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chapter4-5: 前代未聞の練習試合


――嫌な予感はあった。

だけどなんとなく思い過ごしなような気がして、すぐにそれを口にしなかったのは、オレの落ち度だと思う。日々の練習にも気合が入り、部活の様子を気にしてくれる学内の生徒たちの姿も増えてきた。新聞部のおかげで練習試合の認知度はとても高く、もしかするとこれを機に部員が増えてくれれば、なんて期待もしていた。
そうしてやってきた練習試合前日、先日アキバまで見に行ったフレームが郵送されてきたのもあり、部室でオレと五十鈴の二人はそれぞれのフレームのパラメータの最終調整を行った。ファイがこれまでの部活のデータから数値計算をサポートをしてくれたので、それを元にデータを入力していく。あとはシミュレーションの結果を反映させるだけでほとんどの作業は完了した。
五十鈴が少しだけ満足げにこちらを見上げる。
「これでもう大丈夫ですよね?」
「セッティングは完璧。あとは姫野先輩と真心の体調次第かな」
その言葉の直後に、練習を終えた当人たちが部室へと帰ってきた。その言葉を聞いていたのか、真心がテーブルにつきながら声をかける。
「なんだよ。ウチらが信用できんって? 大丈夫よね、先輩?」
「もちろん。ちゃんと練習してきたしね。きっといい試合にするよ」
2人の言葉に、オレと五十鈴も自然と笑顔になる。オレはそんな様子を見ながら、部屋の端にある冷蔵庫からお茶入りのペットボトルを取り出した。そうしてキャップに手をかけた時、再び部室のドアがガラリと開く。
オレは入ってくる人影に反射的に「お疲れ」と声をかけた。扉の向こうには絵美里がいた。続くように真心と姫野先輩も「お疲れ様」と声をかける。そこからワンテンポ遅れるように、五十鈴が声をかけようとして、だが言葉はでなかった。絵美里の様子がおかしい事に気が付いたからだ。血の通っていないかのような真っ白な顔は常に足元の方へと向いていて、その表情は前髪に隠れてうかがい知れない。うなだれるように力なくだらんと垂れた左手には携帯端末が握られている。部室の扉の前でそこから一歩も動かない絵美里に声をかける。
「どうした、絵美里? 何かあったのか?」
彼女の肩がビクっと震えて跳ねる。続いて少しずつ全身が小刻みに震えていくのが見てとれた。他のメンバーも心配そうにその様子を見つめている。
「なぁ、どうしたんだよ。とりあえず部屋に入って……」
「……ごめん」
ようやく発した言葉がオレの声を遮る。
「え?」
「ごめん、なさい……」
「いや、どういう……」
「うっ……うわああああああああああああああ」
カタンッ、と左手から携帯端末が滑り落ちると、その両手で眼鏡の下の瞳を抑え込む。しかしその両端からとめどなく零れ落ちる涙を押しとどめることはできなかった。一番に駆け寄ったのは姫野先輩だった。絵美里の両肩を抱くように包み込むと、「大丈夫だよ」と声をかけながら背中をさする。真心と五十鈴はあっけにとられたままただ気が動転しているようだった。オレもだ。どうしていいかわからず立ち尽くしている。絵美里の気持ちが落ち着くまでしばらくの間、彼女の悲痛な声だけが響き渡った。

