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【文学エッセイ】古都の影 vol.3 第一義の活動―「虞美人草」夏目漱石

 洛北を走る叡山電車からケーブルカーに乗り継いで、さらにロープウェイに乗り換える。ロープウェイが地を離れ、約百年ほど前、「虞美人草」の主人公である宗近君と甲野さんが(そして、作者である漱石も)せっせと徒歩で登った険しい勾配が、窓の下に広がり始める。わたしは、それを上から眺めながら、汗もかかずに、ぐんぐん登っていく。乗車賃はそれなりだが、金さえ払えば、あっという間に比叡山の山頂である。

「虞美人草」の舞台のほとんどは東京だけど、冒頭は何ともお気楽な京都観光から始まっている。東京から遊びにきた二人の若者のうちの一人、宗近君は、道も目的も分からず叡山に登ろうとするし、もう一人の甲野さんは疲れたと言って山の中に寝転がり、地元の女に笑われるのも気にせず、いつまでも空を眺めている。

 叡山を登山するシーンは、実際に漱石が歩いた体験が元になっているらしい。じゃあわたしも行ってみたいと思って、家を出た。もちろん、いくら物好きなわたしでも、真夏に徒歩で登りはしない。百年前にはなかったロープウェイの存在は、ばっちりチェック済みだった。

 涼しい車内から外を見渡しながら、宗近君ならたとえロープウェイがあったとしても、ここを自力で登っていくのだろうなと想像する。甲野さんは迷わず乗るだろう。そして山頂で哲学的な思想にふけりながら、いつまでも宗近君の到着を待っているだろう。

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 終着駅から、ぐるりと比叡山山頂のバス停方面に歩いていく。そこには観光者向けの店がならんでいて、平日なのにそれなりににぎわっていた。端の方まで歩いていくと、鏡を延べたとばかりでは飽き足らぬ。と漱石が描写した琵琶湖が一望できた。当時は湖岸に建ち並ぶビルはなかっただろうけど、この湖は漱石の見た湖なのだ、と思ったら、少し感慨深かった。

 ところで、東京の人は、京都という言葉に弱いのだそうだ。東京で働いている友人は、京都に遊びに来ると必ず職場の人に配るための京都限定土産をいそいそと買っていく。確かに、京都には、非日常の夢をたくす器があるような気がする。憧れのような、思い出のような、曖昧な期待に応えてくれそうな余韻がある。

 だけど、京都に住んでいる人間にとっては、京都が日常である。東京と比べて緩やかで、非合理的。狭い関西では知り合いの知り合いは知り合い、というようにすぐに繋がってしまって、しがらみが多い。

 「虞美人草」の中には、そんな二つの京都のイメージが織り込まれて、舞台効果を高めている。 宗近君と甲野さんにとって京都は非日常であり、気楽なところである。

「京都という所は、いやに寒い所だな」と宗近君は貸し浴衣の上に銘仙の丹前を重ねて、床柱の松の木を背負って、傲然と箕坐をかいたまま、外を覗きながら、甲野さんに話しかけた。
 甲野さんは駱駝の膝掛けを腰から下へ掛けて、空気枕の上で黒い頭をぶくつかせていたが
「寒いより眠い所だ」
と言いながらちょっと顔の向きを換えると、櫛を入れたての濡れた頭が、空気の弾力で、脱ぎ棄てた靴足袋といっしょになる。
「寝てばかりいるね。まるで君は京都へ寝に来たようなものだ」
「うん。実に気楽な所だ」

 一方、京都で暗く貧しい過去を過ごし、東京に出てきて出世した、もう一人の主要な登場人物である小野さんにとって、京都はしがらみである。切り離したい過去である。だから、彼らの旅行には同行しない。

 東京は目の眩む所である。 (中略) よそでは人が蹠であるいている。東京では爪先であるく。逆立ちをする。横に行く。気の早いものは飛んで来る。小野さんは東京できりきりと回った。
 きりきりと回った後で、目を開けて見ると世界が変わっている。目を擦っても変わっている。変だと考えるのは悪く変わったときである。小野さんは考えずに進んで行く。友達は秀才だという。教授は有望だという。下宿では小野さん小野さんという。小野さんは考えずに進んで行く。進んで行ったら陛下から銀時計を賜わった。浮かび出した藻は水面で白い花をもつ。根のないことには気がつかぬ。

 小野さんは、出世のために、財のある藤尾を嫁にもらうべく画策する。それには、貧しい京都時代に世話になった恩師の娘との結婚の約束を反故にしなくてはならない。しかし、恩を無碍にもできず、かといって出世も諦められず、煮え切らないまま悶々としている。

