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昔、少女漫画で感じた「報われなさ」と「希望」について|思い出図書 vol.10

最近、TVCMで「セーラームーン」を見かけるようになった。
「セーラームーン」はわたしが小学生の頃に「なかよし」で連載をしていて、TVアニメも放映しており当時人気の少女漫画だった。

その頃我が家にあった(少なくともわたしが存在を認識していた)漫画は、劇画で濃ゆいタッチの「三国志」「水滸伝」と、塩タッチの「マンガ日本の歴史(縄文から現代までの19巻)」のみだった。おそらく父の趣味だと思う。
そこに母が買ってくれた「美少女戦士セーラームーン」が加わったのだと思うと、随分カオスな本棚だったなと思う。

わたしは最初こそ「セーラームーン」のストーリーに興味を示したが、その後すぐに「設定」や「モチーフ」の方に関心が移り、単行本よりも「なかよし」の応募者全員サービスでもらえるセーラームーングッズの方をほしがった。この鍵のペンダント、持ってた持ってた。。。


セーラー戦士たちの惑星ネーミングや「時空の鍵」というアイテムが小学生ながらに刺さったのだが、ストーリーはあまり熱心に追うことができなかった。
というのも、わたしとしては、
IQ300でも医者を目指してなお勉強を頑張る水野亜美ちゃんや、
料理上手で優しくおおらかなのに男性に対してシャイなところが裏目に出がちな木野まことちゃんがもっと報われてほしいとか、
火野レイちゃんがかっこいいからもっとスポットライト当ててほしいとか、
愛野美奈子ちゃんはセーラー戦士的に先輩なんだからもっと活躍しても良いのではとか、
とにかく、主人公以外のセーラー戦士も「もっと」報われてほしい、と願い続けていた。

しかし、わたしがストーリーを追っている間に、満足のいく展開はやってこなかった。
ウラヌス、ネプチューン、プルート、サターンも同様だ。みんな、どこか「報われない」匂いがつきまとう。頑張ってる人が頑張った分だけ報われてほしいと思っているのに、わたしが「なかよし」や単行本を読んでいる間に、わかりやすい幸せはやってこなかった。
「うさぎはまもちゃんとラブラブしてるのに、なんでみんなは恋や夢が叶ったりしないんだ」と思うと悲しかったので、「セーラームーンは『なかよし』で読んでるので十分だから、漫画(単行本)は買わなくて大丈夫」と、母に打ち切り宣言をした。


同時期、CLAMPの「魔法騎士レイアース」も「なかよし」で連載していて、こちらもTVアニメになっていた。
「セーラームーン」きっかけで「なかよし」を買ってもらえるようになったわたしは、こちらにどっぷりハマった。

作画の流麗さが魅力だったのはもちろんのこと、主人公の少女3人が初対面のぎこちない状態から徐々に寄り添いあっていくさまや、自身の特技を活かして戦ったり、短所やコンプレックスと向き合いながら異世界で成長し旅を続ける姿に、ものすごく自然に感情移入した。
そして何より、ストーリーから目を離せなかった。
話が進めば進むほど、登場人物たちそれぞれの願いや思惑が明らかになればなるほど「一体この物語はどう収束するというのか」と、先の展開が気になって仕方なかったのだ。


物語の結論を言ってしまえば、誰もが報われなかった。
世界は平和と安寧をもたらす存在を失い、守りたいと想いあったふたりは死に、そのふたりを救いたいと願っていた人々は救われたかどうかも分からず、主人公の少女たちは「自分たちの旅は、戦いは、なんだったのか」と傷ついたまま元いた世界に還されてしまう。

答えが提示されるものと思っていたわたしは、その結末に文字通り息を呑んだ。しかし同時に「これが“ほんとう”だ」とも思った。

敵と戦って終わりではないこと。
敵を「倒す」ことは「殺す」ことであること。
「敵」にだって想う人がいて、願いや悲しみがあって、手法がまずくても主張は理解も共感もできること。
文化、風習、立場、主義主張、そういうことに違いはあっても、嬉しい悲しいと感じる事柄は同じなんじゃないかということ。

そんなことを「レイアース」は正面きって描いていて、物語の中の光と影、両方を見れたことを「ほんとう(=リアル)」だと感じたし、全てが丸く収まるような答えが提示されなかったことで、わたし自身が「これってどうしたら良かったんだろう」と考えるようになったので「ほんとう(=本物)」の力を持った物語だとも思ったのだ。


「レイアース」はその衝撃の結末のあと、第二部の連載が始まった。
本当のところは知らないのであくまで推測だが、第一部の結末が衝撃すぎてフォローが必要なほどの反響があり、第二部が決まったのではないか、なんて邪推をしてしまう。
しかし、第二部で残された人々の想いを聞くことはできるのだが、あくまで個々の想いに徹しており、安易に「その世界の答え」にはならないようにしていたのではないかと思う。


「報われなさ」で言えば断然「レイアース」の方が報われないように見えるのだが、わたしはそうは感じなかった。
第二部含めての感想ではあるが、ともあれ、個人の努力では変えがたい世界の枠組みの中で、理不尽な目に遭いながらも自分のできることを考え、誰かを想い前を向いて進んでいこうとする姿に心を震わし、そこに自分自身や現実を重ねて、希望の光を見たのである。

「自分次第」「気の持ちよう」、そういう言葉は時として残酷だと思う。
しかし、自分が進んだ道を「これで良かったのだ」と思えるように生きていくのもまた自分であり、そんな姿を見せてくれる作品に勇気をもらえるのかもしれない。

魔法騎士レイアース(CLAMP)


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