* * * *


どれだけの時間が流れたのか、後から振り返ってみれば大した長さではなかったはずなのだが、しかしその時間はどこまでも重く長く感じられた。泣き腫らして赤くなった絵美里の瞳が眼鏡の奥からのぞく。オレと部活のメンバーは彼女の口が開かれるのを待った。
その一言めは謝罪からだった。
「……ごめんね、取り乱しちゃって」
誰もが「そんな事ない」と言うと、絵美里は再び「ごめん」と謝罪の言葉を口にした。少しだけ落ち着いた様子の絵美里は一つ息を吐くと深く深くこうべを垂れた。
「ごめんなさい! 明日の練習試合、ダメになってしまいました」
絵美里の声が震えていた。触ったら即座に破裂してしまう風船のように、今の彼女を刺激するとすぐに再び涙がこぼれだすに違いなかった。それでも理由を聞かないわけにはいかない。動揺を隠しながら、なんとか言葉を探していると、姫野先輩が最初に口にした。
「どうして?」
どこまでも優しい口調で。決して責め立てるようなそれではなく。姫野先輩は淡々とそう口にした。絵美里はぎゅっと唇をかむように真一文字に結ぶが、すぐに力を緩めるようにして話し始める。
「わからない。急に前日になって向こうからキャンセルの申し出があって……」
「理由は言われなかったの?」
「すみませんの一点張りで……理由は全然わからないです」
声は震えたまま、だが絵美里はしっかりとした姿勢で答える。
前日になって急にキャンセルとは……なんでだろう、なにかトラブルでも?
色々な思いを巡らせていると、姫野先輩と真心は明日の対応を話し始める。
「真心、明日の練習試合だけど代替で私たちの練習マッチって形でできるかな?」
「それは構わんけど、告知が結構出ちゃってるやないですか? あれどうします?」
「そうだね……今からでもカメくんに連絡して……」
明日のグラウンドでの展開内容を変更するのは仕方ないにしても、こうなってくるとカメのおかげで上がった学内での注目度が裏目に出てしまう。多くの学生たちの視線が集まる中で、練習試合が出来なかったとなるのは正直痛い。それに……
「生徒会長がそれで許してくれるんでしょうか?」
オレが不安に思った事をそのまま五十鈴が代弁してくれた。そうだ、こんな時期に練習試合をしなければならなかったのはそもそも生徒会がそれをしなければ部活として認めないと言ったからだ。
「許すも何も、向こうの都合でキャンセルになったんだから私たちのせいじゃない……よね」
絵美里が語気を強めながら言う。みんなそれに同意するように頷いたが、しかしそうだろうか。約束は練習試合をする事、それが達成されなければどんな理由であろうと、生徒会的にはエアリアルソニック部をつぶす口実につなげるんじゃないだろうか。

――そうか。この展開を望んでいるのは生徒会、ピンポイントでは生徒会長だ。

そうであれば、この状況を仕組んだのも……!
オレは駆け出すようにして部室を飛び出した。後ろからオレの名前を呼ぶ声が聞こえてきたが、振り返ることなく一直線に、生徒会室の方へと歩を進める。生徒会室がある本館三階へ、踊り場を挟んで折り返していく階段を駆け上がった先、三階へとたどり着いたところで、一人の人影が見えてオレは足を止めた。前にゲームセンターで出会った三年生の加瀬だ。
「やぁ、天才。そんなに急いでどうしたんだい?」
その口元にはニヤリと気持ちも悪い笑顔が張り付いている。加瀬先輩、そうだ。この前東聖の校舎から出てきたのは彼だ。無意識に握りしめた右手に力が入る。
「……生徒会長に会いに」
「会長なら今日はもう帰ったよ。今生徒会室には誰もいないぜ」
「……そう、ですか」
少しだけ息を吐いて、くるりとUターンしようとすると、背後から加瀬は話しかける。
「それで。明日の練習試合、どうするんだい?」
「っ!? ……やっぱりお前……!」
そのことを知っている、つまりこいつが絵美里を……頭に向けて身体中の血が駆け上がっていくのがわかった時には、オレはその男の眼前に迫っていた。
「おっと!なんだい?」
「……何かしたんですか?」
冷静さをギリギリのところで保ちながら、言葉遣いを整えてそう問いかける。
「ふふふ、何を言ってるのかわからないなぁ?」
加瀬はこちらの感情を逆なでするように、へらへらとした表情でこちらへと意識を向ける。血が頭に向かって駆け上がっていくのを確かに感じた。
「何をしたんだって聞いてんだ! 答えろよっ!」
「おっと!」
掴みかかったオレの手をヒラリとかわすと「一応先輩だぜ?」と胸元辺りの服のしわを整えるように両手で襟元を引っ張る。
「一応警告はしたよな。生徒会長に迷惑かけるなって」
「迷惑って、何が……」
「姫野とエアリアルソニックをやる事だよ。バカじゃあるまいし、わかってるんだろ?」
オレの言葉に被せるように、加瀬が言う。その言葉遣いには今までと違い感情がのっているような、そういう雰囲気があって一瞬気圧される。
「それにオレが裏で何をしようが、関係なくキミたちは明日練習試合をしなければならないって話だろ? オレに殴りかかったところで、今の状況が変わるわけじゃない」
「……」
それはそうだ。最初から生徒会の妨害や嫌がらせが来る可能性は分かっていた。想定していたのは子本だったけど……この男が何かしていることも、この前東聖の校舎にいた時点で何か感づくべきだったのに、その可能性を無視したのはオレだ。そのせいで絵美里があんなに辛い気持ちにさせてしまった。
「亀山ってやつを使って大々的に校内新聞に明日の事を記載したんだろ? 学内に多くの味方を作るいいチャンスだったんだろうけど、放課後多くの生徒がグラウンドに集まってくる、そこで何もできなかったら、キミたちへの周囲の期待も一気に冷めるだろうな。その後なら生徒会が活動を潰すのもたやすい。全国大会を控えたこのタイミングで、今から代わりの対戦相手を見つけるなんて事もできないさ。つまり、キミたちはこれで終わりだよ」
――終わり。そうだ、エアリアルソニック部という形だけがギリギリ存在する同好会なんて、一度でも失敗してしまえばそこで終わりだ。
オレは一度だけ生徒会の扉の方へと視線を向けると、そのままUターンして階段を降りる。
「おや、もう帰るのかい?」
後ろから声がするのを無視して、オレは階段を降りる。クククという薄ら笑いが耳にまとわりついて気持ちが悪い。悔しいが加瀬の言う通りだ。今からどうしたって明日の放課後に練習試合を実現させるのは不可能に違いない。やはり、姫野先輩と真心のワンオンワンでの練習マッチか。しかしそれは前回と同じ内容だし、普段のグラウンド練習でもやっている事だ。学校の生徒たちの落胆は大きいに違いない。

