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【文学エッセイ】古都の影 vol.1 みすぼらしくて美しいもの―「檸檬」梶井基次郎

(※2008年11月に書いたエッセイです)

 京都の町には艶やかで美しい影が潜んでいると、わたしは思う。その影は、完璧な闇というよりは、流れに洗われてぬらぬらと光る川の石のような、どこか愛嬌のある黒をしている。

 古い黒ずんだ木造の家には必ず影がある。庇の裏。柱の側面。窓枠の下。少し裏に回って家と家の狭い隙間を覗き見れば、そこにも必ず影がある。見つけ出すと、何だかほっとする。

 この町で長年生活を営み年を重ねた人たちの中にも、古い家並みと同じように美しい影を見つけることが出来る。皺の間、丸められた背に守られた腹、親しいものに挨拶するために開かれた口の中に、それはある。

 影は、ひんやりと冷たくて滑らかで、何も主張しない。そこにあることに心から満足しているように見える。気づかなければまるでないのと同じようにひっそりとしているし、気づいて視線を注げば、その視線を優しく吸い取ってしんとしている。

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 影が出来るためには光がいる。田舎でも都会でもない特別な町がつくる光は、美しく生ぬるい光、色で言えば、淡く濁ったセピア色。たとえばその光は、日本中の人々の憧れだったり、由緒ある文化や歴史だったり、数々の偉人たちの残した物語の痕跡だったりする。

 自然と真正面から対峙しなければならない山里では、京都のような艶やかな影は出来ない。そこでは、直射日光のような強い光が荒涼とした色濃い影をつくっている。一方で、大都会のビルディング街にある光は蛍光白の清潔な光で、隅々まで照らし出し、影そのものを注意深く拭い去ってしまうだろう。拭う必要性がないと判断され打ち捨てられた場所には、わたしが気楽に踏み込めないほどの、深い闇があるだろう。

 だけど、京都の影はわたしに優しい。わたしは無意識のうちに影を探しながら町を歩いている。

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 わたしが京都に住み始めて四年目に、梶井基次郎の小説「檸檬」の舞台になった丸善が閉店した。二〇〇五年のことだった。跡地に何が出来るかと待っていたら、やたら内装の豪華なカラオケ屋が現れた。小説好きとしては、とても寂しかったけれど、一人の小説家が檸檬を置き逃げしたくらいでは、閉店を免れることはできないのだと妙に現実的な気分にもなった。一方で、梶井が檸檬を買い求めた八百屋が寺町二条の角で未だに営業を続けているのは有名な話だ。その店に行けば「梶井基次郎の檸檬の店」と書かれた看板とレモンがガラス張りの店内に展示されているものだから、読んだことのない人も、梶井基次郎の小説に檸檬が出てきて、ここが舞台になったと分かるようになっている。もっとひっそりと、知る人ぞ知るという感じに佇んでいるのかと思っていたわたしは、最初見たときに心底がっかりした。でも、丸善も八百屋も商売のための建物なのだ。後の人の感傷のためだけに、いつまでも同じ姿を留めておけと要求するのはおかしいし、梶井の歩いた寺町が広々と舗装され清潔になり、現代的に変わってしまったことだって、何だか至極まっとうな人間の営みの結果に思えて、人ってたくましいなあ、変化していくのだなあ、と妙に納得したりもする。

 だけど、変わらないものもある。「檸檬」の書き出しの一文は、いつだってわたしをぎょっとさせる。

 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。

 そうそう、そうなんだよね、梶井。わたしも同じなんだよね。 もちろん、わたしは梶井のような重い病にかかってないし、彼ほど切羽詰まった状況ではないはずだけど、小説を読むという密かな行為の間だけは、勝手に同意しようが、何かを告白しようが、誰もわたしを咎めない。

 以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音機を聞かせて貰いにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上ってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。

