確かにオレのミスっちゃミスだしさ」
そこでようやく絵美里の表情が少しだけ緩む。
「そうそう、そういう事よ。最初から素直にそう言えばいいのに。これで貸しが1つよね」
「貸し? なにが……」
「今回のマイナス分を今度、埋め合わせてもらうってことよ」
――悪い顔だ。
絵美里が歯をみせてニッと口角をあげる。カメも同調するように絵美里の方へと向き直る。
「何してもらうんだ? 面白そうだな」
「全然考えてないけど、カメはなんかいいアイディアある?」
「そうだな……罰ゲームなら、隣のクラスの鈴木いるじゃん、鈴木真奈美。茶髪ロングのすっげー可愛い子。あの子に告白してくるとかどうよ?」
「はぁ? 何それ? 意味分かんないんだけど」
「男子どもが有象無象よってたかって、だけど誰も口説けずの10連敗中らしくてさ。可愛い顔に似合わずなかなか辛辣な言葉で男子をノックアウトするって話だぜ。とりあえずその子に告ってフラれてくれば、翼にも傷を舐め合う仲間が一気に増えて、友達ゲット。めでたしめでたしだろ」
「……相変わらず、男子ってバカしかいないのね。確かに可愛いけどさ、あんたら顔だけよけりゃそれでいいのか」
「性格が悪くてもルックスが可愛ければある程度は許せる、可愛くないと許せない。つまりかわいいは正義だろ?」
「うわぁ……あんたってばマジ最低。ホント死ねばいいのに」
カメと絵美里はこちらを無視して勝手に盛り上がり始めたところで
「っと、そんな事はどうでもいいんだった」
思い出したようにカメはそれまでの話を切ると続けて
「翼、先週頼んでたカメラってどうなった?」
カメに言われて、オレは片手をカバンに突っ込むと袋に包まれたそれを1つ取り出した。
「直ってるよ」
「マジで! ありがとう助かったよ!」
カメは巾着状になっている袋の紐を外すと、中に入っていた手のひらに収まるほどの小型のデジタルカメラを取り出した。その様子に絵美里が横やりを入れる。
「え? なによカメ、また翼に雑用頼んでるの?」
「雑用って、ちょっとデータ読み込みの調子悪かったから翼に見てもらっただけだろ」
「翼が機械詳しいって知ってから、あれやこれや頼み過ぎじゃない? この前もデータディスクとか渡してなかった?」
「あ、そうだ思い出した。もう一個読めなくなったカードがあってさ、ちょっと見てみてくれよ」
そう言ってカメはポケットから、データが入っているらしいデータカードを机の上におく。
「またからあげ定食おごるからさ、頼むよ」
「わかった、とりあえず見てみるから」
オレはそう答えると、カメはサンキューと笑顔を見せる。そんな様子を絵美里は呆れたようにため息をつきながらこちらへ向き直る。

「ホント、翼も翼だよ。機械いじりが得意なのは知ってるけどさ、そういうのは自分のために使いなよ。天才がもったいない……」

――ドクン――

天才。

絵美里のその言葉に、息が止まる様な感覚が襲った。喉の奥で詰まった言葉を、オレは無理やり押しだす様にして口を開く。
「バカ言うなよ、別に天才なんかじゃないって。ちょっとメカ慣れしてるだけだろ」
「何言ってんの? 小さい頃から凄かったじゃん、翼なんでも作っちゃうし、夏休みの工作とかいっつもなんちゃら賞とかとってたし……」
「だから、ガキの頃の話だろ? 親父もじっちゃんも技術者だったし、たまたま家がそうだったってだけでさ、別に特別オレがどうこうってわけじゃないよ」
そんなオレの言葉を否定するように絵美里は続ける。
「でも凄かったよ、あの頃の翼。それにさ、そういうのが認められたからDGT学園にだってAO入試で入れてたわけだし」

――波打つように、また心臓が大きく動いたのが分かった。

その学名を聞いて、カメが何かを思い出したように制服のポケットからモバイル端末を取り出す。
「そうそう、お前結構凄い学校から来たんだってな。オレでも知ってるくらいだし、DGT。今日さっき特集記事ネットでみたぜ? お前の行ってた学校だろコレ」
そう言ってカメはポケットの電子手帳から1つの記事を見つけ出して、机の上に置く。

――DGT学園・工学分野に秀でたスペシャリスト集団育成学校。見慣れた校章と名前が掲載されたネット記事のタイトルの下には様々な学校の特徴や紹介が書かれている。その再注目の記事に見慣れた顔を見つけて、オレは無意識の内にその写真を注視してしまっていた。