だけど他に……

「ファイ、何かいい方法はないか?」
オレは端末に話しかける。即座に画面が光り、ファイがモニター上に現れた。
「練習試合ヲ受ケテクレル学校ハ現状見当タリマセン」
「だよな。とりあえず、この学校の通信履歴にアタックしてみてくれ。東聖との通信履歴があれば」
「了解シマシタ」
ファイがモニター上から消えると、端末の画面は黒に戻る。そこに反射してオレの情けない表情が映って、苦笑いした。同時に、オレは泣き崩れていた絵美里の顔を思い出していた。彼女が頑張ってブッキングしてくれた練習試合だった。どんな理由があったにせよ、東聖の事を許せる気はしないし、それ以上に何かをしたであろう加瀬や生徒会を許せない。絵美里を泣かせて、このままなんて絶対にダメだ。何が何でも、明日を乗り越えないと。考えろ、何かこの状況を打破する策は……何か……

……何か……?

――あぁ、そうだ。無茶苦茶だと思う案が、オレの中に1つだけある。

可能性はわずか、実際にはないかもしれない。だけど何もしないまま終われない。オレは再び端末の画面をオンにした。


 * * * *


太陽を覆い隠す厚い雲がところどころ見えるものの、晴れだと言っていい天気だった。夏本番を控えた午後のグラウンドはただ立っているだけでじんわりと額に汗が滲む。いや、それは暑さだけが理由じゃないかもしれないが。真新しい外装デザインのエアロフレームをグラウンドそばまで収納カプセルごと運び出している。その近くで五十鈴はそれらの最終的な確認を行っていた。グラウンド周りには校内新聞をみて集まったのだろう生徒の姿も見てとれる。校舎を見上げると、2階・3階の窓からこちらを見ている生徒の姿もあった。その視線の先で、オレと姫野先輩、そして真心は木陰を見つけてそこへ逃げ込んでいた。オレ達からほんの少しだけ離れて、絵美里は不安そうな顔でこちらを見ている。その口は真一文字に結ばれていた。