 そう、わたしも、浮浪とはいわないまでも、よく街から街へ彷徨い歩く。目的もなく、だらだらと歩いていく。

 大通りの裏の道を一本入れば現れる、低い屋根の木造の家が連なったような町が好きだ。車がようやく通れるくらいの細い道がくねくねと伸びていて、家と家の間の小さな道とも呼べない土のままのスペースに、子供の遊び道具が投げ出されたままになっている。側壁がくっつくくらい密に建てられた小さな古い家々は、個人の手で手入れされてきたならではの、丁寧さと乱雑が入り混じって、少しずつ個性的な崩れ方をしているのが見ていて飽きない。壁際には、大抵たくさんの植木鉢が並べられていて、植物が勝手気ままに伸びている。植物の勢いを制しようとか、種類を揃えようとかそういう気概を感じさせない雑多な光景ほど好き。

――などと告白するわたしに、そうそう、同じ、よく分かるよ、と今度は梶井の声がする。

何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしても他所他所しい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転してあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と云ったような趣きのある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とすると吃驚させるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。

 梶井の描写した景色は、いつもわたしが歩いている場所と変わらない。嬉しいよりもむしろ、ぞっとする。梶井が生きていた時代からもう何十年も経っているのに、わたしは同じ景色を同じように彷徨い歩いているなんて、気味が悪い。この町が、わたしに梶井と同じことをさせるのだろうか。それともわたしが、梶井と同じように、小説を書き続け、世間に認められないことに鬱々とした毎日を送っているからだろうか(才能の違いは置いておいて)。

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 梶井との共通点を見つけて以来、見すぼらしくて美しいものという言葉が頭から離れなくなった。見すぼらしくて、美しいもの。わたしは、どっちかというと、見すぼらしいものに属している。えたいの知れない不吉な塊に圧えつけられている。洗練された美しいものは、見すぼらしいわたしを受け入れてくれないし、人から見捨てられた見すぼらしいだけのものは、ますますわたしを落ち込ませる。都会にも田舎にもなりきれない京都には、あちこちにまだまだ、見すぼらしくて美しいものが、ひっそりと澱んでいる気がする。それは、わたしが好きな影と同じものかもしれない。影はわたしの塊と親しかったのかもしれない。

 ある日わたしは、梶井が歩いたのと同じように丸太町から寺町通りを南に歩いていった。そして、「果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた」と、かつて梶井に絶賛された店に辿り着いた。久しぶりに見た檸檬の展示は、一昔前の家族向けレストランの入り口のガラスケースに収まった安っぽい食品模型のようだった。檸檬は食べものでもなく、生命でもないような気がした。梶井が作り出した檸檬という思念が、そこで固形化され、展示されていた。

 わたしは、長い時間、そこで熱心に檸檬を覗きこんでいたが、店番をしている白い髪の女性は、そんな客には慣れていると見えて気にも留めず、ぼんやりと外を眺め続けていた。 檸檬は愛想に塗れていた。積み上げたごちゃごちゃの色彩を吸収して、空気を塗り替えてしまうあの檸檬じゃない。

 ここで檸檬を買い求めても、もう梶井のように気が晴れたりすることはないんだろう。わたしは、そのことを確認すると何だか安心した。 病に冒され、借金を背負い、酒に溺れ奇行を繰り返し、試験に落第し、世間から自分の文学を認められなかった梶井は見すぼらしかった。だけど、彼の生の結晶したこの小説は、かけがえのない美しい描写に満ちている。とりあえず生きてみるか、とわたしは思う。まずは、みすぼらしいだけだとしても。

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「檸檬」梶井基次郎
1952年初出。梶井基次郎の代表的な短編。憂鬱な気持が晴れないまま町を歩いていた私は、気まぐれに八百屋で檸檬を買い求める。不安や焦燥感を赤裸々に綴りながらも、日常のささやかな感動を印象深い文章で編み上げている随筆風の作品。

執筆日:2008年9月5日 初出「京の発言」 photo:RHiZOME

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