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『小さな私のバランス』

 さっきまで軒下のベンチでうつらうつらしていたはずなのに、気づくと私は庭の端にいた。
 いや、軒下のベンチも庭の端にあることに変わりはないのだけれど、今私が立っているこの場所には、庭の端という言葉が適切なんだと思う。

 家の門の横にある松の木は「世界樹か!」ってくらい大きいし、門自体もそびえ立つビルみたいに高い。そもそもここから門までの距離は、おおよそ数秒で歩いて行ける距離とは思えない。

 はあ、これは私、小さくなってしまったな。という結論にたどり着くのに時間はかからなかった。私の頭に浮かんだのは「あれ? 服もちゃんと一緒に小さくなるんだ」という安堵。
 おまけにサンダルまで、小さくなったものが揃えて置いてある。とりあえず私はサンダルを履く。


(パアン!!!)

 と、背後で銃声が鳴り響く。
 まさか銃声なんてことは無いだろうな、と恐る恐る振り向く。すると、ピロピロとした紐が飛び出したクラッカーをコビトが手に持って立っていた。しかも、胡散くさい司会者のようなギンギラギンのスーツを着ている。

「あなたはコビトさんなの? この世界はなに?」

「僕は人間です。君たちと同じですよ。ほら」

そう言いながらその場でつま先立ちをしたコビトが、バレエのように10回転ほどくるくると回った。なるほど、小さいと運動機能の一部が著しく発達するのかもしれない。
 私も小さくなったのだから、同じように回ってみようかな? と思ったけれど、サンダルでつま先立ちなんてしてられないので遠慮しておいた。

「で、私は何をすればいいの? 何かしたら何かの理由で元に戻れる?」

「あら。もう戻りたくなっちゃったんですか? 早いですね。『小さな世界ツアー』はこれからなんですよ。さあ、いきましょう」

「え? なにそれ。ここ最近は懸賞に応募した記憶も無いし、母に勝手にプロフィールを提出された記憶もないんだけどな」

 コビトは何も返事をせずに、芝生の方へ向きを変える。
 私は普通の女の子だったらしく、マイクを握ることなく、先をゆくコビトの後を追うしかなかった。

 庭の芝生は父によって手入れされているが、コビトとなって歩くのには邪魔くさかった。私は腰の高さ程もある草をかき分けて、コビトの後を追う。ツアーって言うんなら旗でも振ってこちらを向きながら先導してくないのかな。

「ねえ、コビトさん。芝生の中をかき分けるんじゃなくて、緑のトンネルだー! みたいな隠し通路はないの? けもの道みたいな」

「無いですよ。四つん這いになった僕のお尻を見て進みたいのなら、これからでも用意するんですけどね」

こんなコビトなら、何かの理由をつけて私を先に進ませるだろうな、と思ったので、私はもう芝生について喋るのをやめた。

「ねえ、コビトさん。いつもはどこに住んでるの?」

「森とか、です。」

「雑ね。森のどこに住んでいるの?」

「なんかその、鳩が寝そうな家に」

「鳩? 鳩は森にはいないと思うんだけど」

「そうですのよ。鳩は森にはいないです。森には鳩が寝てそうな家があるだけですのん」

家について聞くのも無意味な気がしてきた。

 それにしても土くさい。鼻がもげそうだ。
 私は、地上何cmにいるのか正確には分からないけれど、そういえば、なんだか鼻が疲れている。土の匂いが近すぎるのだ。
 身体が小さくなれば、感じる匂いが減るのかと思ったが考えが甘かった。土の匂いが強い。

 いや、強く感じるのは匂いだけではない。
 玄関の扉がガララララ! っと開く音が、けたたましく響きわたり、次の瞬間には

「ちょっとー! どこいるのー? 私買い物行ってくるねー!」

と、頭上からバカでかい母の声が風に乗ってうねりながら通り過ぎた。
 母の声はいつもの何倍にもうるさく聞こえた。頭が割れそうだ。小さくなると聴力の感覚が歪に改変されるらしい。器官の大きさが小さくなったら、知覚する能力も落ちると思ったのに。私の考えているより、小さな世界は単純な場所ではなかった。