天才メカニック大丸空耶率いるエースの最強集団・チームDGT・前人未到のヴィーナスエース5連覇へ


重力に逆らうように、舞い踊る空戦バトル・エアリアルソニック:通称エース。
その学生全国大会におけるビックタイトルである「ヴィーナスエース」の特集記事――大丸空耶(だいまるくうや)が大きな写真と共に特集されている。 絶対王者・優勝候補筆頭、それらの文字に負けないだけの凛として厳しい表情をみせる見慣れた彼の顔がそこにはあった。エアリアルソニックに詳しくない人でも、その名前くらいはメディアを通じて耳にした事がある――ましてや業界に精通している者ならばその名を聞いた事がある10年に1人の天才。

そのすぐ下には、チームを引っ張る最強の選手として、日向乙羽(ひゅうがおとは)の写真も掲載されていた。
日本人らしからぬやや透明がかったブロンドのふわりとした髪に優しげで可憐な印象を与える女の子らしい表情。1000年に1人の逸材、そんな事すら見出しに踊る可憐なルックスからはまったく想像のできない、圧倒的な飛翔感覚とバトルセンスでチームをけん引し、前人未到の5連覇へ突き進む、同じくエアリアルソニック界では知らない人のいないスーパースター。

どちらともオレは面識はある――いや、面識なんて他人行儀なものじゃないな。先月まではきっとオレ達は仲間だった、そんな2人の姿をモニター越しに見つめる。
「ん、なんだよ翼。やっぱりお前ってエースに興味があるのか?」
「――えっ? なんで?」
「いや、この記事見てたろ。エースの所がっついて見てなかったか? やっぱり機械詳しいとこういう航空系の分野にも興味あるんだろうなーって、オレには機械の事は難しくて良く分かんないけどさ」
「あ、いや……」
「でもさ、コイツはオレでも知ってるぜ、大丸空耶。天才って言われてるエースの技術者なんだろ?」
「……まぁ、そうだな……」
「え、翼コイツと知り合い?」
「まぁ、顔は知ってる間柄かな」
「へぇー、マジか凄いな! 今度サインとかもらってくれよ!」
「ハハハ、どうかな……」
カメの問いに対しての返事が思い付かない。どう答えたらいいのか分からず言葉を濁しながら返事をするのが精いっぱいだった。
そうして悩んでいる内、助け船の様に予鈴が鳴り響き、とりあえずこの話は途切れる事となった。


 * * * *


キーンコーンカーンコーン

一日に何度も耳にする甲高いチャイム音、だがこの一瞬だけはその意味合いが変わる。それは4時限目の終わり ――そう昼休みを告げるチャイムだ。
「ほれ、翼! 走って走って!」
前方を行く絵美里が急かす。そのチャイムはまるでスターターピストル、鐘の音をトリガーに一斉に教室を飛び出した生徒たちの群れの中、オレは絵美里の声にせかされる様にして走る。だがスポーツに秀でてなどいないオレの足では大勢の走者に太刀打ちできるわけもなく、目的地=ゴールである1階の購買へは多くの学生達の壁に阻まれて辿りつく事ができなかった。


「――あ~あ、コロッケパン買えなかったじゃん」

絵美里がムスっとした顔で手もとの袋をのぞきこむ。人気のコロッケパンはオレと絵美里がゴールへと辿りついた時にはもう売り切れており、仕方なく残り物のあんパンとハニートーストを購入した。そうして今度は階段を一番上まで昇っていくと、最後に待つ無機質な扉のノブを回す。ギィというやや鉄錆た音が響き、扉が開いた先には広々とした屋上が広がる。綺麗にグルリとフェンスに囲まれた学園の屋上は安全という事で進入禁止にはなっていない。オレと絵美里はフェンスの土台となっている膝くらいのコンクリート基礎の適当な所に腰掛けた。ガサガサとビニールの中に手を突っ込むと、先ほど購入したパンとお茶を取り出す。
「――もう、コロッケパン食べたかったな……アンパンもいいけどさ」
手にしたあんパンを前に絵美里が舌打ちする。別にあんパンがおいしくないわけではなく、購買全体のレベルは比較的高いのだがその中でも人気ナンバー1のコロッケパンは学生達の垂涎の的なのだ。ちなみにオレはこの学校に転入してから一度も食べた事がなく、そのうわさだけを知っている状態だ。