――大丈夫。

そういう思いを込めて、オレは絵美里に笑いかけると、彼女の表情がほんの少しだけ緩んだように見えた。だが、彼女はオレの背後に視線を向けるとすぐにその表情を強張らせた。その変化にオレは振り返る。こちらへと向かってくる生徒会長と子本の姿がそこにはあった。
「――お疲れ様、神谷野君。調子はどうだい? 本当に今日、ここで練習試合が出来るのかなぁ?」
子本が先に声をかけてきた。とりあえず、こいつは無視でいい。
「おい、黙ってないで何とか言えよ」
虎の威を借る狐がキャンキャン吠えるのを無視して、オレは無表情の生徒会長へとその視線を向ける。彼女はこちらからの視線を外すことなく、しかし言葉を発する事もしない。そんな会長に最初に声を姫野先輩だった。
「千歳……」
生徒会長の下の名前を口にしただけ。それだけなのに、色んな感情が紛れ込んだ不思議な一言。その声を聴いた生徒会長は少しだけ息を吸い、そして口を開く。
「……もうすぐ時間だけど、練習試合の準備はいいのかしら?」
淡々とした口調からは、嫌味とかそういった意味合いを含んでいるようには感じられない。ただ事務的に、こちらに何かを確認するように、彼女はそう言葉にした。
「概ねは」
「へぇ……肝心な対戦相手の姿が、見えないようだけど」
「……状況を全部わかっていて、よくそんな事をオレ達に言いに来ますね」
オレは少しだけいらだって、そう返してしまった。
「わかってる? 何を?」
「全部わかってる上で、仕組んだ上でそう言いに来たんでしょう? 生徒会の通信履歴に、東聖とのやりとりがあった事は確認してる」
「通信履歴……あなた勝手にそんな情報を見たの? ハッキングしたのね……?」
「さぁ、どうかな」
ログなんてものは残していない。生徒会が東聖のエアリアルソニックのメンバーと何を話したのかを証明する事が出来ないように、こちらも通信履歴を見た事を証明できないようにした。
――お互い様だ。
だけど、何かしら心当たりがあるらしい事は生徒会長の怪訝な表情を見れば一目瞭然だった。彼女はどうやらウソをつくのが苦手らしい。明らかに顔が強張っている。
「……まぁいいわ。それより今日、ここで練習試合をやるというのが私とあなたたちの約束だったわよね。見学の生徒たちも沢山集まっているわ。それがもし不可能というのなら、部活の設立に関しては一考せざるを得ないわ」
そういうことを言ってくるだろうとは思っていた。生徒会長の言葉に黙っていた真心や五十鈴の顔が強張る。
聞いていた姫野先輩が「千歳、どうしてそんな……」と声を出すが会長はあえてなのか、姫野先輩の方へ顔を向けようとしない。オレは絵美里の方を見る。彼女は悲しそうな困ったような表情をしていた。
オレはひと呼吸だけおいて、「会長」と声をかける。
「何?」
「どうしてここまでオレ達に嫌がらせをするんですか?」
「嫌がらせなんかじゃないわ。ただ私は……」
「それ、本気で言ってるんですか? どう考えても姫野先輩に対する嫌がらせじゃないですか?」
「……それは……」
オレの言葉に会長が詰まる。だが、すぐに立て直していつものトーンで話を続けた。
「どちらにしても、もう時間よ。グラウンドに生徒が集まりすぎてる。今日の練習試合は中止とアナウンスしてもいいのかしら?」
絵美里が慌てて「ちょっと、待ってください!」と駆け寄ってくる。
「何を待つの? 練習試合を待っている生徒たちに早く言うべきじゃないかしら。練習試合はできませんでしたって」
「だから……」
「それとも何? 輝夜と2年生の組み手でお茶を濁す気? そんなので納得するわけないでしょ?」
絵美里は会長の勢いに気圧されて、再び泣き崩れそうな、そんな表情になる。

「――だから、オレ達は練習試合の相手を待ってるんです」

「は?」
オレが絵美里の代わりに言葉を発した直後、会長の表情が変わった。まさか、ありえない。そんなところだろう。
「冗談? ハッタリ? 無理に決まってるでしょ。全国大会も直前のこんな時期に、まして機材を運び込まなければならないエースの部活が、いきなり練習試合を申し込んで前日OKなんてありえるはずが……」
会長がまくしたてる最中、急に空が暗くなった。太陽が雲の影に入ったのか。いや、違う。周囲のざわめきがそうじゃないと教えてくれていた。オレは木陰から出てゆっくりと空へと視線をやる。会長も続けて同じように空を見上げる。そこには雲ではない、人工物の影が見えた。
「――エアロバス?」
確信はないといった様子で会長がその名を口にする。仕組みはエースと同じ、反重力ドライブを用いた空を走る乗り物。所有や運航に自治体の許可がいるが、企業や旅行会社などが持っているので目にする機会は十分ある。だがこの学園の上空に停滞するエアロバス、というのはとても珍しいだろう。大型のエアロバス、その陰に隠れて太陽は見えなくなっていた。降りてくる気なのか、底の部分につけられた赤いランプが点滅を繰り返す。元々練習試合用にグラウンドをあけていたため、生徒の姿はないが、グラウンド近くにいた生徒たちは後ずさりをするように校舎の影へと避難していく。

