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「自分らしさ」はそう簡単には表れてくれない

着物音楽朗読劇「装×奏×想」の公演が終わって、のんびりした日々を送っています。あんなに時間に追われていたのに、急に余裕が出てしまって、もう干されたのではないかと不安になったりもするけど、そういう周期なのだと思う。今のうちにやりたかったことをやる。ブログ更新したりYouTube動画作ったり、東京に行ってライター仕事の編集者さんと打ち合わせしたり、有名声優さんが出演する音楽朗読劇を見に行ったり。

そういう日々の中、久し振りに会ったカメラ仲間のお友だちに写真を撮ってもらって、そこに写っていた自分が、なりたかった自分の姿だったのでとても嬉しかった。

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最近は写真に撮られるのが苦手だ。脳内の自分の像と写真に写っている現実の不一致に納得ができないから。ときどき、撮らせてほしいと言われることがあるけど、カメラを介して知らない人と、もしくはそれほど親しくない異性と向き合うパワーがもうない。年を取ってほうれい線が気になるとか体型が気になるからも大いにあるんだけども、10年前みたいに、誰の前でも「ひらく」ことができない。写った自分の顔はこわばっている。

でも、ひさびさに撮ってもらった写真を見て、ひらく感覚をちょっと思い出した。この写真を撮ってくれたカメラガールの小夜ちゃんは、わたしのことが大好きで(笑)、40歳になったわたしのことも可愛いきれいって言ってくれるし、まるっと肯定してくれるし、小夜ちゃんの写真はわたしは好きなので、任せておけば上手いことしてくれるだろうと思っていた。よく写ろうとか、そんなの考えなかった。信頼して、ゆだねる感じ。そしたら自然にひらいていた。

信頼してゆだねる。ひらくって、そういうことなのかもしれない。

自分を受け入れてくれる人の前だけでなく、誰の前でもひらいていられたら、わたしがなりたいと思っている「自然体な美しい人」になれるのかもしれない。だとしたら、それは、ものすごく残酷でハードな戦いだ。なにひとつ守らず、信頼できるかわからない・攻撃してくるかもしれない人たちがいる戦場に立つのだから。

ひらくと命の姿が見える。自分らしさが何かは、そこで初めてわかるのかもしれない。

たぶん表現ってそういうことなのだと思う。演技も。小説を書くことも。写真を撮る方も撮られる方も。とても恥ずかしくて無防備で、だからこそ命の姿が垣間見える、かっこいいこと。

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装×奏×想の公演直前、声の出し方がわからなくなっていた。いつもの声を出せばいいって言われても、いつもの声がわからなくなった。力を抜かないと声は出ないのに、出ないものだからがんばって出そうとして変な力がまた入ってますます出ないという悪循環に陥っていた。

もうあとは会場でのリハーサルと本番を残すのみの状態になったら脚本・朗読演出としての仕事は終わった。あとは演者に徹するだけ。登場人物のひとりになるだけ。その段階でようやく心から開き直れて、声が出た。日ごろ鍛えていないわたしの声ではマイクがあっても生演奏に負けてしまうのではないかと、ずっと不安だったのだけど、現場で声を出してみたら払拭された。それも大きかったかもしれない。プロの音響さんが上手いことしてくれた。

他のメンバーももうわたしが言うことは何もない。あとは信頼してゆだねればいいんだと思った。

今思えば思考回路が病んでいたな…。足を引っ張って、人に迷惑をかけてばかりで、いなくなってしまいたいって思っていた。まあ、昼の部の主人公の思考回路そのままなんだけど。とりつかれていたのかもしれない。

演者の中で一番下手だし、演技をしないファッションショーのモデル役で登場してくれる人の中にもベテランの女優さんがいるし、スタッフをしてくれている人の中にも声の通る美人女優がいるし、なんであなたが舞台に立つのという感じなんだけど。下手なのは承知、やれることをやるだけ、と、開き直ろうともがいていた。開き直れたつもりでいた。でもまだそれは「下手だと人に思われても気にしない」という、思いっきり人の目線を意識していた状態だった。本当に抜け出たときとは少し違った。

前日のリハーサルで、本番通りの環境の中で、ちゃんと声が出たとき、わたしは、「声が出た、嬉しいなあ」としか考えてなかったように思う。これでお客さんに物語を届けられる、と思ってほっとした。ただそれだけ。

この抜け出たときの感覚は一生覚えていたい。

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まずは、誰にどう思われてもいいと覚悟を決めること。でも、それだけじゃ足りない。そもそも、誰にどう思われるかなんてまったく気にならない状態が理想。

わたしがわたしを生きるということ。

必要としてくれる人のことだけを見て、まっすぐに届けること。置かれた場所で命を燃やし自分の届く範囲を真摯に照らすこと。灯台のように。誰かの道しるべになるかもしれないし、ならないかもしれない。

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かっこよく見せようったって、もう、見えるようにしか見えないんだから、好きに生きなければ。それを応援してくれる人たちや見守ってくれる友人たちがいる幸福。ひとりでいるといじけて忘れてしまう。よくないね。

本番の舞台で登場してお客さんの顔を見たとき、わーってテンション上がったよ。わたし、ひとりじゃないなあって。お葬式のシーンなのにね。

いつもありがとう。

(撮影:三月小夜子

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京都在住の小説家です。理系ライターもやっています。
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