絵美里と2人、屋上にて購買のパンで昼食。ここにカメがいる風景がここ数週の日常なのだけど、今日は昼休みにも報道部の作業をするとか言っていて、今日は不在となっている。
「コロッケパンじゃなかったから、埋め合わせは不十分かな~?」
「なんだよ絵美里、パンでチャラじゃなかったのかよ」
購買のパンを奢る、それで昨日のサッカー部の件をチャラにしてもらうはずだったのだが……
「コロッケパンとその他のパンじゃ、価値がまるで違うでしょ? まだまだ不十分」
――元々絵美里はパン程度でチャラにする気はなかったんじゃないだろうか。
そんな風に思いながら、とりあえずため息交じりにオレは自分の昼食であるあんパンの袋を左右に引っ張る。絵美里は早々に袋をめくると不満ありげな表情のままパンを口に運ぶ。
「気にするんじゃないからね」
絵美里は目線を合わせる事なくオレに向けて言う。
「何をだよ?」
「カメの事。アイツは翼がエースやってたって事、全然知らないみたいだから」
なんだ、さっきの話か。
「別に、気にしてないよ」
「……そう、ならいいんだけど」
絵美里はふぅと息を吐いて、
「――でもさ、翼ももっとあれだよ、積極的にいかなきゃダメだよ」
急に話の展開を大きく変更するのでオレは言葉に詰まる。
「……っと、なんだよ急に?」
「なんだじゃない、翼はもっと積極的にクラスの人とか話してかなきゃダメじゃない? そりゃキッカケはあったり……なかったりだろうけどさ」
今朝の話の続きだろうか。多分絵美里の中では思考が繋がっているのだろうけど、オレの中で話が繋がるまでには若干の時間を有した。
「なんで絵美里がそんなにオレの交友関係を気にかけるんだよ?」
「なんでって、そりゃ……あれよ。クラスで翼に暗い顔されてるの、なんか気になるのよ」
「暗い顔? オレが?」
「してるじゃん。1か月前にクラス替えのタイミングに紛れて翼が転入してきた時さ、翼すっごい顔してたでしょ?」
「すっごい顔?」
「死んだ魚の様な目をしてた」
それは酷い言い草だな。絵美里は真顔でそういった後、クスッと崩れるように笑みをこぼした。
「ごめん、まぁそれは言い過ぎだけど、でも何も考えてないような翼の無表情、気になったんだよ。別に下向いてるわけでもないのに、ロボットみたいな感情ない顔しちゃってさ。何がそんなにつまんないんだか」
「オレ、そんな顔してたか?」
「してたよ。最近はそこまでの感じはしないけど、でもまだまだかな」
「まだまだ?」
「まだまだだよ、小さい頃の翼と比べたら全然足りてない。なんか変に淡々としちゃってて、やっぱり楽しそうゃないし」
中学まではじいちゃんが経営するマンションがあるこの湘南エリアで暮らしていた。その時によく遊んでいた近所の女の子が藤沼絵美里だった。オレは東京へ進学したので、まさかまた同じ学校に通う事になるなんて思ってもみなかった。女の子らしさよりも少年っぽい性格が前面にきているというのはその頃から変わっていないし、彼女がいてくれた事で助かっている事は結構ある。
――絵美里は青空を見上げるように大きく伸びをする。
「せっかく高校生なんだよ? もっと楽しまなきゃ、遊んだり、恋したりさ、色々あるじゃん、青春っぽいやつ」
「――青春らしい事?」
「そうだよ、私たちって今ちょうどそのど真ん中なわけでしょ。きっと来年になったら、3年生で、進学とか就職とか、考えなきゃいけない事も増えてきて、そしたら多分純粋に学生生活を楽しめるのって、2年の今だけなんじゃないかなって思うんだ」
絵美里は座ったままではあるが、身振り手振りを付けて熱弁を振るう。

――でも確かにそうかもしれない。

まだ将来とか進路とか、そういうのは遠くにあるというか、リアリティがなく輪郭がぼやけている。だが避けようのない分岐点が目の前に迫ってくれば、否が応でもその輪郭がはっきりと感じられるようになるのだろう。
「だからさ、私は今年だけは最高の学園生活を送るって決めてるの!」
絵美里はぐっと両手に力を込めてグーをつくると座ったままその両手を天高くつきあげる。
「そう決めてたのにさ、その初日から真っ暗な顔したヤツが教壇に立ってるんだもん。なんだアイツって」
絵美里はオレを睨みつけながらケッと毒づいてみせる。
「思った通り、翼ってば全然周りとも話をする気配ないし全然笑わないし。転校してきて色々と戸惑うのもわかるけど、もっと青春を謳歌しなきゃ!」
「……そんなの別に考えた事もないな、特別青春って意識した事もないしさ」
こちらの言葉が気にいらなかったのだろう、彼女はその手をオレの太ももに鋭く打ちおろす。バシンという音と共にその衝撃が鋭く刺さる。
「――ッて……! なにするんだよ絵美里」
「暗い、暗い、暗ーい! そんなんじゃダメダメ! もっと積極的に、ポジティブに行かなきゃ。別に翼は悪い奴じゃないってのは私分かるしさ、だからきっと大丈夫!」