――と、上空から、影が一つ。エアロバスから離れたと思うと徐々にその姿を大きくしていく。何かが飛び降りたのだと気が付いたのは、それが地面へとかなり迫ったタイミングだった。地面を直前に徐々に深紅に輝く排残光を周囲に巻き散らす。エアロバスの作る影に覆われたグラウンドの中で、その輝きが一段と強くなり、そうして桜山学園の地面へとふわりと降り立ったエアロフレームを中心に砂ぼこりが周囲へと拡がる。

――遅れて、それを見ていた生徒たちざわめきがうねりのように拡がり始める。

「……うそ……」

生徒会長は口元を両手で隠しながら、目を大きく見開いた。
その眼前のエアロフレームは、誰もが目にしたことがあると言っていいものだった。鮮やかな赤と光をほとんど弾かない深い黒を基調とし、中世の騎士を模したような剛を感じさせる重厚なフレーム。バスターソードタイプと呼ばれる大剣が背中で揺れる。指先などの末端はすべてが牙のように鋭く尖っており、その異常なまでのトゲトゲしさは他のフレームデザインではあまり見られないものだ。それは前回ヴィーナスエースの女王、DGT学園のエースオブエースが操るクリムゾンエッジに間違いなく、それは今オレ達の目の前に立っている。
どんなにエアリアルソニックに疎くても、雑誌や交通広告、ニュースで目にするこのシルエットを知らない人はほとんどいないだろう。目の前に【最強】がいる――そんなにわかには信じがたい光景が、桜山学園の生徒たちの目の前に確かにあった。
そこにいるだけで圧倒的なまでのオーラを放つクリムゾンエッジは悠然と地面に降り立つと、直後オレの方へとスキップをするように駆け寄ってきた。それはどこまでも刺々しく鋭さを持ったシルエットからは想像できないコミカルな動きだった。ざわめく周囲、だがオレはかつて何度もみたその光景をよく知っている。クリムゾンエッジはオレの目の前に到着すると、カシュっという空気が抜けるような音をさせる。するとヘッドパーツを固定していたジョイントが解除された。彼女は両手でヘッドパーツを取り外す。ヘルメットの下から笑顔がこぼれた。
「……ごめん、到着ちょっと遅れちゃったね」
周囲の喧噪など気にもしないといった様子で、乙羽はニッと笑顔を見せる。
「大丈夫、時間通りだよ。ありがとな、こんな時期に……」
「いえいえ、とんでもないです。練習試合にお誘いいただきましてありがとうございます」
へへへっと照れくさそうに笑ってみせながら、乙羽は軽くお辞儀をする。続けて、絵美里の姿を見つけると頬を紅潮させて飛び上がった。
「絵美里っ! わー、久しぶりー! 元気にしてた?」
駆け寄ってくる乙羽に絵美里は圧倒されながら、どうしていいのかわからないのか困ったような顔をした。

――目の前に全国の覇者がいる。スーパースターがいる。その事に気が付いた生徒たちから甲高い完成や悲鳴にも似た声が上がり始める。その声が呼び水となって、校舎から顔を出す生徒や、グラウンド周りに駆け寄ってくる生徒たちが増えていく。

「……嘘よ。なんでDGTが……全国大会の直前じゃない?」
未だに目の前の光景が理解できないらしい生徒会長が混乱のまま感情を言葉にする。疑問はオレに向けられた。

「あなたが呼んだの? 女王(ヴィーナス)を?」
「あぁ」
「……一体どんな取引でよ? 確かに元生徒だしつながりはあるんだろうけど、全国大会を控えたこんな時期に、女王(ヴィーナス)が……こんな何の実績もない桜山学園に来るなんて、普通に考えてありえないでしょ?」
そんな生徒会長の声に同調するように「まったくだな」という男性の声がして、オレと生徒会長は声がしたグラウンドの方へと顔を向ける。先ほどまで上空にいたエアロバスが気が付けばグラウンドの地面に肉薄するところまで降下しており、そこにはDGTの制服を着た男子学生と女生徒の1人ずつの姿があった。
「久しぶりだな、神谷野」
「……大丸、空耶」
久しぶりにその名前を口にした。大丸は右手でネクタイを緩めながらこちらへとやってきた。その後ろをついてきた女子生徒もこちらへと近づくと、生徒会長に向かって頭を下げる。右サイドに大きく流したロングヘアに落ち着いた切れ長の目、どこか同世代とは思えない大人っぽさがある。
「お世話になります、DGT学園、ASR部の部長、高宮凛です」
「え、あ……はい。桜山学園の生徒会長、佐倉千歳です……」
生徒会長は戸惑いながらもその女子生徒に挨拶を返す。彼女は3年生の高宮先輩、現DGT学園ASR部の部長だ。波打つように次々にやってくる想定外に、冷静沈着な生徒会長も完全にいつものペースを見失っている。そんな生徒会長のそばで深いため息をついたのは大丸だった。
「……ったく、こんな忙しい時期に、まさかこんな所に来る羽目になるとはな。思ってもみなかったよ」
お前のせいだ、といわんばかり大丸は鋭い視線をオレに向ける。その言葉に、生徒会長は深々と頭を下げた。
「すみません、一体何を言われたのか分かりませんが、全国大会の直前にこんな同好会にも満たない我が学園のチームと練習試合なんて……もし彼女たちが迷惑をおかけしたのであれば、すぐに取りやめて帰っていただいても構いません」
そういう生徒会長の言葉に、大丸は少し驚いたように目を大きく開くと、クスクスと苦笑いを浮かべて
「そうできるなら、そうしたいんですけどね……」
そう言って、高宮先輩に視線で同意を求めた。高宮先輩もフフッと笑みを浮かべる。そんな二人の様子に意味が分からないと言った様子で、生徒会長は続ける。
「……何か、試合をしなきゃいけない理由があるんですか? 一体どんな取引を、神谷野は……」

