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読書会メモ――マックス・ウェーバー『プロ倫』第2章前半

今回の対象範囲は、マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』第2章前半部でした。以下、話題になったポイントです。

・キリスト教の「隣人愛」はカトリックとプロテスタント(中でもカルヴァン派)で異なる対象に向けられることになった。カルヴァン派は極限、神しか信用できない。それは自己愛に等しいのでは。
・カルヴィニズムがもたらした「内面的孤独化」は、精神分析で言う「神経症」の構造に近い。常に自分自身を審査し、肯定と否定の間を往復しつづける
・カトリックとカルヴィニズムは、「罪」の扱いが異なる。カトリックでは神父に向かって懺悔室で罪を悔い、改める。また、世俗とは異なる修道院では、徹底して罪を退け、信仰を追求する空間がつくられた。一方、カルヴィニズムでは懺悔室がない。救済されるか否かは、生まれる前から決定されているからだ。そのため罪は悔い改めるものではなく、憎むべき対象となった。同時に、修道院がなくなり、世俗内の個人が孤独に信仰を育てることになった。
・現代はマスメディアを回転軸としたカルヴィニズムに覆われている。例えば芸能人の不倫。仮にカトリック的な懺悔室があれば、プライベートな環境で悔い改めることができる。ところが、現代ではメディア上(ネット含む)が「公開懺悔室」となり、大衆の罪への憎悪がすべて当人に向けられる(そこに隣人愛はない)。やり直すということが極めて難しい時代。

次回は『プロ倫』巻末までが範囲です!


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