そう言って右手の親指をぐっと立てる。
「……絵美里は、なんか青春を謳歌してるって感じだな」
「そりゃそうだよ、翼と違ってそうあろうと努力してるからね。黙っていい子してれば面白い事がやってくるなんて大間違い、翼も努力しなきゃ! それこそさ、恋をしたりすればいいんじゃない?」
「恋?」
「そうだよ、恋だよ恋! あ、川の鯉じゃないからね。ハハハハハ……」
うわぁ、それは……という顔をしたら、絵美里に額を小突かれる。
「変な顔しない! そこは笑っておく所でしょう? 手っ取り早く世界が変わる魔法だよ、恋は。そういう子、いないの?」
絵美里に言われて、一瞬考えるも、そもそも転校したばかりで知り合いなんて幼少期に面識のあった絵美里くらいしかいない。
「いや、転校生にそれは無理があるだろ。あいにく女の子の知り合いなんて、こっちじゃ絵美里くらいしかいないし……そういうのとは無縁じゃないかな」
「……乙羽は?」
「え?」
「乙羽とは、どうなの?」
急な問いかけにオレが絵美里の顔を見ると、こちらの表情を覗き込むようにしていた絵美里と視線がぶつかった。乙羽、という共通の知り合いは1人しかいない。さっき雑誌に載っていた日向乙羽、オレと絵美里の小学生時代のクラスメイトで、日本中がその名を知る天才少女だ。
「乙羽は違うだろ。あいつは、そうだな……幼馴染だったけど、もう雲の上の存在って感じじゃん?」
「でも翼、乙羽がDGT行くから、一緒にDGTに進学したんじゃなかった?」
「そうだけどさ、でももうアイツは住む世界が違うし。ってかそもそも最初からそういうんじゃないよ」
「……そっか」
そういうと一瞬の間が生まれ、絵美里が少し息を吐く。
だが再び顔を上げて、すぐに口角をあげニヤリとしたり顔。
「でもさ、恋なんて落ちるものだから、転校直後だからとか、時間なんて関係ないんじゃないかな」
「関係ない?」
「長い時間一緒にいた幼馴染が、必ずしも恋に繋がるわけじゃないし、なんならマンガとかじゃ幼馴染って恋の負けフラグじゃない?」
「そうなのか?」
「そうだよ。時間なんて関係なく、急に出会った2人が運命の人なんて物語、よくあるじゃん? 例えば……空から女の子が降ってくるとか」

それはそういう物語だから、と突っ込む間もなく絵美里はただただ楽しそうに弾む声で続ける。
「もうさ、手っ取り早くカメの提案にのってみたらいいんじゃない? とりあえず2組の鈴木に告ってみるとか」
そう言って再びオレの太ももをバシバシと叩いた。
「イタいって。というか、鈴木って言われても顔すらわかんないんだけど」
「見たらわかるよ、まぁ見た目は可愛いと思うけどね。一歩引いて主張は控えめおしとやかな女の子、って感じ? 男子に媚びてる感じがして私は好きじゃないかなぁ……別に知り合いってわけじゃないから本当のところはわかんないけど」
「ふーん」

――どうしても周囲の人たちと話が出来ないという事はなく、必要に応じてそれなりには話ができているつもりだ。だけどそれはなんだか壁を一枚挟んで話しているような、そんな余所余所しさを持っていて。この学園も2年生になる際に学年のクラス替えはあったらしいので、クラスのリセットはあったわけだが、それでもすでに出来上がってしまっているコミュニティに後から混じるのは簡単ではない。もう少し自分に絵美里のようなコミュニケーション力があればよかったのかもしれないけれど――

――と、不意にそこまで楽しげに話していた絵美里が一息入れるように、両手を組んで頭上で伸ばす。
「そういえばさ、ちょっと聞いてみたかったんだけど」
「ん? なに?」