 今、わたしは京都に住み、会社勤めをすることもなく生きている。おかげで、財も名誉も肩書きもないが、気楽な生活を送っている。けれど、もし、東京的な状況の中に放り込まれたら、わたしは小野さんのように、あっさりと変わってしまうかもしれない。きりきりと回り、驕り、受けた恩をないがしろにして、しがらみを切り離したいと願うようになるかもしれない。
 
 わたしは比叡山の山頂で、ここに来なかった小野さんに思いを馳せていた。

 写真も撮ったし、見るものも見たし、さあ帰ろうと思っても、まだまだ日は高かった。じゃあ、(数百円分をけちって)ロープウェイ分くらいは歩いて下りようかと思ったのが間違いだった。数分歩けば着くはずなのに、なぜだか、次のケーブルカーの駅がいつまで経っても見えてこない。明らかに行き過ぎたと気がついたときには、引き返すのも困難な状況だった。そして、わたしは一人で延々と山道を下るはめになってしまった。

 背の高い木々が道を覆っていて、真夏なのに肌寒い。耳障りな大音量で鳥と蝉が鳴いている。たった一人で山歩きをするなんて、初めての体験だった。

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 冷や汗を流しながら歩き続ける。耳元で虫がぶんぶん唸っていて刺されそうだし、がさりと音がしたら熊かと思って息を飲む。足を滑らせればしばらく心臓の鼓動が止まらないし、いつになったら麓に出られるのか見当もつかない。体の感覚が張り詰めていて、もう死ぬかもしれないとさえ思う。

 ようやく出口らしきところが見えた。そこは、甲野さんと宗近君が叡山に登り始めた雲母坂の入り口だった。それが京都のどの辺りなのかは分からなかったが、アスファルトで舗装された世界は、もう見知ったフィールドだった。安全だった。タクシーでも何でも帰れる。力が抜けた途端、慣れない山歩きと緊張で硬くなっていた足が、がくがくと震えだして止まらなかった。

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 空は赤く染まっていた。血のような赤だった。その赤が、物語の中で甲野さんの言う「第一義の活動」のことを連想させた。彼の言う第一義の活動とは、人間の本質的で真摯な活動のことである。

「第一義は血を見ないと出て来ない (中略) 血でもってふざけた了見を洗ったときに、第一義が躍然とあらわれる。人間はそれほど軽薄なものなんだよ」

 物語の終盤、損得勘定ばかりに頭を悩ませていたり、軽口ばかり叩いていたり、傍観していたり、自分の思いを言えずに秘めていた登場人物たちが、一斉に「第一義の活動」を披露する。

 小野さんは出世のための結婚を諦め、仁義を通す。宗近君は妻にするつもりだった藤尾を諦め、友のために奔走する。甲野さんは、家も財も捨てて妹と義母に全てを譲り渡そうとするし、宗近君の妹で甲野さんに思いを寄せていた糸子は、本心を漏らして涙する。

 第一義の活動は、最も痛いことを受け入れた先にあるものなのだろう。自分にとって一番大切なもの、つらいもの、見せたくないものに向き合ったその先にあるのだろう。 そんな中で、ただ一人、痛さを受け入れられなかった藤尾だけは、この物語から決定的に消えてしまう。衝撃的なそのラストは、胸がすくというよりも、これまでの自分を省みて、恐いような思いがした。

 わたしは血を見たことがあるだろうか、と考える。血とは、山を下りるときに体験した、死ぬかもしれないという恐怖に似ているのだろうか。命の、もしくは自分という存在の、ぎりぎりのやりとり。それに立ち向かってもなお、守るべき何かは、どこにあるのだろうか。

 無茶をしたせいで、数日は筋肉痛に苦しんだ。それがすっかり治った今でも、まぶたの裏に、耳の奥に、山の気配がまだ住んでいる。葉が擦れる音。鳥が喚く声。目を刺す光。皮膚に迫るひりひりするような冷気。それらの感覚を思い出すたびに、わたしは、はっとする。「何か」に、気づかないまま、傲慢なまま、生きて死ぬのは嫌だ、と繰り返し思う。

「虞美人草」夏目漱石
明治四十年に朝日新聞に連載された。東京と京都を舞台にして、六人の年若い男女の生き様が描かれる。漱石の哲学が詰まった軽妙な会話と、批評眼に満ちた口上のような地の文の対比も面白い作品。

執筆日:2009年8月10日 初出:「京の発言」第13号

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