「――何を、変なこと言ってるの?」

生徒会長の言葉を遮るように、絵美里を抱きしめたまま乙羽がこちらへと声を向ける。
「私はね、絵美里が困ってるって聞いたから、ここに来たのよ」
風が吹いた。まっすぐ突き刺さる言葉の力に、生徒会長の表情が固まる。
「……それだけ?」
「それだけ」
生徒会長は口を半開きにした表情で固まっていた。そのあっけにとられた顔をぜひカメに写真に収めて記事にしてほしいと思う。
「うそでしょ……? そんなことのために大事なこの時期に、わざわざこんな弱小チームの所に来たっていうの?」
狼狽する生徒会長に、乙羽は毅然とした態度で
「友達のため。それ以上に大事な理由なんて何かあるの?」
そう答えた。他意のない、一切の疑いを持っていない無垢な表情で、乙羽はそう答えた。そういう純粋無垢なところが乙羽の強さだとオレは知ってる。その言葉を傍で聞いていた絵美里はあふれだしそうな感情をなんとか抑えながら「ありがとう」を絞り出すように伝えた。

「――本当はこんな大事な時に練習試合なんてしたくないんだけど、まぁうちのお姫様は言い出したら聞かないからな。機嫌を損ねたらそれこそ全国大会に支障がでるし」
大丸はやれやれと頭を左右に振りながらそんな事を口にした。そんな大丸の前に、高宮先輩が出る。
「やぁ神谷野、久しぶりだな。元気にしてたか?」
「はい……まぁなんとか」
「今日の練習試合、お前たちのチームが、まだライダーが2人しかいないと聞いたので、他のメンバーは残して、ライダーは私と日向の2人で来た。オペレーターは大丸1人。こちらも色々全国大会前で準備する事があって、最少人数ですまない。タッグマッチでの試合でと思っているが、それで問題ないかな?」
「もちろん大丈夫です。すみません先輩。こんな形で無理やり……」
オレは高宮先輩に謝る言葉を探していた。向こうにとってこれは明らかにコネで乙羽を動かしたことで生じたトラブルだろう。乙羽の正義感を利用して動かし、大丸と高宮先輩はこのトラブルに巻き込まれた。正直腹の中でどんな風に思っているのか、怖くもある。そんなこちらの気持ちを察してくれたのかそうではないのか、高宮先輩は包み込むような口調で話す。
「……続けてたのね、エアリアルソニックを」
「はい」
そう答えると高宮先輩はそれまでの堅い表情を少しだけ緩めてくれた。
「そっか……うん、よかったよ。それは嬉しいニュースだった」
しかし、すぐに硬い表情を取り戻すと、
「じゃあ準備を。うちの姫ははしゃいでもうエアロフレーム着ちゃってるけど、私はまだ全然準備してないから……あ、試合は練習でも手は抜かないので、キミの所のライダーを瞬殺してしまったらごめんね」
「残念ながら部長、そんな簡単じゃないと思いますよ、うちの2人は」
「フフフ。そう、それは楽しみね。全国前のいい練習になるように、期待してるわ」
そういって、再びエアロバスの方へと歩いて戻る。

――大丸もその後を追って戻っていった。

chapter4-5(終)

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