絵美里は腕を下ろすと顔だけこちらへ向ける。
「もうエースとか、GPドライブ使った機械を作ったりはしないの?」
「えっ?」
何の心の準備もない所に予期せぬ言葉。
ドクン、と胸が大きく鼓動した。
「……ごめん、別に大した事じゃなくてさ。でも、翼帰って来てから、全然GPドライブの話とか、エースの話しないから……前はそんな話ばっかりだったじゃん?」
絵美里は特段変わらないトーンで話す。多分他意はないのだろうし、取り立ててオレのあれこれを詮索したいわけでもない、それは彼女の言葉のトーンと表情から感じられる。
だけど――
「……ごめん」
何を取り繕っても、どんな話を作り上げてもきっと絵美里には一瞬で見抜かる、そう思って出た言葉は、あまりにもシンプルな三文字。それを受けて絵美里はそれ以上は何も追求せず、話を変える。
「そっか、ごめんごめん気にしないで……あ、翼って今1人暮らしなんだよね?」
「うん、ってか親父は海外飛び回ってばかりだから、実質どこで暮らしても1人暮らしにならざるをえないんだよね」
東京住まいの父親は元々放任主義で現在は海外出張も多く、母親を早くに亡くしていたため、今回が初の完全なる1人暮らしだけど、これまでも元々1人暮らしみたいなものだった。
「でも1人暮らしって言っても、じいちゃん経営のアパートだから」
「いやいや1人暮らし出来てるって事には違いないでしょ? 私もできるならしたいかも……ってかうらやましいなぁ、家で親からあれこれ言われなくて済むもんね。さすがお金持ちは違うなぁ」
「別にオレ金持ちなわけじゃないからな。こっちに戻れたのも単にじっちゃんがアパートやってるからだし」
「いや、親戚が物件持ちって十分金持ちじゃん……それで、なんだかんだ1人暮らし出来ちゃうんでしょ? いいじゃん、環境も気分ガラッと変わるんだろうし」

絵美里は楽しげになったり訝しげに顔を傾げたり、コロコロとその表情を変える。
「翼が使っている他に部屋とか空いてないの? 私も1人暮らししたいなーとか!」
「隣にゲストルームならあるけどね」
「ホント? それって翼が使えるの?」
「使えるっていうか、知り合いを泊めたりできるように、鍵は預かってるから」
「へぇ、じゃあ私が使ってもいいんだ?」
「絵美里が使うなら、当然普通のワンルームと同額の家賃は貰うけどね」
「なによ、ケチ!」
そんな風に話していたら、あっという間に昼休憩も終わりに近づいてきた。
絵美里は大きく両腕を天に向けて伸ばしながら、
「まぁ、まさか翼と一緒にまた同じ学校で学生できるなんて思ってもいなかったしさ。とにかく楽しく過ごせたらいいよね!」
そう言って首回りのコリでもほぐすかのようにぐるりと頭を動かした。そんな絵美里の様子にオレはハハッ、と笑みがこぼれる。しかし同時に何かフィルターがかかったようにその声は乾いていた。


  * * * *


――その日もあっという間に放課後になる。

どんな授業があったのか、なにがあったのかあまり印象にない。何かを繋ぎとめるでもなく、なんとなく1日が終わっていく、そんな感覚。そうだな、記憶にあるのはお昼に絵美里と購買に走ったら、オレが遅れてどつかれたくらい。何もなければそのまま帰宅。絵美里は図書室へ向かうといい、カメは部活だと言って授業が終わると同時に教室を飛び出していった。

以上が今日のハイライトだ。
そんなワケで、オレは1人カバンへと荷物を投げ込むと、それを左手に下げて教室を出る。
「――神谷野君、帰り? お疲れ!」
開きっぱなしになっている扉を通過しようとしたところで、扉に最も近い壁際最後列に座っていた男子生徒が声をかけてきた。名前は――なんだっけ、その程度の認識。だけどさすがに無視するわけもなく、オレは通過しかけた体を一歩教室側へと戻して返事をする。
「……あぁ、また」
「おう!」
スポーツマンっぽい雰囲気の短髪の彼は軽く手をあげてオレを見送った。

彼の名前が、わからない。
――クラスメイト全員分の名前くらいは、ちゃんと覚えておかないといけない。

クラスの奴らが悪いんじゃなくて、多分オレが勝手にフィルターをかけているだけなんだ、それはなんとなく分かっていた。他の誰でもない自分自身が周囲と距離をとってしまっている、この1カ月そんな状態が続いている。立ち止まっているのは自分だ。決して周りじゃない。環境を変えた、これまでの自分をリセットして、絵美里が言うように面白オカシイ学生生活を歩く。そう思いながら、他でもない自分自身が立ち止まっていて、前にも後ろにも進めないまま。自分の時間は止まったまま、ただ世界は立ち止まる事を許さず、日常はオレを置き去りにどんどん先に進んでいく。

オレは今、どこにもいない。

どこにもいけないままだ。

chapter1-4 (終)

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