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2023年7月の記事一覧

社会にまみれる感情と禁欲ーープロ倫の感想の続き

以前からウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んでいる。その感想の続きだ。 感情的で理論の一貫性に欠ける敬虔派の浸透カルヴァン派が恩恵について未来に確証しようと内的思索に集中したのに対して、その内的思索の力を敬虔派は現在に移して感情的になった。カルヴァン派が職業労働によって確信しようとしたのに対して、謙遜と砕かれた心(Gebrochenheit)が理想とされた。このように敬虔派はカルヴァン派と比べて合理化の強度が弱められたといえる(pp.251,252

読書会メモ――マックス・ウェーバー『プロ倫』第2章前半

今回の対象範囲は、マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』第2章前半部でした。以下、話題になったポイントです。 ・キリスト教の「隣人愛」はカトリックとプロテスタント(中でもカルヴァン派)で異なる対象に向けられることになった。カルヴァン派は極限、神しか信用できない。それは自己愛に等しいのでは。 ・カルヴィニズムがもたらした「内面的孤独化」は、精神分析で言う「神経症」の構造に近い。常に自分自身を審査し、肯定と否定の間を往復しつづける ・カトリックとカル

倫理、それは芸人魂——ウェーバー『プロ倫』第2章前半

今回の範囲は、ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』第2章の前半部でした。 第1章では、資本主義の精神的な起源がルターの宗教改革、すなわちプロテスタントの誕生にある、とぶちあげたウェーバー。第2章では、ルター以降のプロテスタントの教義、特にカルヴァン派に注目しています。カルヴァン派の特徴である予定説(神に救われる人とそうでない人は、あらかじめ決まっている)は、一般信徒に大きな影響を与えました。なぜなら、あらかじめ救いが決まっているため、懺悔とか赦しによって

プロ倫 第二章(前半) カルヴァン派を中心とした宗教の理性化と浮かび上がる敬虔派

はじめにまず第一章から言えることではあるが、改めて非常にキリスト教に関する多くの情報から議論が進められていると思った。主題であるカルヴァン派についてももちろんだが、それに対峙するルター派、ピューリタンについてもそうだ。対立構造を議論として作り出すためにはそれぞれのあり方を細かく書き込んでゆかなければならない。 かといってウェーバーは次のように書いている。カルヴァン派は、17世紀のイギリスやオランダの独立派の諸信団とも、またルター派とも、イギリス国教会とも、相違がはっきりとして