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破壊・分解・分析⇄創造・統合・融合

前回「芸術鑑賞と医療」というテーマで書かせていただいて、ふと気づきました。

デジタル化することや、エビデンスを作ることは言ってみると、情報を削ぎ落としていく作業と捉えることができるのではないでしょうか。全体を要素要素に細かく分けて分析していくベクトルを持ち、不必要な事や関連性の低そうな事は削ぎ落としていく。それによって同じ要素を持つものを多数集めて分析することが可能になります。

一方、芸術鑑賞や東洋医学というのは、そのベクトルとは真逆で、全体を全体として捉えて、一つの要素に着目したとしても、すぐに全体としてどうなっているかという視点、整体観として物事を見ているように思われます。

具体的な例を挙げるならば、例えば問診票がデジタルによる選択式になると、全てのデータは変数にまで情報が削ぎ落とされることで、統計的分析や、AIによる解析の対象になります。

一方これが手書きの問診票であれば、変数にしづらく、統計解析しにくいですが、個別のそれ自体でかなり情報量を持つことになります。筆圧や文字の濃さ、力強さ、文字のクセ、大きさ等から、性格や身体の状態、東洋医学の気の状態などさまざまな情報を反映し、それだけで伝わるものが多いという強みがあります。

前者は、自然科学的分析、つまりデジタル化や統計的思考、エビデンスを求める姿勢で、情報をあえて削ぎ落とすことで、数で勝負するという立場。数を増やして、多数でもって分析して本質へと迫ろうとするアプローチの仕方。

一方、後者は人間科学的分析、つまり個別性を重視する姿勢、個別の事象を情報をできる限り削ぎ落とさずに全体丸ごと理解しようとする姿勢。

それはそっくりそのまま、西洋的捉え方と東洋的捉え方の特徴になっているように思われます。

どちらが優れている劣っているではなく、この世界を理解しようとするアプローチの仕方が西洋と東洋では違うだけだということに気がつきます。

私はこの両方をスパイラルに行き来しながら全体を統合するということを医療を通してやっていきたいのだなと改めて気がつきました。

最後までお読みくださいまして誠にありがとうございます。



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