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2019年11月の記事一覧
エッセイって何だろう?
エッセイを書こうとしたときに最初にぶつかる壁は、エッセイとはどういうものか、よくわからないということではないでしょうか。少なくともわたしはそうでした。今までいろいろなエッセイを読んできたはずなのに、いざ自分が書こうとするとわからないのです。辞書を引いてみても「自由な形式で意見・感想などを述べた散文。随筆。随想」と書いてあるだけで、これってつまり、何でもありだといってるだけじゃないか、と途方に暮れ
もっとみる書いて考える習慣を身につけよう
書くという行為にはさまざまな役割がありますが、わたしは次の四つの機能に注目しています。
①記録する
②自分と会話する
③考える
④伝える
この四つのうち、①と④はなじみがありますよね。自分だけが読む日記やスケジュール帳や実験ノートなどは「①記録する」ために書きます。この文章やブログや記事などの多くは「④伝える」ための文章です。日常の独り言をつぶやくSNSは①と④の中間かもしれません。
情報を並べただけではエッセイにならない
エッセイと評論の違いは何でしょうか。親しげな文章か、そうでないか? それもひとつですが、そもそも何を書くかが大きく違います。
たとえば、映画を見てそれについて文章を書く場合、論文・批評(映画評論)の場合は主に映画について書いていきます。映画の見どころの紹介や撮影技術や俳優の情報など、映画を分析・観察して詳しく書いていきます。良い映画評論を書くためには、知識や経験が必要になるでしょう。もちろん
心の動きを書けていない失敗パターン
大好きな食べ物が目の前にあるとします。そのときのあなたの感情を言葉にしてみてください。そんな課題を出したとき、一番に出てくる代表的な失敗パターンが「おいしそう」と書いてしまうことです。
さらに自分の体の状態を書く人もいます。「唾が湧いてきた」「お腹が鳴った」。もうひとつの失敗パターンはセリフを書いてしまうことです。「ああ、ようやく食べられる」とか。
なぜこれらが失敗なのか、ひとつひとつ見
エッセイの描写はすべて自分の心が起点となる
同じ夕焼けを見ても、悲しい気持ちのときに見るのと楽しい気持ちのときに見るのでは違って見えるはずです。悲しいときは、血に染まったように見えるかもしれません。楽しいときは、奇跡のように美しい光景に感謝の気持ちが湧いてくるかもしれません。そのような「違って見える」見え方を文章で表すのもエッセイの魅力の一つです。
どんな気持ちでいるかによって描写が変わるので、まずは「気持ち」を言葉にすることが大切で
エッセイに必要な三つの情報―「書き手」「対象」「関係性」
心の動きを書くことばかり強調してきましたが、それはエッセイの核の部分。エッセイとして人に伝わる形にするためには必要な情報を適切に伝えることが大事です。エッセイに必要な情報とは何か。それは、「書き手がどんな人か」と「扱っている対象がどういうものか」と「書き手と対象の関係性」という三つの情報ではないかとわたしは考えています。
たとえば、A子さんが、コスプレが好きだというエッセイを書くとします。