 ──が、母の声は単純にうるさい。とにかく、うるさい。更に続けて、母の声が辺りに響き渡る。

「もういいわ! 行ってくるからねえー!」

 前を行くコビトは、デカイ声など聞こえないようなフリをしているが、ビクッ! となっていたので実際はうるさかったのだろう。

「ねえ、コビトさん。いつもこんなふうに人間の声が大きく聞こえるの?」

「そうですね。まあ、うるさいですよ。だから僕らは森にいますのん。バランスを取ってるんです、バランスを」

「あー。じゃあ、人間でいうと田舎が天国なわけね。人が少ないから」

「いや、天国とまでは言いません。それに、あなたたちの言う田舎には、コビトがめちゃくちゃ住んでるんです。だから、あなたたちの言う田舎は僕らの都会で、あなたたちの都会は僕らの田舎です。人間とコビトは反対に動いてるわけですね、はい」

 やっとツアーっぽいことを言われた気がした。ツアーとか言いながら、私の家の門はまだまだ遙か先にある。このままでは、庭から外に出るだけで今日が終わってしまいそうだ。

「ねえ、コビトさん。車とか──いや、まあエンジンはないだろうから、なんかこう乗り物的なのは無いの?」

「あ? 車はありますよ。でも、コビトの世界の都会にはあんまり車は走っていません。あなたたちの言う田舎には道が少ないですからね。道があったとしても、古い道路は僕らにとってはガタガタ過ぎて、車なんて乗っていられませんよ」

「あら、それはごめんなさいね。人間の都合で勝手きままに道を作っちゃって」

コビトは、ふうん、と肩を落とした。

「あのですね。謝られたって困りますよ。僕らも人間なんですって言ってるじゃないですか。僕らは僕ら用じゃない世界で生きてるだけですから。謝られたって、ねえ。」

両方の手のひらを上に向けて首を傾げるコビトの動きは、演技にしか見えなかった。
 こいつは少々のことを言っても大して聞いてやしないな、と思ったので、私はこの『小さな世界ツアー』をお悩み相談コーナーにすることにした。それに、このまま歩いていても景色は変わりそうにない。見るべきもののないツアーなら、喋っておけばいい。

「ねえ、コビトさん。謝ったって仕方ないのは分かったよ。それはそれとして、私には私なりの悩みがあるの。聞いてくれる?」

「もしかして、あれですか? 昨日の夜電話してた東京の男がいいか、それとも一昨日電話してた屋久島の男がいいか、そういう質問ですかね?」

コビトってのは私の生活のどこかに隠れているのだろうか。

「どこで聞いてたの!? って聞いても意味なさそうね。まあ、どちらも悪い人ではないんだけど。いや、どちらかというと好きなタイプの人達だし。でも、こう──どちらかだけにって心が動かないのよね。だからさ、いっその事どちらかに決めて、行っちゃおうかなって。東京か、屋久島か」

コビトはにやにやしている。

「へえ。あなたはどちらかの方を選べるんですか? 大都会東京の金持ちですか? 自然にどっぷしの屋久島のイケメンですか?」

「ちょっと! なんで知ってるの!?」

「いや、知りたくて知ってるわけじゃないんですよ。僕らは聞く声をうまく選べません。耳を澄ましてみてください。耳が死にますから」

コビトはにやにやする顔を元に戻し、目を瞑って両耳の横に手を添えてみせた。あ、耳を澄ますポーズか、と私は理解した。そのままコビトを眺めていると、耳をピクピクと動かし始めている。
 あいにく私はそんな芸当を持ち合わせていなかったので、同じように目だけを瞑り耳を澄ませてみた。

“──だから──じゃないと! ──白菜が──痛いって──! オープンソースなら──。四次元のさ、コロコロは──聡明な気がするんだ。──逃げるなよ!! ────巻爪だからさ。──海苔は────発射してると思ってるの? ──”

 うるさい。
 思ったよりうるさい。いや、待って。この声の嵐の中から、このコビトは私の電話の内容を聞き分けたのか? 嘘くさい。というか無理だと思う。私は目を開け、疑問をコビトに投げる。

