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夏の観劇

初孫であった私は、たいそう祖母にかわいがられた。年子で弟が生まれ、母の体が弱かったせいもあって、夏休みはほとんど祖母の家で過ごしていた。毎朝のラジオ体操も祖母に起こされてなんとか通ってた。

小学生高学年くらいのころ、祖母と一緒に農協(いまはJA)の招待で年に二回ほど観劇に行っていた。
毎年、年明けと夏休みのお楽しみとして、農協の観劇会があった。タダで観劇できるというシロモノだ。祖母は出かけるのはあまり好きではなかったが、「タダだしお土産がもらえるから」という理由で私を連れて行ってくれた。

歌舞伎座での歌舞伎は大体冬だった。それに小学生にはつまらなかった。そりゃそうだ。子どもに人生の機微などわかるわけがない。難しい言葉や妙な抑揚でのお芝居はよくわからなかった。大人になった今は、ちゃんと見ておけばよかったなあと後悔している。
幕間で助六寿司を食べる時間もあったりして、王道な観劇プログラムだったように思う。農協スゴイな。

夏は新宿コマ劇場(今はない)。舞台は楽しかった。演歌歌手がお芝居をして、その後に歌のショーがあって、踊りもあってと、短い時間で目まぐるしく演目が変わったので飽きずに見られた。舞台が始まる前にお弁当が出た。だいたい幕の内弁当だったが、それを食べた後、アイスクリームの売り子さんが来る。倹約家の祖母だけれど、この日だけは「食べたい」とねだると必ずアイス最中を買ってくれた。

キラキラした舞台を堪能したあと、「おばあちゃん、楽しかったね」と言いながら劇場を出ようとすると、農協のエライさんがやってきて、祖母に挨拶してくる。
「お孫さんですか、かわいいですね」
何の親しみもない顔して私を一瞥するが、祖母の息子には用があるが、孫には用なしって感じだった。

帰りには、農協から結構なボリュームの「お土産」をくれる。まあ、お得意さん感謝デーって感じか。

つましい祖母には「寄り道」というワードはインプットされていない、銀座や新宿は祖母にとっては通過する場所でしかない。祖母にとっては繁華街を見るなどというのは無駄な時間でしかないのだ。どこに出かけても電車に乗ってまっすぐ祖母の家に帰った。

帰宅してすぐ、お土産の記念品を開けるのだが、漆塗りのテッシュケースだったり、渋い柄のお盆だったりするので、毎回ガッカリしていた。祖母はもう何年もこんなガラクタのような記念品をもらっているのだが、律儀に全部使っている。なので、家の中が農協からいただいたグッズで埋め尽くされている。「インテリア」というワードも祖母の頭にはない。

農家で生まれて、ずっと農業をやっていた祖母にとっては、「遊びに行く」という行為自体が「もったいない」と思っていたようだ。自分だけではきっと観劇などにはいかなかったろう。孫娘を夏休みにどこかに連れていきたいという気持ちだけで、観劇に行ってくれたのだろう。タダだからというのもあるけど。

今では観劇というと、お気に入りの劇団の公演や、知り合いの小劇団の舞台などにしか出向くことはなくなったけれど、テレビであの夏に見た演歌歌手を見かけると、祖母と出かけた新宿や銀座の劇場を思い出す。コマ劇場のアイスと歌舞伎座の椅子の固さ、助六寿司の包み紙、ポッケに入れた切符が無くならないように、電車の中で何度も確かめてたこと。

ことしは、そんな話を祖母の墓前でしてみよう。

祖母が亡くなって、25回目の夏――。

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