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【それぞれの道】ジュビロ磐田 大津祐樹 現役引退

「嘘だろ・・・・。」

会社での休憩時間。

スマホに目を落とした私は、目に飛び込んできた記事をにわかに信じることができませんでした。

2023年12月25日。

ジュビロ磐田の大津祐樹が2023年限りで現役を引退することが発表されました。

1年でのJ1復帰を成し遂げたジュビロ磐田。

来年、古巣の横浜F・マリノスとの対戦で、大津祐樹が再び日産スタジアムに立つ姿を観られると思っていたのに。

残念でなりません。




私がこのnoteを始めた2022年6月。
大森晃太郎、大津祐樹、山本義道を特に応援していることを書きました。

当時、大津祐樹について書いたnote記事がこちらです。

2020年。

ジュビロ磐田は、J2リーグ6位でフィニッシュ。
1年でのJ1復帰に失敗しただけでなく、史上最低の成績でシーズンを終えました。

J2で勝ち上がることがこんなに厳しいとは思いませんでした。

一年通してJ1昇格争いすることなくシーズンを終えたことに、私は自信を失いかけたことを覚えています。


翌2021年。

再びJ1復帰に「挑戦」するジュビロ。

前年6位という厳しい状況から「挑戦」するジュビロに共感し、横浜F・マリノスからカテゴリを落として来てくれた選手。

それが大津祐樹でした。

当時マリノスからは契約延長の話もあったにもかかわらず、ジュビロの挑戦に力を尽くしてくれる。そんな心意気をもった大津祐樹という選手には感謝しかありませんでした。

私は、J1昇格を成し遂げ、翌シーズンのマリノス戦で

「大津祐樹を再び日産スタジアムに立たせたい。」

そんな夢を描きながら、2021年のジュビロを応援しました。

大津祐樹は、ベンチに下がっても監督よりも前に出て、ピッチ上の選手達を鼓舞する姿を見せ続けました。

一方で、オフザピッチではSNSでサポーターに向けて積極的に発信。

大津祐樹は、チームメイトだけでなく、サポーターも巻き込んで一丸となる雰囲気を作り上げてくれました。

2021年ジュビロがJ2優勝というタイトルをとることができたのは、大津祐樹の存在が大きかったと思います。



翌2022年10月12日。

夢だった日産スタジアムでの横浜F・マリノス戦。

この日は水曜日。

私は仕事を終えるとすぐに会社を飛び出し、新横浜までのキップを買って電車に飛び乗りました。

次の日も仕事なので、試合終了後すぐに新幹線に乗って帰らねばなりませんが、

「この機会を逃したら、きっと後悔する。」

新幹線の中でサックスブルーのユニフォームに着替え、日産スタジアムに乗り込みました。

当時のことは下記のnote記事にまとめています。

当時優勝目前だった横浜F・マリノス。マリノスサポーターの応援に圧倒されそうになりました。

試合は終始マリノスが支配するも古川陽介の値千金のゴールで1-0でジュビロが勝利。

大津祐樹の凱旋とアウェイでのジュビロの勝利。

そして素晴らしい環境の日産スタジアム。

幸せな気分で帰りの新幹線に乗り込んだことは今でも忘れられません。

「やっぱり遠征して良かった。」

しかし、大津祐樹にとって、この試合が最初で最後の日産スタジアム凱旋になるとは、この時夢にも思いませんでした。




2021年はシーズン通して活躍した大津祐樹でしたが、2022年は突発性難聴を患い、2023年はアウェイ金沢戦で負傷し、右大腿直筋腱断裂という大けがで長期離脱することになりました。