「私思うんだけどさ、コビトさん、実は何か変な特殊能力隠し持ってるでしょ。こんなの聞いてらんないよ」

「何言ってんですか? 僕らは人間なんですよ。別に聖徳太子的な能力は持ち合わせてないんですのん。誰かが喋れば誰かが聞いてるわけですし、僕らは全部聞こうと思えば耳に入るわけですけど。耳を澄ましてみても、頭が痛いばっかりですのん。別に人間の話が嫌いなわけじゃないですけど、とにかく声が大きい。僕らには大きいのです」

「ふうん。ならいいけどさ、人間ってうるさいのね。小さくなっても大きくなっても。」

「そんなんはもう僕らが人間だから、それでいいんですよ。で、東京ですか? 屋久島ですか?」

いや、それ興味あったのかよ、とツッコミたくなった。

「コビトさんは、どっちがいいと思う?」

「あ? 何言ってるですか。どっちゃだっていいですよ。自分で決めてくださいな。ただ、あなたが一人動くと、僕らコビトが10人くらい動かなきゃならんのです。でも、まあ、どうでもいいでしょ? 僕らのこと忘れるんですから」

普通の人間とコビトでは、数的なバランスが違うらしい。身体の大きさが違うのだから、それも当然のような気がした。
 自分自身が小さくなっているから、コビトの数なんて気にしていなかった。

「ん? 待って。そしたらさ、コビトさんは地球に何人住んでるわけ?」

「760億人ですよ。あなたたちの10倍ですね。」

「待って待って。怖い怖い怖い。」

「何が怖いんですか? 小さな人間がたくさんいたら怖いんですか? 僕らからしたら、大きな声のほうが怖いんですよ」

 数か、声か──
 ん? 私は何が怖いのだろうか。私の口から出た「怖い」という言葉は無意識だったけど、何が怖かったんだろう。
 私は、誰かに怒鳴られるのも嫌だし、大勢の人に無言で圧迫されるのも嫌だ。

 どっちも。どっちも怖い気がする。
 一方で、悩む私を見るコビトの顔はすっとぼけた表情にしか見えない。

「僕は人間ですから。どっちゃでもええですよ。あなたが何を恐れようが、あなたが東京に行こうが屋久島に行こうが、どっちゃでもええです。あなたの移動に合わせて、コビトが10人くらいバランスを取るために移動するだけです。760億人のうちの10人ですよ。どうでもいいでしょ?」

「わかんない。私、わかんない気がする」

「なに混乱してるですか? どうせこのツアーが終わったら、あなたの記憶は消えるんですよ。何も残らない。何も残らないツアーなんです、これは」

 情報が与えられる速度についていけなくなってきた。
 じゃあ、私はなぜこのツアーに参加させられているのだろう。いや、私が参加したのかもしれない。それとも、やはり私の意思には無関係なツアーなのか。

 コビトはそんな私の混乱に呆れているらしい。再び両手のひらを上に向ける。

「はあ。門に着く前に終わりそうですね。そろそろお時間です。あなたの身体はこれから大きくなり始めます。記憶は残りません。それ以外のものが残るかは、あなた次第です。」

「それ以外のもの?」

「さっきまで話した事実と、あなたの目や鼻や耳を刺激した記憶は全て消えます。だから、あなたは今日のツアーを日記に書くことも、ノンフィクションとして記録することもできません。あなたに残るのは、事実と記憶ではないものだけですのん」

「え? じゃあ、私は何を覚えているの?」

土の匂いも、うるさい声も残らない。コビトのバレエのような10回転も忘れる。解決してないお悩み相談も、相談の体を成さない。

 76億人の中の私。
 760億人の中の10人のコビト。

 蟻、蟻、蟻が私に集り始める。
 考えているばかりの私に蟻が寄ってきて、カチカチカチ、と口元を鳴らす。怖くて目を閉じてしまう。目を閉じたら、忘れてしまう。私は事実と記憶を無くしてしまう。

 蟻、蟻、蟻、蟻、蟻が増える。
 蟻が、蟻が、蟻が、蟻が、蟻が、蟻が増える。私に集る蟻が、蟻が、蟻が増える。
 カチカチ、カチカチ、カチカチカチ。
 千切れる、失う、忘れる。


 ◆


 気づくと、私の目線は電柱より高い位置にあった。
 あ。これは私、大きくなってしまったな、と思うのには時間がかからなかった。

 そう思った数秒後、私はバランスを崩し、事実と記憶を失った。

 

 

(おしまい)

僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。