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『男なら、身だしなみを整えて』

 野球部に入部して、一つ先輩の郷田さんを「郷田さん」と呼んだら、「俺のことは“ゴリさん”と呼べって言ったろう?」と真顔で怒られた。その時以外のゴリさんは基本的にタレ目のままニヒニヒと喋る。

「お前さ、この前渡したゴム、もう使ったんだろ? 次は自分で買えよな」

「はい。ゴリさんは買うの余裕なんですか? 薬局って緊張しません?」

「18禁サイトの入り口じゃないんだから、緊張なんてするわけないだろ。“男の身だしなみ”だぞ。俺は昨日買ったその日に3つ使った。ほら、指にまだ彼女の匂いが残ってんだ。嗅いでみるか?」

 部室にいるのは中指を立てているゴリさんと僕だけだった。とはいえ、流石に「はい、嗅いでみます」とは言えない。それに、ゴリさんの彼女とは化学の授業で隣同士だ。今、ゴリさんの指を嗅いでしまったら、次の化学の授業は集中できそうにない。

「おい、アツシ、お前本気にしたろ? 冗談だからな。お前は自分の彼女に頼めよ」

「え、あ、いやいやいや、本気にしてませんよ。大丈夫です、大丈夫です」

 部室で当たり前にセックスの話をするゴリさんに、僕は初体験の心の準備について教わっていた。それと合わせてコンドーム2つが僕に手渡されたのだが、僕はその2つともを初体験の日に使用した。
 理由は──まあ、僕と里佳だけの秘密だ。


 そんな会話をした週の土曜日。野球部の練習は雨のため午前のみとなった。

“今日、午前練になりそうなんだよ。里佳が暇なら午後から会わない?”

“うん。ソフト部も午前練になるだろうから大丈夫だよ! 終わったら教えてね。雨だし、ウチくる?”

 朝のうちに里佳に送っておいたメッセージにはすぐに返信が来ていた。僕は練習後の部室で半裸になりながら、素早く指を動かす。

“おっけー。一旦家帰ってから里佳んち行くわ。今練習終わったばっかりだから、ちょい時間かかるかも”

“今日はお父さんもお母さんも出かけてるから。期末近いし勉強とか、色々できそうだね”

 と、意味深な──(いや、空気を読んだ?)文章に猫が飛び跳ねるスタンプが添えられていた。練習着を小さく畳んでバッグに突っ込み、「お先に失礼します!」と声を張り上げ、僕は部室を飛び出した。

 昼過ぎからは雨も上がり、走り込みで疲れていたはずの僕の足は小気味よくペダルを漕いだ。
 薬局に寄らなければならない。ゴリさん曰く、“男の身だしなみ”だから。

 とはいえ、“男の身だしなみ”はどのジャンルの陳列棚にあるのだろうか。男性用化粧品のコーナーには無かったし、生理用品のコーナーでもないだろう(僕には女性用品の陳列棚の前を通る勇気がなかっただけだが)。
 シャンプー等の日用品のコーナーにも無いし、流石に食品の棚にも無かった。

 僕は早歩きで薬局店内をほぼ一周し、最終的に日用医薬品の棚陳列の片隅で、“男の身だしなみ”を発見した。
(こりゃ分かんないや。ゴリさんに詳しく聞いとけばよかった)と脳内で呟きながら、目の前のカラフルな箱たちに戸惑う。

【激うす! まるで生の感覚!!】
【ゴム臭カット メロンの香り付き♡】
【刺激を求める二人に(つぶつぶ加工あり)】
【お徳用〈36個パック〉】
 …………

 長居は無用だ。
【スタンダードタイプ。潤滑剤が塗布してあるので女性のお肌も安心】と書かれた12個入りのパッケージを握りしめ、歩みを早める。競歩の給水のごとく、通りがかりに頭痛薬も手に取った。

 レジは一つしか開いてなくて、(なんで女の人なんだよ)と思ったが、行くしかない。僕の尻込みで里佳を待たせるわけにはいかないのだ。
 無言で頭痛薬とコンドームをトンと置く。頭痛薬の下に隠したりなどしない。平然と、「いつも買ってますよ」の顔をして、2つの箱を並べて置けばいい。

 レジの女性店員が紙袋を取り出した時はゾクッとしたが、お釣りを貰う僕の手は震えていなかったはずだ。

 駐輪場で、“あと10分くらいしたら着くよー”とメッセージを打ち、“男の身だしなみ”のパッケージのビニールを解くと、箱のまま鞄に忍ばせる。
「裸で財布に入れたらダメだぞ。破れるかもしれないからな」というゴリさんの教えは忘れていない。

 里佳の部屋で、ベッドの近くに置いた自分のバッグに目をやりながら、僕は里佳の舌と唇に全てを絡め取られる。残りそうなのは沸き立つ性欲の噴出地点くらいだった。

「アツシくん、あのね、今日ね」

「うん」

 膝立ちのまま抱き合い、里佳は僕の耳元に唇を近づける。僕が立たせているのは膝だけではなく、堪らず里佳を強く引き寄せる。
 里佳はそのまま続ける。

「今日ね、ごめんね、あのね、その、女の子の日なの」

「あ、うん」

「それでね、あのね、アツシくんがね、どうしても我慢できないとか、あると思って、それでね」

「うん」

「せっかく、薬局にも寄ってきてくれたんだもんね、あのね、だからね」

「里佳──」

 その後の感触を鮮明に記憶したまま、日曜日の練習を終えた僕は、ゴリさんと部室で二人になってしまった。

「で、どうだった?」

「あの、ゴリさんには聞いてなかったですけど、口でされるのって、ぬるぬるというか、あったかいというか、なんか、裏とかイイし、もう、めっちゃいいっすね!!」

「は? 俺は“男の身だしなみ”をちゃんと準備できたか? って聞いてんだよ。誰がフェラの感想を勝手に言ってんだ! はははは」

「あっ、え、すみません、すみません」

「謝る相手が違うぞ。お前の彼女に謝れ。彼女とのセックスを他人に気軽に話すもんじゃない。それも男の身だしなみだ」

 ゴリさんにはしばらく敵いそうにないので、僕は引き続き鍛錬に励もうと思う。




(おしまい)

僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。