今年2023年は、最後の最後までもつれたJ1昇格争い。

しかし、今季大活躍だったジャーメイン良が、シーズン最終盤の10月28日ホーム東京V戦で負傷するという痛いアクシデント。

「大津祐樹戻って来い!」

そんな思いを抱きながら、東京V戦の翌日10月29日にヤマハスタジアムで行われた藤枝MYFCとの練習試合を観戦しました。

そこには、ワントップで果敢にゴールを狙う大津祐樹の姿がありました。

「もしかしたら、ホーム水戸戦、アウェイ栃木戦に大津祐樹がベンチ入りするのでは?」

そんな期待を抱かせました。

しかし、残念ながら公式戦のピッチに立つことはありませんでした。

負傷したアウェイ金沢戦が、結果的に現役最後の公式試合になってしまいました。




2023年12月25日。

大津祐樹の引退記者会見。

やはり、アウェイ金沢戦での負傷が引退の原因でした。

痛恨でしたね。
あれが無ければと思うと本当に悔しい。

・・・

記者会見で印象に残った部分が二つあります。

一つ目。

クラブや自分の状況を考えたときに、チームのためにならないんだったら、新しいことに挑戦しようという考えになりました。引退後に何をしようかという不安はなく、ビジネスで戦っていける自信があったので、そのために辞めるというよりは、チームにとって僕自身サッカー選手として、一人の人間として、クラブにとって100%の価値があるのかというところを考えての判断でした。

プロサッカー選手を続けながらFootball Assistという株式会社を立ち上げ、学生スポーツ支援、卒業後のキャリア支援などを行っています。

サッカー選手に限らず、プロスポーツ選手は引退後の第二の人生が非常に難しいと聞きます。

しかし、現役生活の内に次のキャリアへ進む道をしっかり準備していた大津祐樹。

負傷をきっかけに引退することになったため、今季の引退は想定していなかったはずです。それでも「ビジネスで戦っていける自信があった」と言い切っています。

私も社会人の端くれですが、次のステージに自信がある、なんてなかなか言えるものではありません。

サッカー選手として100%で戦えないのなら、ビジネスで100%戦える方に道を切り替える。ひとえに、しっかり次のステージを見据えて戦ってきた大津祐樹だからこそ言えるコメントに思いました。


そして二つ目。

――具体的にはいつ頃、引退を決意されたのですか?
自分のコンディションを見ながら判断して、シーズン終盤の頃にクラブに伝えました。僕もジュビロの中では給料が低くはないので、僕に使うよりも若い選手に使ってほしい、チームのために使ってほしいとクラブに伝えました。

こんなこと言える選手いただろうか?

大津祐樹のXでは、まだ契約が残っていたことを明かしています。

万全で戦えないのなら、給料の高い自分は身を引く。
そのお金は将来のある若手に使って欲しい。

日々の仕事や生活で精一杯の私。
こんなセリフ言えないです。

大津祐樹は記者会見でも語っていましたが「チームのために」という言葉をよく使っていたと思います。

古巣マリノス在籍時は、
「すべてはマリノスのために」

2021年ジュビロ移籍時は、
「すべてはジュビロのために」

そんな大津祐樹のモットーは引退の瞬間までぶれることはありませんでした。

その記者会見に居合わせる立場の人間ではありませんが、大きな拍手を贈りたいと思います。




2023年12月25日。

クリスマス。

大津祐樹の引退の一報を観た瞬間は
「なんというクリスマスプレゼントだ。」
という暗澹とした思いになり、気持ちの整理がつかなかったです。

しかし、改めて大津祐樹の記者会見のテキストを読み、このnoteを綴るうちに気持ちが変わっていくのが判りました。

大津祐樹という選手と共に戦った思い出が蘇り、最後まで「チームのために」あり続けたことを見せてくれました。

そんな生き様を見せてくれた事は、私にとって最高のクリスマスプレゼントだったのかもしれません。


一緒にサックスブルーのユニフォームを着て戦えた3年間は最高に楽しかったです。

そして結果的に、ではありますが、現役最後のクラブにジュビロ磐田を選んでくれた事に感謝します。


ありがとう、大津祐樹。


最後までお読みいただきありがとうございました。
ジュビロ磐田と大津祐樹のファンサポーターに歓喜が訪れることを願って。


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