見出し画像

『戦雲 -いくさふむ-』

映画を観ました。

監督:三上智恵

https://ikusafumu.jp/

沖縄本島と南琉球の島々の自衛隊軍事基地化が描かれるドキュメンタリー。
基地の現状がよくわかる映画だった。むず痒い思いがする。

基地が作られ、ミサイルやその火薬が配備されてゆく。反対運動を行う人々はそれを反対する。
映画では南琉球にて行われる畜産、ないし牧畜の様子が描かれる。牛、馬、山羊。
また漁業。メカジキの老漁師。自動運転で船を動かし、一人で漁に出る。メカジキの角にやられて足を負傷したこともあった。九死に一生の状況で漁を続けているらしい。
政治的な話題も出てくる。メカジキの漁師は保守にしか票を入れたことがないらしい。牛の畜産農家、親父さんは保守、息子は革新。
それまで保守派の人たちの日々の生活だけをじっくり捉えつつ、一方で基地反対運動を重ねるように映してきただけあって、保守派の基地建設に必ずしも反対しない旨の意見は少し色の違う映像に見える。「戦争になればどこだって変わらないのでは」「国のやることに個人が口出しすることはできない」というのが保守派の方の言い分だった。

島からの避難計画も国から示されているようだが、それもどこまで実効性があるものなのか疑問符がつけられていた。なにより避難先が九州の全県のどこかという非常に曖昧な内容なのだそうだ。避難のために島から出て、向かう先の県や地域が具体的に決まっていないようで、個人的に違和感があった。

自衛隊員も混じっての島の祭り。島の地域を三つに分けて、南、北、中央の三チームが船を漕いで競走する。子供があどけなく、一、二年したら親が勤める自衛隊の規定から島を離れるが、祭りが楽しいのできっと帰ってくると返答する。
ミサイルは基地に配備され、火薬は火薬庫に入れられる。このミサイルによって、どれだけのミサイルが撃ち落とされるのだろうか。あるいは北朝鮮や中国の人々を殺すのだろうか。相手国にあるミサイルは日本国に住む人をどれだけ殺すのだろうか。
日本には戦争の歴史がある。沖縄でも多くの人が戦争で亡くなった経緯がある。あってはならないことだが、もし仮に今後戦争が起こるとして、起こった後で後世の人は20世紀の戦争と比較し、どう思うのだろうか。

戦争に対してはいつも思う。何のために。何のために。
内臓が飛び出たとれたてのメカジキを前に老漁師はガッツポーズする。メカジキは美味い。美味いので漁をして獲物を狩る。畜産も同じだ。牛の乳や肉は美味い。よって乳を絞り、牛を屠殺する。
だが戦争はどうだろうか。
誰のために、何のためにと考えを深めることは意味のないことだろうか?他国だから?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?